繰り返す歴史

2011年3月28日 投稿

私の母は今年で71歳になります。

彼女が生まれた翌年、日本は太平洋戦争という歴史的な悲劇の幕を開けた。そして、私の祖父を始めとする幾千幾万の方が命を落とされました。記録によると約330万人と言われていますが実数は計り知れません。
数知れない悲劇の中には、「外道の作戦」といわれた特攻隊というものがありました。賞賛や非難、様々な意見がありますが、彼らは自らの身を捨て、郷土そして何よりも愛する人を守る為に少なからず行動できる事を誇りとして「座して死す」るより「滅びるのを待つ」を潔しとせず、最新兵器によって防御された米国艦隊に突撃されたのだと思います。
そこに日本独特の死生観があったこともたしかですし、強制された事もない訳ではないでしょう。「武人らしく」がたたえられた時代であっても死の間際に恐れ、泣き、身を崩された方もいたのではないでしょうか?しかし多くの方が「他人を生かすために」死を進んで選んだのでないかと思うのです。以前、靖国陣社を参拝させていただき、その傍らにある靖国会館にある様々な戦死された方の遺書や遺品を拝見しそう感じました。そして各も偉大な先達の子孫である事が誇らしく、また、かの英霊たちが望んでやまなかった平和、当たり前の自由が謳歌できる私たちの幸せを、それを当たり前に享受していた自分の不明を恥じ、戦争という悪魔の所行を心から憎みました。

ところがその裏で特攻隊に出撃命令を下した多くの司令官たちはのうのうと戦後の繁栄を謳歌し、死人に口無しを幸いに虚構の自叙伝を出版し、政界や財界に進出していきました。
未曾有の悲劇は、戦争を始めた事より、負けを認めず軍首脳といわれる官僚や政治家たちが国民の悲劇や国の滅亡を目の当たりにしながらも最後の最後まで自分の保身に奔走した事だったのではないかと考えます。

よく軍部の暴走といわれますが、実際に軍部を指揮していたのは陸軍兵学校や大学校を出たエリート官僚たちであり、核心は軍がどうのこうのという前の、国民を顧みない政治家の腐敗とエリート官僚の悪政の結果でしかなかったのです。政治家の腐敗は国民の軍部支持へとつながり、清廉潔白な貧しい農村出身の兵隊を道具に己の欲望を満たした官僚のやりたい放題が悲劇の最大の原因だったのではないでしょうか?
全ての本土以外の海外占領地は連合軍に侵攻され、沖縄戦によってさらなる悲劇を生んでいるそのさなかも、軍の首脳は降伏を許さず本土決戦を全国民に強要し、自分たちは安全な地下壕に避難していたのです。
戦地から遠く離れた場所から現地の人間にこう叫び続けたのです。

「シネ、ハヤクシネ。ソシテオレタチガ、1プン1ビョウデモ、ナガイキスル、ジカンカセギヲシロ。デキレバ、オレタチガ、ジマンデキル、セイカヲアゲロ」

いま、日本の最大関心事は東北地震の被災地の復興と原発事故の成り行きである事は間違いありません。

マスメディアやネットでは、東電職員や自衛隊、消防庁のそれこそ「命をかけた」決死の復旧作業を取り上げ、賛美を送っています。もちろん、何物にも代え難い自己犠牲と使命感を持った方々にはどんな言葉を持ってしても労いのかけらにもならないくらいですし、話を聞くだけで自然と涙があふれてきます。

でも、当の政治家たちがやっている事はどうでしょう?

スポークスマンから発せられる中身は「想定外の」、「前代未聞の」といい訳ばかり。なにかあれば「それは○○大臣の担当で」、「東京電力が」「専門家の判断で」と言い逃ればかり。原発災害に至っては意味の分からない遠回しな表現に終始し、それはつまりこの期に及んで「こういったじゃないか」と後から言われないようにそんな事ばかりに工夫を凝らしている。そのためにかえって国民の間に憶測と不安が高まり情報パニックにまさに陥ってしまっている。

これだけの災害、これだけの死者、これだけの非常事態になっても自分たちの政権の支持率や首相在任日数記録争いにかまけ、人気取りしか頭がないトップとその取り巻き。

現場から情報があがってこないなら自分たちが見に行けばいい。尊い国民の命を失うくらいなら、軽々しく「命をかけて」というのなら放射能に汚染された汚水を自らの手のひらで少しでもすくいあげにいけばいい。ガソリンが無く物資が運べないなら、荷車にガソリン積んで政治家の人海戦術で現地まで運べばいい。死者に本当の哀悼の意を表すのならすっぱだかで三陸沖に飛び込んで、海底に眠る被害者の遺体を遺族の元まで届けてあげればいい。

エリたててコンビニ視察に行くくらいなら私財をはたいて海外から飲料水を大量に買い付けて配ってみろ。街頭に立って稚拙な歌うたって自分の宣伝しながら他人に募金を強制するくらいなら、たとえ1人でもいいから「俺が面倒見ます!」と宣言して自分の稼ぎで他人を救ってみせてみろ。24時間テレビのマラソンよろしく、他人を見せ物にしてギャラをもらって涙ながして善人装うくらいなら自分の豪邸売り払って仮設住宅たててみせろ。

自分は身を切らずに安全を捨てきらず、ボランティアや節電を呼びかけるのも好きじゃない。まず自分がやりたければやればいい。そしてそんな事は他人に言う事でもましてや強制する事でもない。なけなしのパンを他人と分け合う事ができて初めて本当の善意ではないのか?

日本国民のこれからの境遇を考える時、確実に金がいる。自然によって破壊されたものは無償では戻ってこない。再建にはやはり金が必要だ。だからみんなで一生懸命働き、所得を増やし、景気を良くし、その金を捻出しなければ行けない。
一時のお恵みより、震災ソングなんかより、みんなが知恵を振り絞り、汗を流し、痛みを共有し、再起を夢見て働くのだ。多くのものを作り出し、多くの人と接し、労苦をいとわず、時には海を越え世界を相手にビジネスを仕掛けるしかない。

そして、必ずあの事があってよかったなんて言わずに、乗り越えた誇りを胸に秘め、子供たちが未来への希望を胸に抱けるようにしなければならない。先達が私たちにそうしてくれたように。


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