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【連載小説】私小説を書いてみた 最終話

前回のお話https://note.com/sev0504t/n/n41d0afa37c95?magazine_key=m8bdfdc55c4a5
はじめからhttps://note.com/sev0504t/n/na0680fb0802d?magazine_key=m8bdfdc55c4a5
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選択

 日増しに暖かな日が多くなり、梅の見頃を伝えるニュースが病室のラジオから流れる。

 僕はベッドから身体を起こし、窓の外を眺めた。コンクリートの塊と車が行き交う十字路、そして稜線をはっきりとした東の山々。

「こんにちは。湊さんどう?具合は」
 美山さんだった。

「なんとかね、身体は楽になってきました」

「病院に運ばれたって聞いて心配しましたよ」

「ほんとラッキーだったよ。なんだか人ってみんな優しいんだなって」

「湊さん、頑張りすぎなんですよ。でもよかった。たいしたことなくて」

「ただの貧血だなんて、なんか恥ずいね。ちょっと職場には伝えにくいな」

 美山さんは安堵に隠れた呆れたような仕草をする。僕は髪の毛のない頭を労るようにゆっくり撫でた。それは微かな好意を空気が転がすように。

「先生が亡くなって一年ですね」

「うん、あっという間だったような」

「ほんと一年って早いですね」

「でもいろいろ感謝してる」

「坂下先生と私はほとんど交流なかったけど、湊さんと話をして、なんだか親しい人になったみたいな気がする」

「感謝は、美山さんへのですよ」

「えっ」

「あの日、美山さんにはじめてあった日から自分は景色が変わった気がしたんだ」

「本当に死にそうな顔をしてたもの、湊さん」

「いや、冗談抜きで。前の自分は一回あそこで死んだって思うんだ。全部の細胞が入れ替わったみたいに」

「デトックスみたいですね」
 美山さんは笑った。

「ほんと、それ。前に美山さんに赤ちゃんみたいな顔ですねって言われて、ほら、こんなの撮ってみたよ」

 僕はスマホで撮った写真を見せた。眉毛も髭もなくなった僕の顔は、生まれたての赤子のように腫れぼったくなっている。

「ほんとだ。でも、かわいいですね。これ」

 髪の毛のない頭を触るのが癖になっていた。未だに鏡に映る自分はなかなか直視できないが、生まれ変わった自分との付き合いは興味深く、驚きに満ちた。

 顔を会わせたくもなかった父親は、髪が抜けるほどストレスを与えてしまったことを謝っていた。それには母親が自分の息子のために思いを代弁してくれたらしかった。そんな話は今までの人生ではじめてだった。

 心配してくれる人や、想ってくれるがいることは幸せだと思う。いや、今までそんな人は周りにたくさん居たんだろう。

 人と関わることが煩わしくて、勝手に距離をとった自分はどこかへいって、人との交わりの新鮮さが際立っていく。気がつかなかったのだ。

 世界は分かりやすく残酷だ。
 世界は分かりにくく優しい。

 ラジオから理世の曲が流れた。
 そうだ、美山さんをライブに誘おうか。僕は目を閉じて何か生暖かい想いを抱き込んだ。

 ホスピスのベッドと、だいぶ痩せてしまった坂下先生が優しく微笑んだ。

「ねぇ、ニット帽とってみて」

 歯茎から出た血の味と、粘度のある涙が塩辛かった。そのまま僕はニット帽を脱いで、また顔を毛布に伏せる。

「なんだか懐かしいわね。ほんのちょっと前なのに。こうやって、ドライアイスで治療して」

 坂下先生は以前と同じ手順で治療と同じように髪の毛があるような手つきで僕の頭を撫でた。何ヵ所も毛糸のソーイングでもするように優しく、そっと僕の頭皮に触れた。

「未だに学会で意見の一致はみてないけれど、なぜ免疫機能が本来は攻撃しない毛母細胞を標的にしてしまうのか面白い仮説があるのよ。それはね」

 僕は不意に静かな波音が聞こえた気がした。先生の声は平淡でいながら透明な響きを持った。

「ヒトの進化よ」

 次の瞬間、意識は波の衝撃をえた。暗闇に紛れたうねりのなかには、わずかな月明かりでしぶきの白さを捉え、耳でその強烈な塩水を味わう。

 誰かが叫ぶ声、全身の感覚が鋭敏になりすぎて何が感ずべきものかがわからない。

 沈む感覚。生命の冷製スープ。細胞の隆起。
 感情を越えた感覚を手にした時、僕は自分とは違った何かになった。

 主体を越えた何かに掬い上げられた。
 
 海岸に打ち上げられ、僕は胃液と海水を臓物といっしょに大量に吐いた気がする。
 
 「大丈夫か?おーい、おーい、大丈夫か?救命隊はまだか、がんばれ、助かるからなぁ」

 サイレン、数人の人、紅い火、鈍い音が体に何度も響きながら意識は薄れていった。

「がんばれ、もう少しだからな」

「はじめまして」
 最期に僕はそう言ったんだ。

 綺麗な反物はできなかった。虚実が織り成す台紙に染料は油のようにさまよった。僕のなかに漂う想念のように。

おしまい
 
 


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