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アース・ホール

地球は60数億年前にデカい石がぶつかって出来た惑星だそうです。

そこにまたデカい石が飛んできて絶妙な角度でぶつかったのでクルクル回り始めたらしい。全部がたまたま。たまたま今の形になった。

でも、世の中には『偶然』ってのは無くて、森羅万象『さだめ』という『必然』にあるそうですよ?

なので、おそらく地球がこうした形で出来上がったことだって、クルクル回り始めたことも、そう言われちゃうと何か計り知れない大きな意図があったと考えるのが筋ですかね?

そういった『人知には追い付かないこと』を考え始めると、人間の脳はキャパシティを越えて崩壊してしまうそうなので、とりあえずの最も平和な解決策である『神さまの仕業』ということにしておきましょう。

で、この60数億年前に神さまが石と石をぶつけてこの惑星を作った時には、ほとんど何も無い状態こそが『大自然』だったワケです。

きっと神さまも『この石と石がぶつかってできたこのくぼみとかこのサイズ感も含めてアート』と自画自賛だったとは思います。

もちろん他の惑星、他の銀河、宇宙の隅々のどれもが神さまにとってすべてが芸術的でこの上ない素晴らしい作品であることは間違いない。じゃなきゃわざわざ作る意味が無い。

『蚊ってなんでおるん?』とか、明確な役割りなり何かの意味なりを確認できないとその存在を理解できないのは人間だけかも知れないし、神さまはその存在そのものになんて意味を求めていらっしゃらないかも知れませんしね?

『地球』

神さまが石と石をぶつけて作った当時、まだ海も無いし風も吹いて無かったかも知れない。

どっからスタートしたんでしょうね?水かな?空気かな?何かガスか…ともあれ、幾つかのエレメントが発生してそこに有機物が増えた。

あるとき、ひょんなことからバクテリアだったり微生物だったり『命』が芽生えてくる。

きっと神さまも『お!なんだこれ』と思ったことでしょう。あ、いや、神さまが作ったんか。

それを一人暮らしのワンルームの流し台の排水溝みたいに入居後ずっとほったらかしにしてたら、その『命』は何十億年も掛けてみるみる増え続け、形を変え、この惑星の『え!こんなとこにも?』ってところに至るまで大発生していった。

パンデミックですね☆

大昔、地球の気圧は今よりずっと低かったそうです。その条件下で何億年もかけ生物は進化を続け『大発生のあと巨大化』というルートを辿ります。

ヤツらよりもっと空気を吸ってやる!とか、ヤツらよりもっと光を浴びてやる!とか、命がエネルギーを帯び、輝き始める。

つまり生物の『欲』こそが自然となった。

しかしながらこの惑星もまだ若く、『安定なんかクソ食らえ!』で、あちこちでマグマを噴出させてみたり、地殻を急激に変動させてみたり、そのせいで大規模な気候の変化が起こり、爆発的に広がり実り豊かだった命の多くが失われたりもしたでしょう。

しかし乍ら、命には何億年もの実績がありますから、そんなことでくじけたりしないのであります。

むしろ、より変化に強い命へと変貌を遂げ、より粘り強く、打たれ強く、より複雑に、多種多様に、現代までその命を芸術的に、また爆発的に広げ、その多くが死滅しながらも、確実に脈々と命を繋いできた。

しかも60数億年もの歳月を掛けて培ってきた命、木も草も花も石も砂も水も山も川も砂漠も鳥も獣もゲテモノもバケモノも、どれも全部『タダ』でくれるっつーワケですから、この命豊かな惑星の太っ腹なことったら無いですね。

そんな壮大で懐の深い大自然に抱かれ、偉大な旅人である命の親戚の親戚の親戚の親戚の親戚の親戚である私たちですから、自慢のこの命のファンになってあげないといけないと思っています。

だから『自然はタダ』とかね、そろそろ恥ずかしいからやめてよ、ホントに。

ゴミ持って帰らんヤツは宇宙空間へ放り出すぞ。

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