人狼TLPTの上演の特異な魅力ー「魅せる人狼」に演劇の未来を想うー


1.はじめに

幸福なことに私たちの生きる現代には数多の芸術が溢れ、望めばその多くに簡単にアクセスすることができる。テクノロジーの発達や情勢の移ろいによって姿かたちを変えたものや新たに隆盛したものなどその種類は実に多様で、受け手はそれらの中から気に入りのものを選択して楽しむことができるのだ。

 ところで、昨今世界を脅かす新型コロナウイルス(COVID-19)の流行は、人々の日常を大きく変えた。日常を奪った、と言い換えてもいいかもしれない。国内の感染者は二〇二〇年一月十六日、中国滞在歴のある神奈川県の三〇代男性の罹患が確認された[1]のを皮切りに増加の一途を辿り、現在の累計検査陽性者数は一七六九五三人(十二月十二日時点)、死亡者数は二五六一人(十二月十二日時点)[2]と猛威を振るっている。殊に二〇二〇年四月に緊急事態宣言が発令されて以降、私たちの当たり前だった生活は様々な点で変容したように思う。季節を問わず人々の顔をマスクが覆い、都心はかつてない程に静まり返った。生活必需品の供給不足や買い占めは各地で大問題となり、感染者やコロナ禍で働く人々への心無い言動が報じられることも珍しくなかった。こんな世界であったから、演劇を始めとする娯楽は自粛の波に飲まれ、活動停止を余儀なくされた。あれから早一年。非日常は日常に変わりつつある。コロナウイルスはまだ消えない。

そんな暗い世の中でも、芸術が消えてなくなってしまうことはなかった。人々は外出自粛で積もりに積もったストレスを発散するように、一時遠ざけた娯楽を求めるようになる。実際、鬱憤の溜まった世間を随分と救ったように思う。いつの時代も芸術は人々に寄り添い、余裕を与え、或いは心を代弁し、楽しませてきた。時代が変わってもその性質が変わることはない。

そして芸術そのものも、困難な状況に立たされながらもこの時代に合った新しい形を模索し、生きようとしている。

 例えば日本の映画産業においては、配給大手の東宝の決算を例にとって見てみると、二〇一九年度、同社配給の作品『天気の子』が興行収入一四〇億円の大ヒット、他にも人気アニメの劇場版『名探偵コナン 紺青の拳』や『映画ドラえもん のび太の月面探査記』、実写作品『キングダム』や『記憶にございません!』などの好調により、最終利益三三六億九〇〇万円(二一.一%増)と過去最高を更新していたが、二〇二〇年度八月の中間決算では、全国の映画館の休館や演劇興行の中止などを受け、四八%の減益。最終利益こそ黒字を確保したが、全体で八〇%超の大幅減益となった。同じく配給大手である松竹に至っては、映画興行の不調に加えて歌舞伎座や新橋演舞場などでの公演の中止がたたり、前年同期比六〇%減、全体では九〇億円もの大赤字となった[3]。しかしこのような苦境の中でも、東宝はスタジオジブリの名作『風の谷のナウシカ』(一九八四年)、『もののけ姫』(一九九七年)、『千と千尋の神隠し』(二〇〇一年)、『ゲド戦記』(二〇〇六年)の四作品をリバイバル上映して話題を呼び、興行通信社が発表する全国映画動員ランキングでは三週にわたって『千と千尋の神隠し』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』が上位を独占、四作品の合計興収は二〇億を越えた。[4]入場規制を行っていた時期に、である。他にも、後述するが、このコロナ禍に公開中の『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は興行収入の歴代ランキング一位に躍り出て、なお盛り上がりを見せている。

また世界の映画分野としては、カンヌや東京など二十一の映画祭が参加したオンライン映画祭“We Are One : A Global Film Festival”の開催が目を引く。五月二十九日から十日間にわたって行われたこの映画祭では百本以上の作品が上映され盛況した。この映画祭に向け短編映画を作成した映画監督の深田晃司氏は「こういう時だからこそ、オンライン映画祭という試みは面白いと思った。新型コロナウイルスの影響で仕事を失ったり、友人や恋人に会えなくなったりして、生きる価値を見失っている人もいると思うが、価値観が揺らいだときに寄り添えるものが文化や芸術だと思う。今回の映画祭が新しい映画に触れる機会となり、映画を好きになる人が増えてほしい。」[5]と述べている。

