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回顧録)症状悪化 寝不足と劣等感

2020年9月
東京に住んでいた私は、母親からの助言もあり実家がある仙台に帰ることにしました。

コロナ禍でオーディションもろくに受けられない、バイト先も休業や時短でしっかり働くことができない。
今思えば妥当すぎる判断だったけど当時の私は、

”東京に居なきゃ夢は絶対に叶えられない。”
”一回でも東京から離れてしまえば、同期に先を越されてしまう。”


こんな強迫観念みたいなもので周りが見えてなかった。
普段は静かに見守ってくれていて、いざという時だけは手を差し伸べてくれる母。感謝しかない。

コロナ禍で世界がストップしている今だからこそ、治療に専念するチャンス。今しかない。

発症から一年半経って、ようやくヘルニアと向き合うことを決めました。

2020年10月
最初にかかった病院は近所の整形外科。
小さな病院だったからMRIは無かったけど、リハビリの先生が何人も在籍していたから週一で通うことにした。

通院しながらバイトも始めたんだけど、ここから足の調子が一気に悪くなる。(坐骨神経痛)

1時間も立っていられない。
今まではたまにしか感じなかった足の痺れが、朝起きてから、夜寝るまでずっと続いている。
なんだか足の親指の感覚は麻痺してきているみたい。

ダンサーの友人からお薦めしてもらった整体も試しに通った。
そこはオリジナル施術が有名で、マイナスドライバーにも似た道具を患部にぐりぐりする(泣)
もうこれが本当に痛くて痛くて、毎回涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら暴れてた笑
施術の翌日はアザがとんでもなく出来る。
数回通ったけど劇的な効果は感じられなかった。

私には効かなかったけど、ダンサーの友人は一晩で治ったらしい。


リハビリも効果を感じられない、マイナスドライバーぐりぐり施術(笑)もただただアザを増やしていくだけ。
また病院を変えることにした。
ついに、合う病院が見つかりました…。
次は地域でも有名で大きな整形外科。
先生は何人かいて、もちろんMRIもあるし入院設備もある。

担当になった先生からは、治療を後回しにして無理をし続けていたことを早速叱られました。
さらに、

①飲酒、喫煙の禁止
②バイトの禁止
③ダンスを含む運動禁止
(④当時通っていた自動車学校に行くのを控える)

これを守るようにって。

今思うと当たり前なんだけど、後悔がどっと押し寄せてきて、先生の前で大泣きした記憶がある。

症状に気づいてからすぐに治療を始めていたらこんな事にはなっていなかったかもしれない。
泣いたって、後悔したってどうしようもないのにそんなことをぐるぐると考えていた。

2021年1月
この辺りから、横になるのもしんどいくらい痛みと痺れが悪化していく。
近所のスーパーまで歩いていくのも、途中途中しゃがみ込んで休まないととてもじゃないけど無理だった。

声が出るほど痛くて、母に私の部屋まで来てもらうこともあった。
来てもらったって痛みはどうにもならないのにね。
ごめん。母。

常に寝不足で、足をひきづりながら歩く。
私と同世代の子たちは楽しくショッピングしたり、何時間歩き回っても平気。
なのに私は靴下すらまともに自分で履けない。
SNSをひらけば養成所の同期たちがダンスの動画を上げたり、出演する舞台の告知をしている。

焦りと、不安と、後悔と、劣等感で
もうぐちゃぐちゃだったな。


今日はここまで。


次回の投稿では、次のステップ「ブロック注射」についてお話しようかな。
今回のブログの私めちゃ可哀想だけど!だんだん良くなるからね!安心してね笑

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