先天的って言葉を使う時は、「生まれつき」だけを意味しない

社会人になると社員教育などの文脈で「ある能力は先天的なものなのか」という話が出てくることがあります。

「先天的」は「生まれつき」という意味で、対義語は「後天的」です。

ただ、おそらく「先天的=生まれつき」の理解だと、「先天的」という言葉を使った議論で迷子になるので、このことについて書いていきます。

「先天的」という言葉が使われる場面

ビジネスの場で先天的という言葉が使われるときは、大抵何かの能力について語られるときです。
(医療現場での先天性という言葉については別の話です)

ある大事な能力(例えばコミュニケーション能力)があり、それが欠けている人についての話の中で、先天的という言葉が使われ、生まれつきなのか、生まれた後につく能力なのかという議論になります。

ただ、大抵この話は迷走します。なぜならこの話は生まれたときの赤ちゃんの能力の話に終止することになり、しかもその議論をする人たちは生まれつきの赤ちゃんの能力について全然詳しくないからです。実に不毛な話になります。
何も議論が進まないのに、「生まれつきの能力低くてもさ、努力でなんとかなるんじゃね」とかの話まで出てきます。知らんがな。

実際話したい問題は、ある能力に関して、
(前提)現時点の能力から考えて、
A. 今から訓練可能な能力か、
B. 能力発揮までの訓練が現実的な期間で可能か
ということです。

もう先天的という言葉が出る場面じゃないんですよね。

前提となる能力は現時点での能力なので、
生まれたときの初期値パラメータだけでなく、
生まれてから今まで培ってきた努力による能力も含まれます。


まぁ余談ですが何かの話をするときに、詳しくないのに原始的とか遠い先祖な話する人は大抵臭いですよね。今回の場合は生まれつきかいなかで、性善説/性悪説もそうです。
語ってその話のハンドリングに責任持てないのに生兵法で語るので、ふわっとした話になっちゃって。使った言葉の力に振り回されちゃうんですよね
まぁ考えちゃう気持ちはわかりますし、私も無意識でやっちゃいますが。

「先天的」が使われるときの意味

ただ、先天的の意味が違うよなんて言っても面倒くさい人と思われるだけですし、言ったとして前提を話すのが面倒です。
しかも、「先天的」という言葉もみんなが理解しやすい便利な言葉です。

ですので「先天的(能力)」という言葉を「現時点までの(能力)」くらいの認識で使えば使いやすいと思います。

新社会人含む社会人全員の能力開発について先天的という言葉を使う場合は、20歳までの能力
リーダー層のマネジメント層に対してなら、社会人歴5年の能力
学生に対してならその開始地点(高校1年とか受験始める時期とか)

その開始時期から○年とか現実的な期間で伸ばすメソッドを編み出せるか、ということを中心に話せば実のある話ができると思います。

まとめ

「先天的」という言葉について面倒くさい持論を書いてきました。この言葉も用法用量を守って使えば、大して説明なく円滑に共通理解を使って議論を進められるので、うまく活用してみてください!

おしまい

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