漫画では吾峠呼世晴氏の『鬼滅の刃』が絶大な人気を博している。集英社『週刊少年ジャンプ』にて二〇一六年から連載されているこの作品は、二〇一七年八月にコミックス発売(一五〇万部)。二〇一九年四月にはアニメ放送開始をきっかけに発行部数を伸ばし、放送開始前まで四五〇万部だった発行部数は、放送終了後の同年九月二九日には一二〇〇万部、二〇二〇年一月二八日には四〇〇〇万部と上昇。世界がコロナウイルスに侵され始めたこれ以降も勢いは衰えるどころか増すばかりで、同年五月には六〇〇〇万部、七月には八〇〇〇万部、一〇月には一億部を突破[6]。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。また二〇二〇年一〇月一六日公開の同作品の映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』はコロナ禍での公開開始にも関わらず爆発的にヒットし、公開僅か三日で三四二万人を動員、その二週間後には動員一一八九万人超、興行収入は一五七億円を数え、日本の歴代映画興行収入ランキング十位に[7]、そして同年十二月二十八日、公開から七八日で三二四億円を記録。十九年間変わらなかった歴代一位の『千と千尋の神隠し』をいとも簡単に抜き去った。

音楽の分野でも映画館などと同様にライブハウスの閉鎖やコンサートの延期が大きな影響を及ぼした。テクノロジーの向上によって誰でもどこででも音楽に触れることできるようになったことで、音楽業界を支えるものがCDなどの媒体の売り上げからライブなどの興行収益に変わってきた時代にあって、これは大打撃であった。しかしやはり、音楽も新たな形を生み出し進化を遂げる。「THE FIRST TAKE」[8]は、二〇一九年十一月五日に開設されたYouTubeチャンネルである。真っ白なスタジオに一本のマイクが置かれただけの空間で、プロのアーティストが一発撮りでパフォーマンスを披露する。時には歌詞を間違えたり、歌うパートを間違えたりもするが、関係ない。その一回がそのまま公開されている。この独特な空気感の演出とアーティストの本気のパフォーマンスが、録画された映像でありながら確かなライブ感を生み出し、チャンネル登録者数はわずか一年で三一九万人に上るなど注目されている。

では演劇はどうか。演劇には何ができたか。コロナウイルスの流行に伴う自粛要請を受け、他の分野同様、演劇もまた厳しい状況に置かれたわけだが、明るい話題は何かあっただろうか。演劇はその性質上、多方面で見られた「オンライン化」とは相性が悪く、「ZOOM演劇」などといったオンラインでの演劇も行われはしたが隆盛とはいかなかった。野田秀樹氏が提出した“ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは「演劇の死」を意味しかねません。(中略)けれども劇場閉鎖の悪しき前例をつくってはなりません。(中略)「いかなる困難な時期であっても、劇場は継続されねばなりません。」(後略)[9]”といった意見書や、これに賛同し丁寧な説明を加えた平田オリザ氏が炎上した[10]くらいである。演劇界において知らぬ人はいない“平田オリザ”の名も世間に出れば全く浸透しておらず、その名前から「きれいな女性を連想した」「何かのアニメのキャラクターのよう」などとある種の大喜利のようなものがネット上を賑わせるほどであった。このことからも見て取れるように近年、コロナウイルスによる非常事態でなかったとしても、演劇という芸術ジャンルの置かれた状況は決して良いものではない。劇場の経営状況という観点から見れば、演劇興行を主軸におく劇場は軒並み経営難で、不動産業など別の収入に頼らざるを得ない状況が続いており[11]、他のジャンルの後れを取っているのだ。

そんな演劇界にあって、ライブ・エンターテインメントの中でも異質な形での上演をもって台頭し人気を集めているものがある。『人狼TLPT』である。俳優たちがプレイする人狼ゲームを演劇、舞台芸術として見せ、更に演劇界においては早くから配信の形を確立し「魅せる人狼」と表されるこの企画だが、その最大の特徴はゲームプレイが「ガチ」であるところにある。俳優たちが実際に人狼ゲームをプレイする、つまり、すべてアドリブなのである。オープニング、その公演の設定を固定するための導入部分以外には一切の台本がなく、終演までアドリブで駆け抜ける。

この“全編アドリブである”ということは、初めから終わりまでの脚本に演出のついた芝居と何が異なるのか。この相違点に、人狼TLPTの魅力と今後の演劇のさらなる発展へのヒントが隠されているのではないだろうか。

