幸せとは未来に対して希望をいだいてる状態。自分の歴史を認識する

何も説得的でも無く論理的でもない思ったことメモを書きます。

幸せとは何かを考えてみました。何か幸せとは何かを考える時は「今自分が幸せか」をテーマにすると思います。今の自分の一時的な感情や長期的に感じている気持ちをテーマに時間軸や他人と比較することをすると思います。

しかし、大体の場合、今幸せな状態なときに、「幸せとは何か」については考えない気がしちゃいます。のろけ的に考えるときは多いと思いますが、みなさんが思う「幸せとは何か」を問うときの重さはそういうのろけではなく、切迫した感じを想像すると思います。

そういう切迫した「幸せとは何か」を考えるときの私なりの答えは「未来に対して希望をいだいてる状態」です。

幸せとは未来に対して希望をいだいてる状態

大抵「幸せとは何か」を考える場合って、今が幸せかだけを見る傾向がある気がします。自分の肩書だったり、楽しいことやれているかという今だけを切り取ることが多いんですかね。

そして結局わからないから、比較したくなり、過去と比較したり、幸福度合いなどを擬似数値化したりするのが、通例な気がします。「うーん、じゃあ今私は幸せなんですかねぇ」とか言っちゃって、結局納得言った答えが出たことないですけど。

ただ、「幸せとは何か」を考えちゃってる時点で結構切迫してるんです。なぜなら実際幸せな時期にはこういう事考えない、つまり、幸せじゃないときにしかこれを真剣に考えないからです(実際は幸せなときものろけで考えるんですが)。

納得できない答えでお茶を濁せないんです。

では、逆に「幸せな時期には幸せとは何かを真剣に考えない」のはなぜなんでしょうか。それは幸せなときには、「幸せとは何か」を考えるどころじゃなく他に考えることがあり、それが大事で楽しいので真剣に考える必要がないんです。

つまり「他に考えることがあり」、「その重要性が幸せを考えることよりも勝っている」状態というのが、幸せな状態といえるんじゃないでしょうか。

幸せじゃないときには、その欠乏感から「幸せとは何か」という言葉が時折頭をかすめます。そしてそのタイミングとは幸せじゃないと見せつけられる瞬間です。

仕事ができないことを気付かされた
社会の常識に合ったことができていない
上記に関連したことをまた言われそうだから打破したい

これはまとめると嫌なことがあり、それが再現される未来が予想できるので、解消されたいという状態です。つまり、未来に希望が持てない状態です。

ひどい状態になると、明日生きる気力がなくなっちゃったり、気力が全て負の方向に向かっちゃって、死にたいとか思っちゃうときがあります。

ただ、「仕事ができないことを気付かされた」とか「社会の常識に合ったことができていない」とかってできてなくても全然だいじょうぶなときがあります。それはどういうときかっていうと、「未来に希望が持てない状態」の逆で「未来に希望が持てる状態」です。

今頑張ってることが達成されたら良い未来がある。今の状態がいい状態だから、それをできるだけ続けたい。そういう状態のときって何かだめなことがあっても、良いことで打ち消せちゃうんですよね。

希望を持つって言うと大袈裟なので、明日の自分を想像したときに、楽に息ができる自分と息苦しそうな自分のどちらが想像できるかってことでもいいかもしれません。

なので、私は幸せとは「未来に希望が持てる状態」だと思いました。まる。

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