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mameを着るとき

久しぶりに新しい服を買った。
二ヶ月ぶりくらいのこと。
mame Kurogouchiのプレフォールのニット。

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なぜ、服を買っていなかったのか。
まず、出かけられなかったし、お店も閉まっていた。というのはある。
じゃあ、ネットで買ったら?
ネットではどこの店もオフキャンペーンをしていた。
でも、買わなかった。

なんでだろう?
買ったとして、服を着て出かける場所がないから、
新しい服を着ても、誰にも会うことができないから。
誰かのために、服を買うんだろうか?
なんのための、服なんだろうか?
服ってなんなんだろう・・・
考えていたらちょうどFIGAROで、インスタグラマーDの特集があり

「ファッションってなんですか?」

という言葉が目に入った。
読んでまた考えた。

今、少し状況が落ち着いたというのはあると思う。
でも、入荷のお知らせやインスタで新作の写真をみたら、
誰に会うからとか、どこに行くから、は関係なく
次のシーズンの服を買っていた。

服に込められているものはそれぞれ違うと思う。
単純に機能性だったり、着心地だったり、肌触りだったり。
形だったり思想だったり、歴史だったり。

mameの服には、空間や色、風景の記憶や、感情が織り込まれている。
どこかで通り過ぎてしまったけれど、どこかで目にした緑の揺れ、
桃色の優しさや、いろんな青の光、
風の色、匂い、その瞬間、肌に触れた音。
そんなふうにいつか纏って流れていった瞬間を、糸にして、布にして
服にして、もう一度身につけさせてくれる。

だから、こんな時こそ、欲しいと思ったのかもしれない。
mameを着るとき、私は、気づけなかったいつかの愛おしい瞬間と同化している。


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