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それは確かに、きれいなもので

今でもたまに、あの、今思えば「きたない」溝に手を突っ込んで、そこに溜まった太陽を反射する雨水の、きれいな光を思い出す。
きっと、きれいな心は、きたないものですら、きれいに浄化してしまう。

大人の目の届かない、低木の寄せ植えの根本に潜り込んで、その小さな空間を「ひみつきち」と定義した。
そのすぐ隣に見える、雨水の溜まった溝、そこには毎年蛙の卵が産み落とされて、おたまじゃくしやアメンボの住み処となる。
生活科の授業のとき 虫かご型の小さな水槽を持って、私はおたまじゃくしを捕まえるため、溝の中に手を差し入れる。何度かチャレンジをして手の中に収めたおたまじゃくしの感触は、くすぐったいような、きもちいいような、ふしぎなものだった。
そこに少しの水を入れ、大切に家に持ち帰り、パンくずをあげて育てる。尾が退化していき、手足が現れ、いつの間にか 水槽からはぱたんぱたんというような 跳ね回る音が聞こえてくる。そうなると、蛙を庭へと放してやる。毎年、それを繰り返す。

今では、ひみつきちを作ったあの場所も、おたまじゃくしを捕まえた溝も、コンクリートに埋め立てられ 駐車場となってしまった。
昨今、あの小学校に通う子どもたちは、知らないのであろうか。

大人たちの立ち入れない、木々の隙間を潜り抜けて辿り着く、木漏れ日の中のひみつきち。
何とも言葉にし難い、手に収めたおたまじゃくしの感触。

そして、透き通るようにきれいな雨水が、太陽の光を反射してきらめくさまを。


以前、試験の時に書いたレポートの内容を思い出しつつ、頭に浮かんできたものを書き出してみました。
ちょうどその試験が行なわれたのと同じ教室での講義中、吹き込んできた風に、おたまじゃくしを捕まえていた季節もちょうど今頃だったなと……。

その時書いたレポートの内容は、
「自分が小さかった頃はまだまだ自然に触れることのできる場所があったけれど、かつては自然の中にあった小学校も今や安全性と利便性からコンクリートに囲まれ、周囲の空き地や林も住宅地として開拓され、子どもたちは普段から自然に触れられる機会が 昔と比べると、うんと少なくなっているのではないだろうか。これまでに幾つかの、全国での事例を見てきたように、もし叶うのならば、あの小学校に自然を取り戻したい」
という、自分の見知った場所にビオトープを作るなら、みたいな課題のものでした。

その後家族に話して、結構本気で考えてみたりもしたのですが まあ夢物語に近いですよね。
(中略)
まあ、技術や経験、指導力、人脈、交渉力まで何を取っても現段階では夢物語に過ぎないのですが、でも勿体無いなあと思うんです。とても。

いくらお金を出しても買えない、光り輝く宝石よりも よほどきれいな光景が、確かにそこにあったのに。

2016.05.13

昔のブログから発掘しました。今では本当に夢の中の話のようです。たった1年半前のことだというのに。

2017.10.21

なにか感じていただけましたら、よろしければ。よろしくお願いいたします。