置かれた環境と自己認識のはなし
自身を取り巻く周囲の環境が一体どういうものなのか、ということに気付いて疑問を持つことって本当に大事 自分にとっての普通は他人にとっての非日常なので
私は第一子同士の第一子で親戚の中でもいちばん年上、かつ森を切り開いてできたばかりの振興住宅地に 二歳のときに引っ越してきた核家族で、だから周りには「自分より少し年上の知り合い」などほとんどおらず、友達も自分と同じように第一子ばかりで、だけどそういう環境(開拓地、かつ車がなければ生活すらできない環境)だったからこそ公立校(しかない)でも割と凹凸は激しくなかったような気がする
ただ 私だけかもしれないけれど、周りに「それは普通ではない」ということを教えてくれたり、色んなことを教えてくれる年上のひとはいなかったから、本当に何も知らないまま育って、受験なんてものも全く知らなくて、外の世界も全く知らなくて、閉じられた世界で育った
だから定時制の高校に入って、はじめて目の当たりにした凹凸の様相に驚いてしまった 当時の友人や知り合いには申し訳ないけれど……。
美談とされるのは成績の良さではなく「どれだけバイトに勤しんでいるか」であって、「出席日数をテストの点数に含める」という決まりは、私にとっては「テストは満点なのに一日休んだせいで99点にされる」罰だったのに、多くのひとにとっては「赤点を逃れられる」救いだった事実に天地がひっくり返ったし、私以外には誰も四年制大学を受験するひとはいなくて、そういった説明等も学校では何もないのでぜんぶ自分で情報とか集めて準備して、放課後や休日、個人的に先生に小論文や面接の練習に付き合ってもらったり……
中学の頃から四年制大学に行くことは当たり前だと思っていたから、本当に、びっくりした
だけどずっと不思議に思うことは、どうして中学生以降の私が大学に行くことを当たり前だと思っていたかなんだよな 身内の知り合いでは現状私がいちばん高学歴(って実際言われてなんか苦笑してしまった……)で、もちろん当時大学生の知り合いも大学に行ったひととの関わりもないわけで、だけどずっと、大学に行くことを当たり前だと思っていた どうしてだろう、本当にわからないんだけど、それに疑いを抱かせず本当に通わせてくれた親には感謝しかない
フォロワーさんもみんな当たり前に大学に行ってたから、実際に大学生になってもやっぱり当たり前だと思っていた
本当の意味でこれが当たり前ではないということに気付いたのなんてほんの一〜二年前……(高校はここが特別そういう場所だからだ、自分が凸というわけではないと思っていた)
だけどみんな一生懸命に生きていて、魅力的だった 私の知らない世界で生きていた 泣きたくなる
あの世界を知ることができて良かった。
20.08.14
なにか感じていただけましたら、よろしければ。よろしくお願いいたします。