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嫌なギャップ

裏表がある、何考えているかわからない、内心どう思っているかのか、

などなどネガティブな表現。

一見怖そうなのに実際はすごく天然、可愛い、ギャップ萌え

などなど、ポジティブな言葉。


要するに外側から見えている顔つきと実際が違う。ということなのだけど、
映画などにも予告・ポスター前評判などでそういうことが多々ある。


所謂ホラーの他にも、虫、暴力・・・私は見ることのできないものが多い。

昔はそういうシーンも耐えられた、というのも昔は技術もあるのだろうけれどまあまだどうにか薄目、手隠しなどで凌ぐことができたのが、ここ最近はもう怖すぎ、リアル過ぎて全く見ることができない。

だから映画などでもそういうシーンが多くないか、事前にすごく吟味してから見るかどうかを決める。

一番厄介なのは、顔つきが面白そう、楽しそうなのに実際観るとまさかこんなに怖いとは・・・というタイプのものだ。

もうかなり前になるけれど、「スラムドック・ミリオネア」という話題になった映画があった。

クイズ番組を見ていると家のリビングが会場になるようなクイズ好きの家庭に育ったので、「これ、めちゃくちゃ面白そう! きっと映画館が楽しいクイズ番組の中みたいになるんだろうね!」と真ん中の方の見やすい席を取って行くと、初っ端から拷問シーンの連続で、わわわと思ったものの出ようにも出られずこっちも精神的にダメージを受けフラフラになってしまった。

もちろんラストは駅で楽しそうにミュージカルみたいになったのをギリギリ記憶しているので、最後まで辛いとかではなかったのだと思うけれど、とにかく楽しそう!と思わせておいてこの仕打ちはない(勝手に勘違いしていたのもあるが)と思った。

この嫌なギャップ映画、それこそ「スラムドック〜」のダニーボイルも時々やるし、イーストウッドもその傾向がある気がするが(イーストウッドは楽しいという顔つきにはしないのでまだいい)
とにかく私の中のこのジャンルの巨匠、中心人物はタランティーノだ。

「キルビル」を初めて観たときも、同様だった。というかもう怖過ぎて途中までしか観れなかった。タランティーノはダメなんだ、無理だ、ものすごく楽しそうに見えてとても良くできた映画なのはわかるけれど、とにかく暴力シーンが怖すぎる、と判断するまでに時間がかかった。それくらいお楽しみも多いからだ。

観れないならみなければいい、そう決めてしまえばそれまでなのだけど、それでも観るかみないか葛藤が生じるのは素晴らしい作品だからこそ起こるわけで、すっぱりと諦めてしまうのはなかなか難しい。

ダメだ絶対観れない、と言いつつタランティーノの作品も結局ちょこちょこみてしまう・・・もちろんいつもガイドつきで(本当にダメなシーンは事前に来るよくるよと教えてもらう)

ギャップって特に異性とかについてだと良い意味で使われることが多いけれど、こと映画に関してはあまり喜ばしくない気がする・・・

いやでもだからこそ惹かれるのか、とも思うし、まだまだ観るかやめるか、葛藤は続きそうだ。


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