そこで今回私が推察した相違点は「二重性」である。舞台に上がる十三人の俳優たちは、その公演のその設定における役を演じながら、同時に人狼ゲームをプレイする上での役(役職)をも演じている。一方の観客の内にも、開演と共に紡がれていく一回きりの物語を観る観劇者と、人狼ゲームの勝敗を観る、言わばスポーツなどの試合を観ている観戦者のような立場が共存することになる。俳優と観客双方の中に「二重性」を生むこの舞台の特異な性質こそは、これまでの芝居と一線を画す、演劇の新たな形になり得ないか。本論文ではこの「二重性」を上演分析の問題と設定し、考察をしていく。そしてもし人狼TLPTが「二重性」を持っているのならば、これまでの演劇にとって最も大切な要素とされてきて且つ先のコロナ禍にあって崩壊した演劇の「ライブ感」に関して、人狼TLPTはその性質のためにオンライン、配信であっても魅力を保つことができているのではないだろうか。この新たな試みに対する新たな視点が、現代まで脈々と受け継がれてきた演劇分野の更なる発展、或いは衰退を食い止める一助とならんことを祈って、まずはこの舞台の「核」である人狼ゲームについての説明から始めていきたい。なお、本論文では特に徹頭徹尾、脚本・演出のあるものを「演劇」と呼ぶことを承知されたい。

 

2.人狼ゲームとは

 トランプやUNOと言ったカードゲームや、チェスやリバーシ、人生ゲーム、カタンなどといった、コンピューターを用いずに行われるゲームのことを、アナログゲーム(無電源ゲーム)と言う。対人で行うことによって発生するコミュニケーションとそれに伴う一回性は、アナログゲームの大きな魅力の一つと言えるだろう。

人狼ゲームもその一種だ。比較的大人数向けのコミュニケーション型アナログゲームで、嘘と真実が混ざり合う中で誰を信じ、また誰を疑うのかという心理戦が醍醐味の一つである。参加者は村人と人狼の二つの陣営に分かれて戦う。村人の中に紛れた人狼を全て処刑することができれば村人陣営の勝利、処刑を逃れ村人陣営の人数を自陣営の数以下まで減らせば人狼陣営の勝利である。

参加者はまず、役職の書かれたカードを引き、それによってどちらの陣営に属するかを決める。人狼の人数や役職の数は参加者の人数、レギュレーションによって異なるが、参加者八~十四人に対して人狼二~三人が一般的である。参加者は自身のカードを確認し自らに充てられた役職を把握するが、他の参加者がどの役職を持っているかはわからない。ただしこの時人狼はお互いの存在を確認できるため、ゲーム中は協力してのプレイングが可能となる。

人狼ゲームは昼と夜のターンを交互に繰り返すことで進行する。昼のターンは言わば会議のターンである。プレイヤーは誰が人狼かを話し合い、最も疑わしい者を投票による多数決で決定し、処刑する。処刑されたプレイヤーはゲームを追放され、以降そのゲームに参加することはできない。夜のターンは能力者と人狼のターンである。能力者は後述する能力を行使する。人狼は襲撃するプレイヤーを選択する。人狼に襲撃されたプレイヤーは次の昼のターンの前に公開され、こちらもゲームを追放される。こうして昼の処刑で一人、夜の襲撃で一人、プレイヤーの数を減らしながらゲームは進行していき、最終的に前述の勝利条件を満たした陣営が勝利する訳だが、ここで注意しなければならないのは「陣営」が勝利するという点である。つまり、進行の過程でゲームを追放されたとしてもそれは敗北と同義ではないということだ。自陣営の勝利のための戦略的な追放などもあり得るルールである。

さて、村人陣営には特殊な能力を持たない村人の他に、人狼を滅ぼすための力を持った能力者が存在する。ここでは代表的なものをいくつか紹介する。

 

占い師

夜のターンに生存している任意のプレイヤーが村人陣営か人狼陣営かを知ることができる。

 

霊媒師

夜のターンに、その日の昼のターンに処刑されたプレイヤーが村人陣営だったか人狼陣営だったかを知ることができる。

 

狩人

夜のターンの間に任意のプレイヤーを人狼の襲撃から守ることができる。狩人が選択したプレイヤーがその晩の人狼の襲撃対象となった場合、襲撃は失敗となりそのプレイヤーは翌日も生存する。

 

また、人狼陣営に味方する能力者も存在する。

 

狂人

特筆すべき能力はない人間だが、人狼を味方する。人狼陣営が勝利条件を満たしたときに勝利となる。人狼陣営の人数としてカウントされるが人間ではあるため、占い師や霊媒師の能力を通しても村人陣営であると判定を受ける。その性質から、人狼TLPTでは最も忌むべき裏切者として扱われることが多い。

 

