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【小説】ある男の九相観

九相観(くそうかん)・・・人間が病み、死んで、野に還っていくまでの9つの段階を観想する仏教の瞑想 (詳細は後述)

男は、泣きながら生まれてきた。

誰かを求めるように、大声で泣きながら、母の胎から生まれてきた。


「この子が、健やかに産まれてきますように」。

母は妊娠中、野菜やお肉、体に良い物を、なるべく食べるようにした。

少しでも、お腹の子に栄養を贈ろうと。

元気な子に育て、と祈りを込めて。

つまり男は、親の愛と、さまざまな動物・植物の命をもらって、この宇宙で、人としての形を成したのである。

男は、夜泣きがひどかった。

父や母は、夜中に何度も起こされ、疲れた体で彼を抱っこした。

人見知りも激しかったので、初めての場所に行くと、

「ここ、いやぁだ」

と泣きべそをかいて、母の足もとに隠れてしまうのだった。

「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ」

そんな子を、母と父はやさしく、辛抱強く育てた。

その甲斐あってか、小学校にあがるころには、男も友だちがつくれるようになった。

公園に行くと、他の子どもたちとジャングルジムを駆け回って、

「たっくん、もうご飯だよ!」

と母が呼んでも、

「もっと遊んでいくの!」

笑いながら、そう答えるのだった。

そんな彼を、夕陽が、やさしく照らしていた。

その後、中学校に進学したときのこと。

男は、初めての中間テストで、学年5位になった。

「おい、お前は何位だったんだよ」

クラスメートたちは、互いの成績を見せあって、大騒ぎしていた。

それを横目で見ながら、男は、

(自分は、この社会で、上位の人間なんだ)

そう感じた。

その後、大学に入ると、男は企業インターンに精を出した。

インターン先では、周りが驚くような営業成績を出し、

「●●くんって、本当にすごいね!」

「うちに入ってくれないのが残念だよ」

と褒められた。

「そんなことないですよ」

男は、謙遜しつつも、

「ぼんやりした連中と違って、俺は、特別な人間なんだ」。

内心、そう思わずにはいられなかった。

大学を卒業すると、男は半導体に関わるベンチャー企業に就職した。

周りからは、

「なんで安定している大企業に行かないで、そんな新興企業に行くの?」

と、選択を危ぶむ声もあった。

しかし、その後、生成AI(人工知能)が発展すると、AIに適した半導体の技術を持っていた彼の会社は、急速に大きくなった。

20代のうちから年収が1000万円を越えたとき、

「俺は、時代を見る目をもっていたんだ」

男はそう思った。

彼の同級生には、うつ病で仕事に行けなくなっている人もいた。

ブラック企業で薄給に苦しんだり、勤め先が倒産したりした人もいた。

飲み会や同窓会などで、そんな話を聞くたびに、

「いやあ、○○も大変だね」

と言いつつ、

(あいつらは、人生に失敗したんだ)

