見出し画像

半月板を損傷し、縫合手術を受けて約一年が経ったので、入院生活やリハビリの体験談などを書いてみた

右膝外側半月板を損傷し、縫合手術を受けて約一年が経った。

老若男女問わず、この怪我に苦しむ人は多いと聞く。半月板損傷というとサッカー選手などスポーツをされている方に多いイメージかもしれないが、ぼくはまるっきり運動をしないインドア派。そんなぼくでも損傷してしまったのだから、誰にでも起こりうることだと思う。

今回はぼくの体験をもとに、半月板損傷から手術、リハビリ、その後の経過がどんなものかを書いていこうと思う。ぼくと同じ怪我で悩む人にとって、少しでも参考になれば幸いだ。

半月板損傷とは

画像1

膝関節のなかには骨の表面のツルツルした硝子軟骨と、三日月型の半月板(線維軟骨)の2種類がある。半月板とは、膝関節の内側と外側にあるC型をした板状の組織で、衝撃吸収と膝関節を安定化する機能がある。

半月板損傷とは、この半月板が何らかの原因で断裂(損傷)すること。原因としては、スポーツで膝をねじるなどの外傷による断裂と、加齢に伴う変性で起こる断裂がある。

ぼくが半月板を損傷したきっかけ

先ほどにも書いたようにスポーツとは縁遠い人生を送ってきたぼくだが、昨年1月末のとある朝、ベッドから起きようと布団を勢いよく蹴り飛ばした時に、右膝外側半月板を損傷してしまった(情けないが、本当にたったそれだけのことで)。

ものすごい激痛が走り、膝が外れたような感覚だったので、はじめは脱臼してしまったのだと思った。耐えられないくらい強い痛みだったので、急いで実家の父に電話して車を出してもらって病院に行ったところ、MRIを撮ることになり、そこで半月板損傷と診断された。

この時のMRI検査は地獄だった。痛すぎて足が伸ばせない・曲げられないのに、無理矢理伸ばして装具をはめて、30分間仰向けでジッとしていなければならない。検査中は絶対に動いてはいけないので、痛みをひたすら我慢し続ける、拷問のような時間だった。

部分切除術と縫合術

半月板は、周辺部の10~25%までしか血行がなく、それ以外の部位の損傷は自然に治癒しないため、多くの場合、手術が必要となる。

手術は関節鏡下におこなう。「部分切除術」または「縫合術」、あるいはこれら2つの手技を組み合わせて手術する。

部分切除術:
小さな断裂や治癒しない部位の断裂ではその部分のみを切除する。半月板の手術のほとんどがこの部分切除術であり、理由はほぼ自然治癒が見込めない部位であるため。術後の痛みはそれほどなく、手術翌日から松葉杖で歩き出せて、短期間で退院することができる。しかし、半月板を取ってしまうため、将来的に変形性膝関節症などを発症するリスクを伴う。

縫合術:
損傷箇所が治癒する可能性のある部位の場合は、その断裂部を縫合する。「半月板って、どうやらくっつくこともあるらしい」ということが近年判明し、実施されるようになった。血行のある部位の断裂にしか適用されないため、ケースとしては少なめ。術後はやや痛みがあり、ギプスによる固定、免荷(体重をかけないようにすること)、長期間の入院が必要など、部分切除術に比べてしんどいことが多い。代わりに、うまくいけば損傷した半月板が元通りにくっつくため、将来的なリスクは軽減できる。

ぼくが受けた手術

ぼくの右膝外側半月板損傷は、縫合術にて手術していただいた。

当初は部分切除術をおこなう予定だったのだが、いざ膝を開けてみると、半月板が根元のほうからブチッと切れていたそうで、根元付近には血行があるため、縫合すれば自然治癒する可能性があると判断していただいたようだ(その時、ぼくは全身麻酔で眠っていた)。

部分切除術なら半時間ほどで終わるのだが、縫合術の場合は1時間半~2時間ほどかかり、なかなかの長丁場。半月板の手術が得意な、腕のいい外科医の先生にやってもらえたのが幸いだった。

生まれてはじめての全身麻酔だったが、眠りに落ちるまであっという間で、麻酔に抗うことすらできなかった。否応なしに意識を闇に引きずり込まれる感覚とでもいうのだろうか、あれは貴重な体験だった。