これら多くのルールで採用される役職の他にも村人陣営には共有者、恋人やハンターといった役職があったり、或いは村人、人狼陣営に次ぐ第三の陣営として妖狐(ハムスターやヴァンパイアとして登場する場合もある)が適用されるルールもある。役職の数はそのままゲームの複雑性に反映されると言っていい。この他にも、例えば処刑されたプレイヤーがその場で役職を開示するオープンルール(この場合は霊媒師の役職は使用しない)などのようなローカルルールが数多く存在しており、高い自由度の中で楽しむことができる。

ところで、このゲームに絶対悪として登場する「人狼」とはその名の通り、半人半狼の怪物である。日本では例えば化け猫や狐など人に化ける半人半獣の怪物は今日に伝わっているが、人狼に関する伝承はあまり見られていない。一方で、特に狼に苦しめられた歴史を持っているヨーロッパやロシアにおいて、その恐ろしさから誕生した人狼伝説のように、民間でも多くその存在を語られてきた。この西欧民間伝承における人狼とは「狼の姿に変身した人間」或いは「異形の力によって狼の姿にされてしまった人間」を指す言葉である。その起源は古く、スラヴ系民族の研究家の早稲田大学の伊東一郎氏のスラヴ人の民間伝承を調べた研究(1982)によると、スラヴ人における人狼信仰は四~五世紀以前にさかのぼることができる[12]という。

 ところが、人狼ゲームに登場する人狼は、先述の通り「人間の姿になりすまして人間を襲う狼」である。こういった形での伝承はあまり多くない。各地に根付いていた人狼伝説がゲームと結びつく過程で変化したものと思われる。では人狼ゲームはどのようにできあがったのか。

 そもそも人狼ゲームは、発現当初から現在の形だったわけではない。その起源は一九八六年にロシアの心理学者ディマ・マカドフによって作られた、市民の中に潜んだマフィアを探すゲーム「Mafia」にあるとする説が最有力である。[13]

「Mafia」は当時モスクワ大学の学生だったマカドフが、高校生に対しての授業を担当していた際に情報の均衡をテーマに実験を考案したことがきっかけで誕生した。この実験はソビエトの心理学の第一人者レフ・ヴィゴツキーのチューリングテストをもとに作られたものであると言われている。マカドフは生徒たちに授業のテーマについて密約を結ばせてその密約の内容を推理させたが、実際生徒たちは密約の内容よりも誰が誰と密約を結んだのかに興味を持っていた。「Mafia」の原型である。

その後「Mafia」はアメリカの心理学者アンドリュー・プロトキンの手によってアメリカに上陸し、彼が各地に伝説の残る人狼をモチーフにしたルールを自身のウェブ上に公開したことで「人狼ゲーム」が本格的なものとなった[14]。商業的な面では2001年にアメリカのルーニー・ラボ「汝は人狼なりや:Are you a werewolf?」、イタリアのダヴィンチ・ゲーム社「タブラの人狼」、フランスのフィリップ・デ・パリエールとエルヴェ・マルリ「ミラーズホロウの人狼」がそれぞれ発売された。これらは使用する役職やルールの細部に差異があり、日本では二〇〇二年に発売されたタブラの人狼が最も有名である。[15]

日本においては、二〇〇四年に創設された『人狼BBS』を皮切りに、オンラインで楽しむ人狼ゲームが確立されていく[16]。オンラインチャットで行われる形が多いため、アナログでプレイするにはある程度の人数を集めなければならないというとっつきにくさが解消され、“人狼ゲームを知ってはいるがプレイする環境がなかった”人々によって賑わった。また二〇一三年フジテレビ系列『人狼~嘘つきは誰だ?~』や同年TBS系列『ジロリアン~人狼~』などの地上波テレビ番組、『人狼ゲーム ビーストサイド』(二〇一四年)や『人狼ゲーム デスゲームの支配人』(二〇二〇年)[17]などの映画といったような作品は、人狼ゲームを知らなかった層へ届き、普及に一役買っている。

そしてもう一つ。日本における人狼ゲームの普及に大きく寄与し、今なお絶大な人気を誇っているものがある。『人狼TLPT』である。

 

3.人狼TLPTの成立と上演

“TLPT”とは“The Live Playing Theater”の略で、その文句の通り、俳優が舞台上で実際に人狼ゲームをプレイし、アドリブで物語を創り上げるライブ・エンターテインメントである。主宰するのは、イマーシブ[18]なコンテンツの企画を手掛ける株式会社ORACLE KNIGHTSの代表取締役でクリエイターの桜庭未那氏。本論文の執筆にあたり氏への取材を敢行したがその内容は後述することとし、まずは人狼TLPTの成立を見ていこう。