そう感じた。

順風満帆にみえた男の人生の潮目が変わったのは、30代半ばのことである。

男が36歳のとき、母が亡くなった。

脳梗塞だった。

突然のことで、男は、別れを言う間もなかった。

その翌年、母を追うように父も亡くなった。

彼は夕暮れ、両親がいなくなったマンションの一室にたたずんだ。

そして、わびしい気持ちで、父が愛読していた夏目漱石の本や、母が好きだったシベリウス(※)のピアノ曲のCDコレクションを処分した。

男は、両親が亡くなる前後から、うまく眠れない夜が増えた。

30代後半になれば、たいていの人は、体力が落ちてくる。

男も、例外ではなかった。

そんな男に追い打ちをかけるように、会社の事業環境も、どんどん厳しくなっていった。


その頃、世界のあちこちで、戦争が勃発した。

男の住んでいる国が直接、戦争に巻き込まれたわけではない。

しかし、輸出入が止まったり、海外のプロジェクトが撤退に追い込まれたりと、その影響は、多方面に及んだ。

さらに、深刻化する気候変動も、打撃となった。

AIを含むインターネットやコンピューター技術は、高性能になればなるほど、大量の電力や、冷却用の水を必要とする。

多くの国が干ばつに苦しむ中、大量の水や電力を消費するデータセンターの建設に、反対運動が起こるようになった。

それは、IT関連の産業全体に大きな影響を及ぼしたのである。

男は、

「しっかり仕事をして、金を稼いでいれば、世の中はうまく回る」

無意識のうちに、そんな前提をもっていた。

しかし、社会の変化は、彼の想像を超えていた。


男の会社は、軍事向けAIに関する事業を伸ばすことで、この苦境を乗り切ろうとした。

そんなある日、彼が関わっていたプロジェクトで、政治家への不正献金が発覚した。

男は、政府やメディアへの対応に追われた。

「本当は、あっちにも献金したんじゃないんですか!」

「それじゃ説明になってませんよ!」

「AIで作ったような謝罪文で、心がこもってない!」

記者会見では、メディアから怒号が飛んだ。

男が、不正献金に直接関わったわけではない。

しかし、

「ひょっとしたら、あれも違反になるんじゃないか」

いくつかグレーな、思い当たるふしがあった。

男は、毎晩のように悪夢にうなされ、夜中に目を覚まし、そのまま眠れなくなった。

そのうちに、彼はだんだん、疲れと無力感をおぼえるようになった。

こんなとき、30代半ばまでだったら、女性と甘い時間を過ごすことで、慰められたかもしれない。

彼は、容姿もそれなりに整っていたし、お金もあった。女性とそつなく会話することもできた。

そして、これまで複数の女性と付き合った経験もあった。

会社の不祥事がようやく落ち着いた40代のはじめ、男は、結婚を意識するようになった。

しかし、いざ女性たちと、ディナーの席で向き合ったとき。

彼は、何を話せばいいのか分からない自分に気づいた。

仕事がうまく行かず、性欲も、20代や30代に比べ、あきらかに弱くなっている。

そんな自信を失くした中で、女性と、どう関わればいいのか?

