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358. 「お前の変わりはいくらでもいる」と言われたあの日

今日は少し昔の話をします。こんにちは、稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。よかったらスキ・フォロー・シェアなどお願いします🙇‍♂️ 。応援してもらえると喜びます。 #そりゃそうだ

思い出せば、2006年か2007年あたりの話。僕のWeb屋としてのキャリアがスタートした頃の話です。会社の都合ではあったのですが、当時Webを強化するみたいな文脈で僕はグループ会社のデザインプロダクションに2年間の出向をしていました。

その頃ではありますが、今も少しありますがいわゆる「首都直下型地震」というのをテーマにしたテレビ番組などが頻繁に放送されていて、片目でみていたのはありますが、それなりに気になっていたわけですね。#今も少し気になっていますよ

少し話はそれましたが、自分自身当時はいろんな不安と葛藤に苛まれながら、でも出向はある意味勉強のためということで必死に食らいついていました。

それは、ある夏の日だったと記憶しています。場所は渋谷。

スクランブル交差点から道玄坂のほうにいったところにある居酒屋でした。

福岡(本社)から出張できていた元上司である大先輩を含む、たしか6人くらいでの久々の飲み会でした。その席で、今勉強してること、出向が解けたらどんなことがしたいか・・・とそんな話をしたのを覚えています。

そんな中どういう文脈だったのかは、正直忘れましたが、その大先輩にひこと言われたのがタイトルの言葉です。

「お前の変わりはいくらでもいる」

当時まだ若かった僕にとって、しかも会社の命令とはいえ、出向という形で学んでいる僕にとって、かなりきつい言葉でした。その場では

「うわぁwww、ひでぇwww」

と茶化して返しましたが、正直、ブチ切れな心です。いまだにその時の気持ちは忘れませんし、あの酔っぱらった大先輩の顔は覚えています。

そこで感じた気持ちを糧に僕はそれから、「何者か」になろうといろんなことをし始めるわけです。

今となっては、笑い話ですし、それなりではありますが、小さな世界では何者かにはなれてきたかなという自負はあります。

最後にあの日を思い出して、思い切った言葉を綴ります。

「お前の変わりはいくらでもいる」
その言葉に、とてつもない失望と怒りを覚えた俺は、
それから何者かになろうと、小さい努力を重ねてきました。
時にそれは会社との衝突、重役や社長との喧嘩。
それでも僕は「変わりのいないもの」へなろうと必死でした。
その必死さは、実は今でも変わらず、だからこそ少ししんどい。
でも、このしんどさを乗り越えられるのは俺しかいない。

"俺の変わりができるもんならやってみろ。"

実際は口には出さないけど、そう言えるよう引き続きやるだけです。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!