 プレビュー公演と呼ばれる旗揚げは二〇一二年十月。九年目を迎えた企画である。レギュラーとして登場する俳優四〇~五〇人に加えて、特定の公演のみに出演した俳優など数えるとその総出演者は二〇〇人以上であるが、プロデュース公演の形を採用しているために所属の俳優はいない。

参加する俳優には、村設定(後に説明する)の際に演じる“仕事”とそれに合わせた名前が与えられている(医師マドック役・松崎文也氏、踊り子ドリス役・森本未来氏etc…)。この名前は一部公演を除いて共通で使われるもので、彼らは舞台上ではその名で人狼ゲームをプレイする。

 人狼ゲームをプレイすることに変わりはないが、序章で紹介の通り、公演によって設定は多種多様である。プレビュー公演を含めた「VILLAGE」では、人狼ゲームそのものの設定に近い、とある村に紛れ込んだ人狼を村人が議論によって追放するというものだが、例えば「DEPTH」(二〇一五)では、“人狼という生物を研究していた科学者たちに、その過程で拘束され傷つけられた人狼が復讐する”、「MISSION」(二〇一三)では“大金を手に入れた悪党たちが、戦利品を独占しようとしている裏切者を探し出す”などといった特殊な設定が追加されている。それぞれにただ疑い合う、殺し合うというだけではないテーマ(「VILLAGE」は“命の大切さ“、「MISSION」は”金より軽い命“、「×新選組」(二〇一三)は”壬生狼の志“)が付与されることで俳優の演技の軸が変化し、観られる人狼ゲームとしての可能性を高めるのだ。更に、これらの設定は旗揚げ以降繰り返し使用されており、都度ブラッシュアップがなされていることも「人狼ゲームをアドリブでプレイする」ということから真新しさが消えない要因の一つとなっていると言えよう。

 このように様々な設定が存在することを踏まえて、次に人狼TLPTの公演がどのようにして行われているのかを説明する。俳優たちは公演各回の開場後、舞台袖のゲームマスターの下でカードを引き、人狼ゲームにおける役を決定する。開演すると舞台に上がり、オープニングの後人狼ゲームのプレイングが始まる。ゲームの性質に則って、公演にも昼のターンと夜のターンが存在し、俳優たちは昼に舞台上で会議、夜には舞台袖に戻ってゲームマスターの下で役職の能力を使うなどする。そのため観客は、夜のターンには誰もいない舞台の前で静かに待っていなければならない…というようなことはない。人狼ゲームでは追放されてゲームに参加できなくなるプレイヤーが必ず出てくるが、人狼TLPTの公演ではこの所謂「死人」が夜のターンに俳優自身として舞台に上がるのである。人狼TLPTでは基本的にはオープンルールを採用していて、二日目までに追放されたまたは人狼に襲撃された「死人」の役職が夜のターンに観客に公開される。観客はそれを頼りに人狼は誰なのか、役職はどう割り振られているのかを推理し、三日目の夜のターンまでに解答用紙(入場時に配布されている)に記入。用紙は三日目夜時点の「死人」たちが客席に回収に向かい、公演終了時に公開される役職内訳と合致していると景品が貰えるシステムになっている。そのため「死人」の登壇は役職を開示するという意味でも次の昼のターンまで繋ぐという意味でも重要なのである。

 解答用紙の回収後も舞台は続き、人狼ゲームのルール通り、人狼をすべて追放するか、村人と人狼の数が同じかそれ以下になったときに公演も終幕を迎える。生き残った人々がアドリブで物語を終わらせ、その後十三人の俳優全員が舞台にあがり、役職の答え合わせと感想戦を行い、終演となる。

 さて、今回着目するのはこの上演形態であるが、これが極めて特殊である。俳優たちは開演直前に六種類(村人、占い師、霊媒師、狩人、人狼、狂陣[19])十三枚のカードを引き舞台に上がる。つまりここで、俳優に一つの「役」が与えられることになる。しかしこれ以前に、俳優はその公演における「役」を与えられていて、ここに「役」の重複が発生している。舞台にあがった俳優の中には二つの役が混在し、これらを同時に演じていることになるのだ。またそれに伴って、観客の内面にも重複が生じている。一連の物語の観劇者としての面と、目の前で行われる人狼ゲームの言わば“試合”の観戦者としての面である。序章にて述べた、観客と俳優の中の「二重性」である。この「二重性」はこれまでの演劇では基本的には生まれ得ない。

 