彼には分からなかった。


いくつかの挫折を経て、男が最終的に向かったのは、パチンコである。

駅前にあるパチスロ店で、きらびやかな光に照らされながら、玉がくるくる回転したり、人気のアニメソングが流れたりする。

その間だけ、男は、この世の物憂さを忘れていられた。

46歳になると、男は、心臓に痛みを感じるようになった。

はっきりとした原因はわからなかったが、酒の飲み過ぎが原因のひとつなのは、間違いなさそうだった。

「お酒の量は、控えたほうがいいですよ」。

医者は注意したが、男は飲むのをやめられなかった。

男は、ぼんやりと、

「俺の人生は、失敗だった」

という、苦い痛みを感じていた。

しかし、ではどうすれば成功したのか。

あるいは、そもそも、何が成功で何が失敗なのか。

分からなかった。

「今の社会は、間違っている」

男は、そうも思った。

しかし、なにがどう間違っているのか。

あるいは、「正しい社会」とはどんな社会なのかも、やっぱり分からないのだった。

そして、48歳の、4度めの干支を迎えた記念すべき誕生日。

マンションのバスルームで入浴中、男は心臓発作を起こした。

そして、そのまま死んでしまった。

意識を失うのは一瞬だったので、男が不幸を感じたかはわからない。

ただ、男の脳が電気信号を発しなくなると、「自分」という幻想も消え去ったのだった。

湯船に浮かぶ男の死体を、窓から入る夕陽が、やさしく照らしていた。

男の死は、しばらくの間、誰にも気づかれなかった。

男の住んでいたマンションは、プライバシー保護のため、できるだけ住民同士が接触しないよう設計されていた。

そのため、周りで、彼の死に気づく人は誰もいなかった。

また、同僚からは、

「どうせ、いつものサボりだろ」

と思われていた。

男は、このころ、パチンコのため仕事を無断欠勤することが増えていたのである。

しかし、大型連休が過ぎて1週間がたったにも関わらず、電話やSNS、メールにも返信がないとなると、さすがに同僚たちも、異常に気づくようになった。

会社から連絡を受け、マンションの管理人が、様子を見に行くことになった。

男の部屋は、タワーマンションの25階にある。

そのドアの前に立ち、管理人は、何度もインターホンを鳴らしたが、返事はなかった。

「●●さん、いないんですか?」

「開けますよ!」

イライラしながら、合鍵でドアを開けると、

「うっ」

鼻をつんざくような、すさまじい異臭がした。

湯船の中で、男の体はすでに溶け、真っ黒な液体と化していたのである。


この頃、都会では、孤独死はもう珍しくなくなっていた。

とはいいつつ、この管理人がその現場を見るのは初めてだったので、

「うわあぁぁ」

と大声で叫び、大量のハエにたかられながら、あわてて外に飛び出した。

このときに踏みつぶしたウジのサナギの「ぶにゅっ」とした感覚が、あまりにも気持ち悪くて、管理人はその後も、思い出すたびに吐きそうになった。


もっとも、このマンションでは”孤独死保険”に入っていたので、その後の対応はスムーズだった。

警察の現場確認や遺体引き取りの後、すぐに特殊清掃会社の人間が来て、見積もりを行った。

バスルーム周辺はあまりにひどい状態だったので、あちこちを交換しなければならなかった。

また、排水管の中までウジの卵などが入り込み、清掃も、かなりの労力が必要そうだった。

それでも、孤独死保険の掛け金が高額だったこともあり、家の損害は、保険金で十分カバーできるものだった。

なので、原状回復の作業は、すぐに行われることになった。

このとき派遣された特殊清掃会社のスタッフは、自らも友人を孤独死で亡くしたことがある、初老の男だった。

彼が男の家に入ると、死体があったバスルーム以外は、かなり整理されていた。

リビングの本棚には、

『ギャンブル依存からの回復』
『40代後半からの人生逆転』

そんな本が、読まれないまま、ほこりを被っていた。

その隣には、武満徹の「弦楽レクイエム」(※)のCDがあった。

母の遺物で、捨てそびれたものらしい。

別室をのぞいてみると、大量のアダルトグッズとともに、彼のかつての恋人の写真や、学生時代のアルバムなどが乱雑に散らばっていた。

その中で、ふと、1枚の写真がスタッフの目にとまった。


小学校のサッカークラブで写したものらしい、古ぼけた写真だった。

そこでは、ユニフォーム姿のまだ幼い男が、チームメートたちと肩を抱き合っている。

希望に満ちた、屈託のない笑顔を浮かべて。


夕暮れの光が差し込む部屋で、スタッフは、それを悲しく見つめた。

そして、息を吐き、ゴミ袋に写真やアダルトグッズなどをまとめていった。

全ての清掃が終わると、彼は合掌し、小さくつぶやいた。

