雪舞

アイコン模索中 30代に突入した未婚こじらせ女。 座右の銘【私の笑顔はあなたのストレス…

雪舞

アイコン模索中 30代に突入した未婚こじらせ女。 座右の銘【私の笑顔はあなたのストレス】 私の頭の中を駆け巡っている言葉を綴っていきます。 自伝はじめました。

最近の記事

自伝23

届いた手紙の内容は、はっきりとは覚えていない。 だか、ものすごく私は泣いたのを覚えている。 普段の私を知っているから大丈夫だよ。 寧ろ急に妹が泣いてごめんね。 よく妹も見てくれていたもんね。 良かれと思って言ってくれたんだよね。 またいつも通り遊んでほしいな。 そんなことを書いてくれていたのだ。 今思い出しても目頭が熱くなる。 こういうお母さんだから、あの子達は互いに尊敬しあって仲良しなんだ。 そう感じもした。 自分主義の私の母とは全く違うので、羨ましくも思った。

    • 自伝22

      「お姉ちゃんよりしっかりしていて偉いね」 そう発言した私。 この妹が私の性格と似ていたから。 頑張っていることを知っていたから。 褒める意味合いで良かれと思って発言した言葉だった。 だがしかし。 その妹は泣いてしまった。 急に泣き出し、私も含め、その場の周りはなぜ泣き出したのか分からない状況だった。 そのままバディのしまいへ保健室へと連れて行かれた。 後でそのバディである同じクラスの子に聞いてみると、 「お姉ちゃんは頑張ってる!そんな事言わないで!」と言っていたそうだ。

      • 自伝21

        私と同じクラスだった子がしまいだった、「年下組」の2年生の中に知り合いがいた。 2年生の子のお姉ちゃんは私と友達で、その友達の妹だった。 私と友達のお姉ちゃんの方は、少し発達障害があった。その子は支援学級にいくかいかないか悩んでいた。 ご存知の通り、当時はまだ今のように発達障害について理解や発展がなかった。 学年が上がるにつれて、他の皆はその子から離れていった。 私は単純に一緒にいて楽しいと思ったから遊んでいたし、その子のお母さんからも頼られていたため、自分なりに近くでサ

        • 自伝20

          小学4年生。 3年生の時の同じ担任。 その担任の先生からは「人間性」を学んでいった。 私に最も欠けていた部分だ。 まぁ、でも結構面倒臭いしきつい先生だったので、当時の私は反抗的な部分もあったかもしれない。 4年生は小学生の中では「年上組」になった学年。低学年・中学年・高学年と分けると3年生と同じ真ん中の中学年ではあるが、2つに分けると5・6年生と同じ扱いになる。 私の学校では「しまい」というバディ制度があった。 6年生は1年生と。5年生は3年生と。4年生は2年生と。

          ピーターパン?逆浦島太郎?

          30歳になった私。 友達も後輩も近所の子も皆、結婚をして子育てをしている。 そして日が経つにつれて、また結婚の報告や妊娠の報告。 これらは素直に嬉しい。本当に。 おめでとうと心から思う。 でも何故か寂しい気持ちにもなる。 皆が少し遠くへ行ってしまうような、私だけ取り残されていくような、そんな感覚に。 だからといって、結婚願望がある訳では無い。 自分が好きすぎる故なのか人間嫌い故なのか、他人と空間を共有したり時間を共有したりするのに抵抗を感じる。 私はこのまま一人で老いて

          ピーターパン?逆浦島太郎?

          自伝19

          無事に私も小3へ進級。 小3の記憶は殆どない。 小3小4と担任の先生が同じだったこと、その先生は面倒臭いと有名な中年女性だったが、私は上手いことやり取りできていたこと、割と好き先生だったこと。くらいかな。 その担任の先生は、勉学以外のことを沢山教えてくれた印象がある。 例えば、給食のカレー。 ご飯の器にカレーをいれるかカレーの器にご飯を入れるか。 「カレーの器にご飯を入れなさい。そうしたらご飯の器は汚れなくて済むでしょ」と言ったような事だ。 「給食のおかわりをして

          自伝18

          当時の校長先生は、小柄な女性。 私と目線を合わすためにしゃがみゆっくりと話しかけてきた。 話の内容は覚えていない。 だが私は、電話をかけずに鉛筆をけずらせてもらい、その日は済んだ。 親は仕事で夕方からいない場合が多かったので、殆ど祖父母と一緒にいた私は、当然その出来事を祖父に話す。 その場では穏やかだった祖父だが、何かしら学校にしたのだろう。 校長先生と算数の先生と担任の先生が家に来て謝罪をしていたのを、私はこっそり階段から覗いていた。 そして算数の先生は代わり、

