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僻地コンプレックス

いまさら気づいたんだけど、私の最大の(そのほかはあんまりない)コンプレックスって「ド田舎コンプレックス」ではなく「僻地コンプレックス」なのだろうな……と思った
たぶん ふつうに生活できるならここまでにはならなかった気がする……

散歩すらしたくてもできないのだ
車でないとどこにも行けないから歩いてるひとなんていなくて、外を歩けば不審がられて注目浴びるし、駐車場のある公園までしばらく運転して行ってもひと気はなく、知らないおじさんと二人きりになることもざらにあり、山奥だから誰にも声は届かない
怖くてとても散歩なんかできない 生活の破綻……

何も知らないうちはそれが当たり前だと思って生きてきたけど、一度外に出てしまうと 知識と経験を得てしまうと 文化的なもの以上に(それもめちゃ大きいけど)、基本的な、人間的な生活が成り立っていないというそれがどんどん肥大化して手に負えなくなってしまう
不便じゃなくて、無便なのだ

どんなに……どんなに必死にいいところを見つけて好きになろうと頑張ってるか……頑張り続けてるか……泣きたいくらいに……
「僻地」から下山した「田舎(ここまで行かなければ生活できない、ふだんの活動場所)」は海を始めとして好きなところが多いけれど、たくさんの良いところがあるけれど、この僻地は……好きにならなきゃいけないのに、良いところがなにもない……

ただ車に乗って降りるだけの場所で、故郷と言われてもいつも通う田舎のほうを思い起こすし、でも……住んでいるこの僻地を……愛さないといけないはずで……私は常に文化に触れて刺激を浴びていたいというのを抜きにしても、マイナス感情に囚われてしまって、申し訳なくてずっとすごくくるしい

これを解決するにはもう「ここから離れる」しかないんだけど、この体ではずっとどうすることもできず、余計に肥大してしまった 現実は手厳しい
土地に対して本当に申し訳なくてつらいのだ 土地はなにもわるくないのに ただ人間の社会の問題なのに 私が弱いからなのに…………

でもこんな感情を持つ人間がずっとこの場所にいるほうが申し訳ないので、とにかくがんばって「生活ができる」場所に移る
ふつうにこのままじゃ未来はないし いつまで運転免許を持っていられるかのカウントダウン 視力低下との戦い

愛したくて努力をし続けたという 努力だけは自分を許す材料にすることを許されたい
はやく……行くぞ

なにか感じていただけましたら、よろしければ。よろしくお願いいたします。