「今まで、ほんとうにお疲れさまでした」。

男は、泣きながら生まれてきた。

誰かを求めるように、大声で泣きながら、母の胎から生まれてきた。

そして、成長すると、

「俺は特別な人間なんだ」
「俺は、1人で生きていける強い人間なんだ」

と思うようになった。

しかし、実際には、たくさんの人や植物、動物たちから、命をもらってきたのである。

彼は、他人のつくった道路を歩き、地球から与えられた水を飲み、いろんな人と、生きるためのエネルギーを交換し合ってきた。

そして死んだ後、ウジに食べられ、分解され、この地球に生きるすべての生き物と同じく、宇宙をとりまく物質連関の中に還っていったのだった。


◇◇◇◇◇

目が覚めると、私は、炎王寺の「胎内めぐり」(※)の中にいた。

どうも、夢を見ていたらしい。


私は本日、自治体のDX(※)推進に向けた営業提案で、瀬戸内にあるK県夕凪(ゆうなぎ)市を訪れたのだった。

プレゼンは緊張したが、市長や福祉、総務関係の部長からもお褒めいただき、

「よっしゃ!これで2000万円の案件は、うちのものだ」

と、心の中でガッツポーズした。

さて帰ろうと思っていたところ、若い職員が、

「夕凪市にはいろんな見どころがあるけん、よかったら、観光も楽しんでいってください」

と、パンフレットを渡してきた。

その中を見ると、「炎王寺」というパワースポットが目についた。

帰りの飛行機まで、まだ時間もある。

「うちの会社が無事、受注できますように」

とお参りに行こうと思った。


炎王寺を参拝すると、まだ30代らしい副住職が、本堂の隣りにある岩屋を指し、

「あれは『胎内めぐり』と言って、岩の下にある地下道を歩けるようになっとります」

「中にはお大師様(※)の像があるけん、よければ、その前に少し、座ってみてください」

そのようにおっしゃった。

地下道は、自分の手も見えないほどの暗さだった。

その中を、副住職に教えて頂いたとおり、私は、壁に手を突きながら歩いていった。

深い暗闇を歩いていると、なんだか、別の宇宙をさまよっているような気分になった。

少し歩くと、ロウソクの灯りに照らされた、空海の石仏があった。

その前にある座布団に腰を下ろし、私は空海像を見つめた。

半眼の空海は、どこか、宇宙の深みを凝視しているようだった。

その姿を見ているうちに、疲れが出たのか、眠ってしまったらしい。

夢を見たのは、ほんの1〜2分だったようだ。

ロウソクの長さはほとんど変わってなかった。

空海像は再び、そこに鎮座していた。

しかし、その空(くう)を見つめる眼差しは、いっそう深く、激しくなっているようだった。


奇妙な夢だった。

なぜ、自分になんの関わりもない男の一生を、夢に見たのだろう?

訳がわからない。

しかし、夢の後、私は、なにかが変容したような、言いしれない気分になっていた。

ふと、自分の歩いてきたのと別の方向に、かすかな光が見えた。

あれは、出口だろうか。

光に向かって歩きながら、私は、これからの人生を想った。

(終)

※九相観・・・人間が病み、死んで、野に還っていくまでの9つの段階を観想する仏教の修行。美しい女性が病み、死んでから死体が腐敗し、獣たちに食べられ、骨となっていく様を描いた「九相図」という絵があることでも知られている。

※シベリウス・・・ジャン・シベリウス(1865-1957)。フィンランドの作曲家。自然の情景をテーマにしたピアノ曲が複数ある。

※武満徹・・・日本の作曲家(1930-1996)。「弦楽レクイエム」は1957年に作曲されたもので、「はじめもおわりもさだかでない、人間とこの世界をつらぬいている音の河の流れの或る部分を、偶然にとり出したもの」とのこと(CD『エア,弦楽のためのレクイエム』(1996)掲載の、作曲家自身の解説より)

※胎内めぐり・・・仏の胎内にみたてた暗闇を通ることで、生まれ変わり、心願成就することを祈る仏教の修行のひとつ。「戒壇めぐり」「胎内くぐり」などとも言い、類するものが、京都府の清水寺、香川県の善通寺、妙見宮(三豊市)などにあることで知られている。

※DX・・・デジタル化を進めて業務を改善・効率化すること

※お大師様・・・弘法大師空海のこと

本作品は、中国の故事「邯鄲の夢」とレフ・トルストイの小説『イワン・イリイチの死』を翻案したフィクションです。実在の地域や人物・団体とは一切関係ありません。

なお、孤独死については、『事件現場清掃人 死と生を看取る者』(高江洲 敦著、飛鳥新社、2020)ほか資料を参考にしつつ、作者の想像を交えて記述していることをお断りします。


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