          自伝17

          私はゆとり教育世代。 算数に少人数教室制が導入され、40人程のクラスを「じっくり」「ゆっくり」「どんどん」といったように、能力別で3クラスに分けて授業を行っていた。 私は「どんどん」クラス。 移動教室で普段学年に関わっていない算数専門の先生に教わることに。 その先生は中年の女性。 野球やサッカーを習っていて人懐っこい男子生徒がお気に入りと、生徒や親間でも噂されるほど依怙贔屓が激しいと有名な先生だった。 授業が始まるまでに、赤青鉛筆のみ削っていい決まりがあった。 私もそ

          自伝16

          問題児の私も小二に進学。 ここで私は今までと少し違う路線になる。 といっても、子供。すぐに別人のようにはなれない。 何が変わったかと言うと、学校行事等のリーダーや係に積極的に立候補する。 そして取り組む。 先生達に挨拶を自分からするようになるし、自分から先生方に関わるようになる。 前から目立つことは大好きだったが、何かが外れたように積極的になった。 そうして、クラスや学年の先生だけでなく、学校の先生たち皆が私を知るようになった。 図工の授業ではアイディアでコンクー

          自伝15

          ある時、私は事件を起こした。 掃除の時間、落ちていた星型のキラキラしたヘアピンを拾った。 私は何も考えずに頭に着けた。 少し経ち、同じヘアピンを探しているとクラスメイトの女の子が私の元に尋ねてきた。 ふたつでひとつのセットで、その片方を無くした、ちょうど私の頭に着いているものと同じだと。 私は、これはこの子のだ。返さなきゃ。と、頭では理解していたものの、何故か、「知らない。これは私のだ」と一点張り。 帰宅して学校から家に電話があった。 そうして母に事が伝わった。 母

          自伝14

          小学1年生。 色んな幼稚園や保育園から生徒が集まる。 今まで知らなかったことを沢山知った。 ある日、あまり接点のない女の子のクラスメイトからお手紙をもらった。 意味のわからない言葉ばかりで、家に持ち帰った。 そこには、「ぜっこうしよ」と書かれていた。 当然「ぜっこう」を知らない小一の私は、祖父母に意味を聞いた。 小一でその言葉を使うことに驚いた様子だった。 詳しくは覚えていないが、祖父母は大凡の意味を教えてくれたと思う。 その時私は、「遊んだこともないのになんでこんな

          自伝13

          無事に小学校へ入学したのもつかの間。 教室の外にある中庭の池にほぼ毎日落ちていた。 池の幅がギリギリ飛べるか飛べないかの距離なので、男の子に混ざって度胸試しみたいなことをやっていたのだ。 もちろん、ぽっちゃりの甘やかされて育った私は、そこにいた子達より飛べない。 それで落ちる。 そうして保健室の常連になった。 授業中は仲良しのお友達とお話をして、注意を受ける日々。 お話するよりも、注意を受けることが何故か好きだった。 自分を見てくれている、自分を構ってくれる、そう思っ

          自伝再開

          タイトルの通り、自伝を再開します。 一つ前の自伝の記事はこちらになります。 次の記事はいよいよ小学校へ入学の私。 今後もよろしくお願いいたします。

          自伝再開

          夏の朝露とアザミ

          夏は暑い。 朝のわんことのお散歩は日の出前に出て日の出と共に帰る。 少し涼しい日は日の出後も自然を楽しむ。 朝露で潤った草や土の香りに包まれながら、綺麗な空気を感じる空間が大好きです。 そんな空間に色鮮やかな濃いピンクのアザミ。 周りは緑が多いので自然のアクセントになりますね。

          夏の朝露とアザミ

          若いとまと

          ベランダにて鉢でも簡単にお野菜が育てられますよね。 色んなHowToが調べれば沢山出てくる時代ですし。 手間暇はかかりますが、自分好みに育てることもできます。 私はトマトが大好きなので、与える水を少なくし味が濃くなるようにしました。 自分で育てていると、一つ一つの変化が愛おしくなりました。 まだ緑色のトマトが、なんとも可愛らしく感じ、撮った写真になります。

          若いとまと

          玄関先で一人焼き

          一人大好き人間の私は、一人〇〇が大得意。 玄関先でサザエと焼き鳥を焼き食べました。 サザエ、大好きなんです。 一人の醍醐味。好きなものを好きなだけ。

          玄関先で一人焼き