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今の自分を作った初めての箱根駅伝の話

さて今回は自分が始めて6区を走った時の話をしたいと思います。
この最初に走った箱根駅伝の経験がなければ今の自分はなかったと思います。

走るキッカケ

箱根駅伝を知っている方ならご存知の方が多いと思いますが、6区は下りがメインとなる区間で、箱根駅伝の中でも5区と並ぶ特殊区間です。

自分自身その6区を3回走らせていただきましたが、走るキッカケは、2年生の夏に、下りの適正があると分かったからです。

自分の高校時代の先輩が6区を走っていたり、自分の母校でもある上伊那農業高校の近くが、元6区の区間記録保持者でもある千葉健太さんの地元でした。それで6区に興味がありましたが、当時は下りが得意という認識はありませんでした。

自分に下りの適正があることが分かる前は、大学のチームメイトから「桃澤が下りか(笑)」という声が聞こえました。当時スピードがなかった自分が、1K2分40秒を切るようなペースで走らなければならない下りを走るのは無理だろうという予想が多かったのです。

しかし、下りの適正があると分かったときは、周りも驚いていましたが、1番驚いたのは自分自身でした。「これで箱根を走れる!」とは思いませんでしたが、「僕が箱根駅伝を走るには6区しかない!」という思いでした。

その後6区を走るために練習を続け、ついに2年生の冬に箱根駅伝6区を走ることが決まりました。

初めての箱根駅伝は区間最下位

しかし、初めて走った6区は区間最下位に終わりました。(区間18位でしたが、参考記録のチームがあったため、実質最下位だった。)

シード権争いの中にいるなかで、復路のスタートで流れを完全に止めてしまい、結果としてチームに迷惑をかけてしまいました。自分を信頼して使ってくれた監督、コーチ、チームメイトには謝っても謝り切れないそんな気持ちです。

本番前に過度に緊張してしまい、また前を走っていた選手には置いていかれ、さらに後ろからきた選手にも抜かてしまい、その焦りで完全に自分を見失ってしまいました。

レースの後半はどう走ったのか覚えていなかったので、当時の自分の心境はよほど厳しかったんだと思います。

緊張で走れなかったといえばそれまでなのですが、そもそも緊張したとか、レース展開がどうこう以前に、レースの前の段階で「箱根駅伝で勝負する気持ち」がなかったのが走れなかった理由でした。

当時自分がスタートライン立った時の心境は、「自分がどんな走りをすればいいのか分からない」「自分のやるべきことは何なのか分からない」「前の選手も見えるけど、後ろの選手も近いところでスタートしてくる、どうしよう?」「自分で大丈夫なのか?」そんな感じでした。

「箱根で勝負する」ではなく「箱根を走る」が目標だった

12月10日に箱根駅伝のメンバーに選ばれましたが、その後の練習を振り返ってみると、「箱根駅伝を走る」というのが1番の目標になっていたのを思い出します。

ポイント練習は基本的に監督、コーチが見ているので、ここで失敗したら箱根駅伝を走れないのではないか?という思いから、ポイント練習に体調をあわせるように、前後の練習の距離を減らすなどしていました。

当たり前ですが、ポイント練習はこなせたものの、長い期間、質や量が落ちているので、箱根駅伝当日にはピークどころか、走力そのものが落ちていました。

ただこういった出場することが目標になっていたという話は、よくある話ではないでしょうか?この記事を読んでくださっている方の中には同じような話を聞いたことがあるかもしれません。自分自身も分かっていたつもりでしたが、いざ本番が近づくと走りたい気持ちが強くなってしまい、そちらを優先してしまいました。

追いつかなかった気持ち

何故箱根駅伝を走ることがゴールになってしまったのか考えると、2年生の夏から箱根駅伝を走るまでの期間の早さに、自分の気持ちが追い付かなかったのが理由の一つではないかと思います。

1年生の冬に5000mのタイムを15分18秒→14分43秒にまで伸ばすことができました。しかし、その後故障してしまい3か月ほど走れず、5月の記録会で復帰するものの、5000mで15分40秒後半という走りでした。

その後もあまり調子が上がらず、走れるものの練習はこなせない、レースも走れない状況が続きました。

正直5000mの自己ベストよりも速いペースで20k走らなければならない、箱根駅伝を走るイメージが出来ませんでした。

そんな中、7月に自分自身に下りの適正があることが分かりました。

そこから、時間の流れ方が一気に変わりました。当時の夏合宿は強化・育成と二つのグループ分かれていましたが、主力選手たちは強化、それ以外は育成という形で分けられていました。1年生の時は育成でしたが、下りに適正がある自分は6区候補として強化グループで夏合宿を過ごしました。

そして夏合宿が終わるとすぐにレースがあり、レースが終わったらまた合宿があり、合宿が終わったらまたレースという慌ただしい期間を過ごしました。

気が付いたら1週間が終わって、また気が付いたら1か月が終わっていたと感じるくらい、目の前の練習をこなすので精一杯でした。そして、何とか箱根駅伝のメンバーに入りましたが、正直気持ちが追い付いていない状態でした。

「あの箱根駅伝のメンバーに入れた」「箱根駅伝を走れるかもしれない」「これから1か月どう過ごせばいいんだろう?」「自分がメンバー入ってよかったのか?」

メンバーに選ばれた時の自分の心境はそんな感じでした。

この前の段階で、箱根駅伝で勝負するんだ、箱根で自分はこう走るんだという目標や覚悟をもって、箱根駅伝を想定して、同じ緊張感を持って練習ができていれば結果は違ったのかもしれません。しかし、先に書いたように当時メンバーに入ることで精一杯だった自分にはその余裕がありませんでした。

それでも、箱根駅伝のエントリーメンバーに入った時点で、目標や覚悟を決めていれば結果は違ったかもしれませんが、自分にはそれができませんでした。

周りからの注目

箱根駅伝のエントリーメンバーに選ばれてからというもの、たくさんの方から連絡を頂きました。

今までそういった経験がなかった自分にとって、嬉しいことではありましたが、同時に「期待に答えたい」「箱根駅伝を走っているところを見てもらいたい」「こんなにもたくさんの人が声をかけてくれたのだから、箱根駅伝を走らなければ」そういった気持ちが強くなりました。

その思いが、最終的に箱根駅伝で勝負するために練習するのではなく、箱根駅伝を走るために練習をしてしまった理由です。

そういった気持ちで練習をしていて、監督、コーチ、チームメイト、家族、応援してくれた皆さんには本当に申し訳なかったです。

まとめ

4月26日の【Track Town SHIBUYA】でNIKE TOKYO TC ヘッドコーチである横田真人さんが、やるべきことが明確な選手、腹をくくっている選手は強いとおっしゃっていましたが、この箱根駅伝の経験があったから本当にそうだと思いました。

そして、練習からレースを想定して、やるべきことを決めて、同じ緊張感でやるのは当然という話もありました。自分が初めて走った箱根駅伝前の練習というのは、実際の箱根駅伝でやるべきこと目標も決まっていなかったので、緊張感も覚悟も持ってやっていませんでした。

だからこそ、スタートラインに立った時点でやるべきことも決まっていない、覚悟を決めていない、戦いに来ていない、迷いがある自分が戦いにきている選手に勝てる訳がありませんでした。

そして、井上大仁に勝つというのを目標にやっている今、自分の決めた目標に対して腹をくくって練習から緊張感をもって、レースに挑んで戦っていく。

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