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「そりゃそうだ」が意外とできていない

「提案をする」というスタイルの仕事をしているわけですが、提案とはなにも新しく斬新なものばかりではありません。

言ってしまえば、すごく普通なことを提案することだってあります。本当に普通のことを・・・です。

こんにちは、稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。よかったらスキやフォローをお願いします。そして、ポッドキャストもやっています。毎週水曜と土曜に配信中の「イナチャンネル」をどうぞよろしく。

時々、打ち合わせの中での提案の時点で、こちらが発したことに対して「確かに・・・」という納得の声をいただくことがあります。こういうシチュエーションに出くわすたびに、2つの感情が生まれます。

1つは、「いかん、そもそもの話を言ってしまったかな」という怯えに似た感情。もう1つは、「盲点を見つけた」という発見的な高揚感です。

1つ目の怯えに似た感情は、もともとIA的な視点を持っているがゆえに、ついつい話をしてしまう「そもそも」な話が由来です。相手のコンテキストを完全に理解できていない状況で確信をつく「ひとさし」をしたとき、いやしてしまったときに生まれるやつです。

なぜ怯えに似た感情になるかというと、芯を突かれた際には多くの場合防衛反応が働き、反論がくるのです。この反論が感情に任せたものになっているので、やりくりが難しい。。その状況になることへの怯えに似た感情です。

もう1つの「盲点を見つけた」ということのほうですが、これはまさに気づきを与えることができたという、企画や提案のモチベーションにモロに影響する(ウハウハとした感情)ものです。

さあ、なぜ「確かに・・・」と言ってしまうのでしょうか。普通のことなのに。。です。それは、あるシチュエーションを特有のものと捉えているからではないかと思うのです。

具体的にしましょう。

先日、アンケートについてこんなシチュエーションがありました。

セミナーなどのイベント会場(リアル)では、
多くの場合机の上に
あらかじめ資料とかと合わせてアンケートがおいてある。
だから人は好きなタイミング、セミナーのセッションを聴きながらとか利用者はある程度の時間をコントロールしながらアンケートを記入していく。
しかし、オンライにベント系だと、なんか最後にまとめてやってない?
まとめて20問答えるのと、4問を5回とくのと・・・

的な話です。こういう話をすると「確かに・・・」といわれるわけですが、別に相手が考えていないのではないのです。

ただ、
何か勝手に範囲を決めた考え方をしてるように、
もっと言えば、狭めた範囲の中で悩み続けてしまっている状態だと思うのです。

だから・・・知っているから、「確かに」となるわけです。

そんなこんなで「確かに」つまりは、「そりゃそうだ」と感じることが意外とできていないことが色々あるように思います。

今一度、自分たちなら「そもそも」と考えてもいいと思うので内観してみてはいかがでしょうか?

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!