超ショートショート「財布」

 今どき珍しいかもしれないが、外出するときはいつも財布を持ち歩いている。現金を受け付けてくれるお店を殆ど見なくなった最近では、スマホによる決済、あるいは事前決済がほとんどを締め、財布を持ち歩く文化はあっという間になくなってしまった。

 正体不明のウイルスが蔓延してから、オンラインでのショッピングや決済が爆発的に増加し、実店舗での決済においても「現金にウイルスが着いている」との不安が広がり、キャシュレス決済に輪をかけた。

 病院の診察券や、ポイントカードも軒並みアプリと化し、いまや物理的に手で触れ合うものは流行らない。財布に入れておくものがなくなってしまったのである。

 にもかかわらず、なぜ財布を持ち歩くのか。理由はふたつある。

 ひとつは、ただただ財布を持ち歩くのが好きだということだ。新品のヌメ革で、購入当初は白い透き通るような肌色をしていた長財布も使い始めて10数年、きれいに日焼けした表面は、ベッコウ飴の様に輝いている。ここまで育てて今更さよならというわけにはいかない。

 ふたつめは、財布に入れているものである。財布の中には現金、クレジットカード、免許証といったものは入っていない。少し前に流行ったPicCa(ピクカ)を10枚ほど入れている。PicCaはクレジットカードの大きさをしたデジタルフォトフレームのようなもので、1枚につき最大100枚まで画像をインストールすることが出来、カードの券面をタップすることで画像を切り替えて鑑賞することが出来る代物。このコンパクトさと、財布との相性が抜群だ。

 今の技術であれば1枚で数万枚もの画像を入れることが出来るようだが、僕の場合は娘の成長を写した家族写真を1年ごとに100枚ずつ厳選して、とっておきの写真集として完成させているため、100枚という制限が逆によい。

 これがあれば、外出時になにが起きても、突然死の淵に立たされても、最後の瞬間まで家族とともにいれる。だから財布は手放せないのだ。財布は「財を入れる布」と書くが、今の僕にはこれ以上の財はない。まさに原点回帰、財布も本望に違いない。

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