4.上演分析

 「二重性」の構造を明らかにするために、本論文ではエリカ・フィッシャー=リヒテ[20]が『演劇学へのいざない』で紹介し、実際に上演分析で用いている方法を参考に考察を進めていく。この方法は“現象学的アプローチ”と“記号論的アプローチ”の二つの分析法を交差させて行うものである。現象学的アプローチとは現前の知覚秩序に関係する、知覚されるものの現れ方を注視する方法で、ここでは専ら上演が進むにつれて観客にとっていかなる経験が可能になる[21]のかが関心の対象となっている。一方の記号論的アプローチとは知覚されるものの全てを記号として解釈する方法である。現象学的アプローチが経験の方を向いているとすれば、記号論的アプローチは意味の生産に向かっている。

現象学的アプローチと記号論的なアプローチを組み合わせた上演分析の例として、フランク・カストルフ演出による『トレインスポッティング』(ローザ・ルクセンブルク広場のフォルクスビューネ、ベルリン、一九九七年)[22]の上演分析がなされているためこれを参考にする。どのような分析を行う場合も、何らかの問題設定から出発しなければならない[23]とあるため、今回は俳優と観客の内面に「二重性」が存在するという仮説と、それが存在する(或いは存在しない)ことによって生まれる人狼TLPTの上演の魅力を対象として分析を行う。

なお、上演分析において分析者は分析しようとするプロセスの一要素[24]であるため、外部からの観察者という立ち位置をとることは許されず、分析は常に部分的で、主観的なものにな[25]ってしまうこと、また上演はその一回性から観劇中に特定の部分についてじっくり考えるために立ち止まると[26]、その部分について全く新しい光を投げかけたかもしれない[27]それ以降のある部分を見過ごしてしまった可能性があるため、上演がもう終わって分析者の範囲から脱して初めて、体系的な分析作業に取りかかることができる[28]ということに留意しなければならない。

また、『演劇学へのいざない』の訳者あとがきには

 

フィッシャー=リヒテが「現象」という言葉を使うとき、それはとりあえず哲学以前の意味で用いている。(中略)本書では、ものごとに、物語的な「意味」が与えられる以前に、そのものごとが感覚によってあるがままに捉えられるさまを「現象的」と呼んでいる。[29]

 

とあり、「現象学」或いは「記号論」といった学術体系の中で議論が交わされているものとはやや異なるという指摘がなされている。そこで本論文では、この上演分析の方法論をここでの作業仮説の手段の一つとして利用するに留め、人狼TLPTの上演及び俳優に対して、「現象的」な方向と「記号的」な方向の二方向から考察を加え、その構造を探っていくこととするものと承知されたい。

本論文で取り上げるのは、筆者が実際に観劇した『人狼TLPT×新選組外伝~払暁の狼~』(二〇一七年五月十七日~二三日)の第一ステージである。

 

時あたかも幕末の頃。

押し寄せる諸外国に対抗すべく、京の一角である密議が開かれていた。

様々な思惑が交錯するその中に――放たれた3匹の人狼。

13名の憂国の志士たちの中に潜む、人狼を倒すため。

凄惨なる死闘の幕が切って落とされるのであった……![30]

 

二〇一四年、二〇一五年、二〇一七年に好評を博した『人狼TLPT×新撰組』の外伝として、新撰組と維新志士らの共同戦線を描くこの公演は、新撰組、長州藩、薩摩藩からそれぞれ四名、土佐藩から一名の十三名が一堂に会して人狼との戦いを繰り広げるという設定であった。

 会場は渋谷全労災ホール/スペースゼロ。


(図Ⅰ)[31]

 

階段状になった南側座席右横の通路を進むと会場中央に四方を客席に囲まれた長方形の舞台。南側東西に三段の階段がついており、南側客席前を通って舞台に上がることができるようになっている。北側に通路があり、浅めの階段を三段上がって会場にもとからある舞台(図上部。以降「奥舞台」と表記)に繋がっている。奥舞台上には二.五メートル程の高さの障子が立っていてその手前が通路に、左右の端には和太鼓が置かれており、その先それぞれも役者の出捌け口になっている。図Ⅰにもあるように客席は東西南北に分かれており、それぞれ長州藩、薩摩藩、土佐藩、新選組の背後につく形をとる(チケット購入時に選ぶことができるが、座席数が少なく舞台と距離の近い西南北は激戦区であった)。私の座席は南側の階段席の中腹やや東寄りであった。この座席の配置によって、観客はただ上演を観る角度を固定されるだけでなく、維新の時代における「どの陣営の所属か」ということを決定される。「現象としての座る位置/記号としての陣営」という構図である。この時点で、観客として物語を外側から眺める面と、維新の一員として物語の内側に入り込んで参加する面の二つの面が、私の中に内在していたことになる。

