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公式を学ぶのは先か、後かという話

小学生時代、中学生時代、高校生時代といわゆる勉強というものをしてきたとき、特に理数系の科目において出てきた「公式」というものがあります。例えば、台形の面積の求め方。みなさん覚えていますか?

(上底+下底)×(高さ)÷2

こういう公式を初見から丸暗記するという学び方法もあると思いますが、なんでこの公式になるのかを少しは理解しておく必要があると思うのです。

・この公式はまず大きな平行四辺形を求めているんだよ
・その平行四辺形を半分にするんだよ
・平行四辺形ってのは切りはりして長方形の形にして面積を求めるんだよ

1つの公式からこの「幅」を知ること。それが学習だと思うのです。

娘が習ってきた順番

先日、月に満ち欠けについて勉強している娘がいました。内容はこうです。

新月から三日月になり上弦の月になり、満月そして下弦の月で26日の月、で一周して新月だよ

これを学ぶために「しじまか」と覚えていたのです。「しんげつ・じょうげん・まんげつ・かげん」で、「しじまか」です。なるほど、わかるんです。わかるんですが、この「しじまか」を先に覚えていたのが少し気になってしまったのです。問題を解くためであればそれでいいのでしょうが、学ぶということではそれが正解なのか?と感じてしまいました。教科書をみてみたら、「上げんの月」と書いてありました。「弦」ではなく「げん」なのです。

こう書いてしまうと、「げん」についての学習の幅はなくなります。ただの音になりますよね?そうではなく、「弦」として学び、「弦とはなにか」そして、「左半月」とせずに「上弦」と表現した日本人の感覚などを、時に想像しながら伝えていくことが大事なのではないかと感じたのです。

これは僕ら大人の学習も同じ

僕らはついつい「答え」を早く求めることができる「公式」を探します。「公式」を見つけ出すことは決して悪いことではありませんし、それを使うことに対して何かいうつもりはありません。

要は、公式を見つけ出すまでの過程です。今や表面上で学べることはたくさんあります。特に僕がいる、Webの業界ではいわば「コピペ」で出来上がる「公式」は転がっています。コピペを使いこなすことも大事ですが、先ほどの「しじまか」のようなものです。

さて、今日のテーマの「公式を学ぶのは先か、後か」ですが、僕の結論としては「後」です。特に僕ら大人の学習では、仮に公式があったとしても一旦公式のないプロセスに触れるべきです。プロセスを経るのではなく触れるです。プロセスを経ていては時間がないですからね。そこは注意しましょう。プロセスに触れた上で、公式を学ぶこと。仮に公式が見えたとしても、公式をすぐ学ばず、まずプロセスに触れることを忘れてはいけないと思っています。


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