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好きでい続ける=才能

才能は殺されることがある。
 
最初は楽しかったはずなのに、
上を目指しているうちに、どんどん深みにはまっていき、
やがて壁にぶつかる時が来て、最後はやらなくなってしまう。
 
 
私の主人は7歳からクラシックギターを習い始めた。
大学のサークルではギター・マンドリンクラブに所属し、
社会人になってからも民間の音楽学校で再びギターを習い始めた。
多い時は1日12時間も練習をした。
学校ではセミプロ級と噂されていた。
その時に先生からコンクールに出ないかと言われ、
どんな雰囲気なのか事前に観にいったそうだ。
 
そのコンクールには、
当時、小学生の村治奏一さん(村治佳織さんの弟)が出場していて
小さな体に、父親から借りてきた大きなギターを使って、
主人が半年かかって習得する曲をさらりと演奏し、
ペコリと頭を下げて帰っていったそうだ。
 
その姿を観て「これは勝てない」と思ったそうだ。
それ以来、主人はキッパリとギターを辞めた。
 
世の中には、ずば抜けて凄い人が居て、
どれだけ頑張っても自分の能力では追いつくわけがない。
そう思った瞬間に人は諦めることがある。
 
 
私は美大出だが、美大の頃には才能がある人なんて沢山いた。
それでも世に出れる人は一握りだ。
 
私は、才能とは鉱物のようなものだと思っている。
採掘され、研磨されれば、それなりに光り輝く。
よっぽど恵まれた状況でないと宝石にはならない。
 
大概は、ただの石で終わる人生がほとんどなのではないだろうか。
自分の理想とのギャップとか、他人との比較が始まれば苦しむばかりだ。
 
もし来世があるとするなら、
今世で時間をかけて習得したものは、
次に生まれた時にはすでに備わっているということになる。
 
だとすれば、才能と呼ばれるまでには、
実は莫大な努力と時間がかかっている。
 
今世で実らなくても来世、来来世では才能が花開くかもしれない。
もし、才能というものがあるとすれば諦めない意思
“好きでい続けられる気持ち”ではないだろうか。

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