 開演まで三十分。配布された他公演の宣伝チラシなどパンフレットに目を通す時間である。この中にはその上演に出演する十三人の俳優の顔と名前、役名の記されたものが含まれているが、これはこの後役職を推理する際に、特に初見の観客に対してわかりよくするためのものである。この解答用紙の存在は専ら人狼ゲームを観戦、推理するという一点において意義を持つのであり、ここでは観客は観戦者或いは参加者としての視点を持つと言えるだろう。

 開演直前になると前説が始まる。ここでは俳優が中央の舞台にあがり、上演に際しての注意事項を説明しつつ会場を温める。さらにここで、観客に舞台が客席に囲まれていること、維新の志士たちが観客に背中を預けて戦うことなどが言及され、観客は任意の陣営の一員であるということを意識させられる。やはり観劇/観戦の両視点が垣間見える。

 開演するとまずはオープニングアクト。この上演において唯一脚本のあるシーンである。音楽が鳴り、奥舞台の障子に陣営と役名が投影される。志士たちが陣営ごとに入場し、会話を展開していく。都度、凄まじい速さで奥舞台の捌け口から、或いは直接飛び乗るようにして舞台へ上がる数名が、志士たちを斬り捨てんとばかりに刀を振る。しかし、急襲をものともしない志士たち。或る者は返り討ちに、また或る者は華麗に往なしてその場を凌ぐ。

 二つ目の陣営が登場したときだったろうか。奥舞台の左側(西側)の捌け口から走り出てきた刺客が北側通路に差し掛かろうかというその時、駆け抜けた勢いに煽られた障子が、あろうことか客席側へ倒れ込んだのである。大きな薄い障子であるから倒れる速度こそ早くはないが、舞台に向かって座っている北側の観客にすれば背後から突然ものが落ちてくるわけだから危険には違いない。その後スタッフが慌てて障子を起こし、しかし人が通るたびに何度か倒れそうになるのが、南側から舞台を観ている私の視線の先にあった。会場全体に(特に人狼TLPT関係者がそうであったように思うが)何か緊張のようなものが張り詰める。が、正直に言うと舞台越しに見えたトラブルは些か他人事のように感じられ、少なくとも私には一つ観るべき場所が増えたくらいに思われた。何とか殺陣を終えた舞台は照明が落ち、次に薄暗く明かりが灯った時には各陣営から代表一人ずつの計四人が舞台中央に向かって顔を合わせて座る画が浮かび上がった。殺陣が“動”ならこのシーンは“静”と言ったところか。先ほどとは異なる“意図した緊張感”の中、維新の志士たちの間に人狼が紛れていること、その原因であるウイルスを持ち込んだ裏切者(狂陣)がいること、それらに対抗するべく能力を持った人物がいることなどが語られ、いよいよゲームが始まる。このオープニングを通して俳優は、脚本に則って一つの役を演じる俳優であり、観客はそれを見る観客である。ここに重層構造は存在せず、それぞれ「俳優としての俳優」、「観客としての観客」という関係性があるのみである。

 舞台にいた四人のもとに、残りの七人が戻ってきた。一日目が始まる。脚本が終わり、全てがアドリブで創り上げられる上演が始まるのだ。舞台に戻ってきたうちの一人、新選組山南敬助が、徐に口を開く。

 

「皆、まずは何も言わずにこちらの方向へ頭を下げてくれないか。」

 

俳優たちは口々に謝罪を述べながら、北西側席に座り先ほど障子に背後から襲われた観客に頭を下げたのである。会場は笑いに包まれた。俳優たちの、口調こそ維新の時代っぽさを残しながらも観客という外の世界の存在に対して真面目に謝罪する様子が何とも異質で可笑しく思われたからか、トラブルさえアドリブでの完璧な対応で物語の一部に取り込んでしまったことに感心したからか、定かではないがとにかく私たちは思わず笑ってしまった。大きな怪我人こそいなかったものの企画としてあってはならない事故であるが、何もわざわざ取り立てて文句を言おうというのではない。注目すべきは「皆、まずは何も言わずにこちらの方向へ頭を下げてくれないか。」の一言。この一言が、脚本に基づく“演劇”においてはあまり発されることのない台詞だという点である。台本に沿って状況やその時の心情、他者との関係性を確立してから演じるのが恐らく一般的であろう芝居においては、このたった一言でさえ全てを崩壊させ得るからである。しかし人狼TLPTの上演では、この言葉が吐けてしまう。俳優が自身の役を演じることと人狼ゲームを最後までプレイすること以外に、この舞台には制約が存在しないのだ。