目が覚めると、ぼくは病室で、手術をした右脚には大きなギプスが装着されており、陰部に尿道カテーテルが挿入されていた。このカテーテルがとてもつらかった。麻酔が切れてくるにしたがって痛みが増してくるのだが、尿が垂れ流しになっているので、陰部に周期的にじゅん……じゅん……と波打つような痛みがあり、朝まで一睡もできなかった。

翌朝、カテーテルを抜去される時も、カテーテルと粘膜が摩擦でこすれるので結構痛かったが、それまで感じていた痛みに比べると圧倒的にマシだったので、なんとか乗り越えることができた。

入院生活の体験談

それから、ぼくは2週間ほど入院することになった。

入院中は松葉杖を使って移動するのだが、右脚に大きなギプスがついているので思うように動けず、トイレに行くのも必死だった。また、夜中は尿瓶に用を足さざるをえず、巡回の看護師さんに回収されるのが恥ずかしくてたまらなかった。

お風呂には一週間くらい入れず、その間は看護師さんによる清拭で身体を綺麗にしてもらっていた。どうしても髪だけは洗えないので油っぽくなり、気持ちが悪かったのを覚えている。入浴の許可が降りると、介護補助のスタッフさんに介助されながら入浴することになるのだが、若い女性の方だったので、全裸の自分がこれまた恥ずかしかった。

また、毎食後に感染症予防の薬や痛み止めのロキソニン、胃薬などを飲むことになるのだが、これが地味につらくて、特にぼくは嘔吐反射が強く、錠剤を飲むのが苦手なので苦労した。処方される薬の量が多くて気が滅入った。

毎日、朝夕にある検温と点滴も嫌だった。もともと注射はキライなほうなのだけど(というか、注射が好きな人なんてなかなかいないだろう)、こうも毎日ブスブスと刺されると気がおかしくなりそうだった。

リハビリも、毎日あった。病棟内を松葉杖で一周したり、階段を昇り降りしたり、脚を曲げ伸ばししたり、徐々に体重をかけていったりということを、理学療法士さんについてもらって一生懸命やった。こんなので本当に歩けるようになるのか……? と半信半疑だったが、現に今、ちゃんと歩けているので、リハビリってすごいなと思う。

ぼくの病室は4人部屋だったのだが、他のベッドのおじさんたちがしょっちゅう放屁したり、医師や他の患者さんの悪口を言い合ったりしているのが本当に苦痛だった。注射やリハビリより、これが一番きつかったかもしれない。狭い部屋なので嫌でも耳に入ってくるため、イヤホンをつけて音楽を聴いたり、ゲームをしたりして気を紛らわせていた。

そんなしんどいことばかりの入院生活だったが、唯一の楽しみは仕事終わりの妻が毎晩面会にきてくれることだった。妻は2週間ほぼ毎日欠かさずに会いに来てくれて、面会時間の終わりまでずっとそばにいてくれた。つらいことは全部、彼女のおかげで乗り越えられたようなものだ。

家族や友人、職場の方も代わる代わるお見舞いにきてくれた。ぼくは自分を人間関係が希薄なタイプだと思っていたが、そんなことはなかった。入院してはじめて、人のありがたみがわかった。

完治

退院してからも、しばらくは月に一度のペースで通院する日々が続いた。それが次第に二ヶ月に一度、三ヶ月に一度という具合に間隔が空いていき、先日の診察をもって、執刀してくださった医師から、縫合した半月板が完全に癒合しているとの診断をいただいた。

つまり、これにて完治ということだ。長かった……!

だが、油断は禁物で、くっついた半月板は損傷する前に比べて強度が劣るため、将来的に再断裂してしまう可能性もあるとのこと。実際、半月板縫合術をおこなった人のうち、約30%が10年以内に再断裂しているようだ。

もっとも、半月板を損傷するのはスポーツ選手や運動をしている人が多く、そういった方々は術後にも競技を再開するため、それで再断裂のリスクが高くなるのだと思う。なので、ぼくのように日頃激しく身体を動かす機会が少ない人は、よほどの無茶をしないかぎり再断裂の可能性は低いのではないかと思う(というか、そう信じたい)。

手術から一年が経った現在、お陰様で日常生活に支障がないレベルにまで快復することができたので、これからも膝に気をつけて、安全第一で暮らしていこうと思っている。

いま半月板損傷で苦しんでいる方がいたら、ぼくでよければ話を聞くくらいはできるので、ぜひお気軽にコメントください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?