 そしてこの台詞を口にするとき俳優は、演じている役でもなく、人狼ゲームの役職でもない「俳優自身」「ある俳優という一人の人間」であると言える。維新の志士は観客の存在を知覚し得ないし、占い師に障子の有無など知る由もないからである。つまりこの時の俳優は「現象としての俳優/記号としての俳優自身」という内面を持っている。

上演は疑い合い、信じ合いという人狼ゲームの性質に、維新の同志(同じ陣営)という要素まで追加されて混迷を極める。この時「現象としての人狼ゲーム/記号としての維新の志士たちの行う裏切者探しの話し合い」という場に、「現象としての俳優/記号としての役(近藤勇、高杉晋作など)」「現象としてのプレイヤー/記号としての役職(人狼、村人、占い師など)」が立って物語を推し進めているという構図があり、この交差こそが二重性の表出である。また、トラブル後の対応の例を見てもわかるように、物語がアドリブで展開される性質から、俳優はしばしば自身の記号を無視して表出することがある。これは役でなく、プレイヤーでもない、俳優自身と言う第三の面である。

(人狼ゲームで)一日目の昼の時間は情報が少なく、会議は混迷を極める。話し合いも佳境というところ、会場に和太鼓の音が響く。昼の時間の残り時間を知らせる音だ。この和太鼓は先述の通り奥舞台上に設置されているが、この奥舞台は昼の時間の芝居に使用されることがほぼない点、出演者でない俳優(人狼ゲームをプレイする十三人に含まれていない俳優)が太鼓を叩くために登壇する点、太鼓の音が出演者と観客の双方に時間を伝えるために鳴らされる点から、「舞台上であり舞台外である」と表現できる。一方の私たち観客は眼前で行われる演技を、人狼ゲームを、それぞれ観劇、観戦する視点、或いはプレイヤーと同じように推理をする参加者と言った視点を持っていると言えるだろう。

 太鼓の音が鳴り、十三人はそれぞれの陣営の位置に戻る。人狼ゲームにおける投票、処刑の時間である。この公演では最多投票獲得者(処刑対象)は自ら腹を切ることを申し付けられ、舞台中央にて切腹、任意の志士の介錯をもって絶命しゲームから離脱する。この投票は「現象としての追放/記号としての死」へと繋がるものであり、志士としてもゲームのプレイヤーとしても重い意味を持つこととなる。また観客はこれを目撃することになるわけだが、人狼ゲームを観戦或いは役職を推理する上では役職の決定において大きな出来事だし、観客としても一人の人間の死を目の当たりにすることになるから、こちらも重要な局面に相対していると言える。

 処刑が終わると、生存しているプレイヤーは奥舞台を通って舞台裏へ向かう。夜のターンである。人狼陣営は誰を殺害するかを決め、村人陣営では占い師が一人を占い、霊媒師が死者の白黒(人間だったか人狼だったか)を見、狩人が一人を守っているだろう。が、我々観客の前には処刑されたプレイヤーが残った舞台があるばかりである。上演において「幽霊タイム」と呼ばれるこの時間は、ゲームから追放されたプレイヤーのみが舞台に上がり、追放された他のプレイヤーや或いは天の声・七城ナナ(声の主は桜庭プロデューサーであることは周知の事実であるが、上演中においてはこの名で幽霊タイムの進行でのみ上演に干渉する)と対話しながら、自身の役職の開示(三日目まで)やその時点までのゲーム展開のおさらい、三日目には解答用紙の回収などを行う。幽霊タイムにおける死者は、ゲームから除外された存在であるからプレイヤーではなく、衣装こそ着ているものの役を演じているわけでもなかった。俳優自身がそこにいて、雑談として自身のプライベートを明かしたり、物語や上演、自身の役について俯瞰した視点から意見したりするのである。また観客は、特にこの夜のターンにおいては「ハカトモ(墓友)」と呼ばれて追放された俳優を迎え入れる他、天の声や俳優に話しかけられて(実際に声を発することは多くはないが)対話の形ができあがることで、参加者としての意識をより強固なものにさせられる。桜庭氏が「幽霊タイムはお客さんの集中力を維持するためのブレイクタイムの役割もある」[32]と発言していることもあり、この夜のターン並びに俳優自身の表出を上演の範囲内外どちらに位置付けるのか、判断の難しいところではあるが、私はこれを「物語外上演内」という言葉をもって説明したい。人狼TLPTの上演は常に人狼ゲームと並走しており、夜のターンには舞台裏で人狼ゲームが進行しているわけだから、物語も舞台裏で紡がれていることになる。つまりこの時観客の目に映る舞台上は「物語外」で、そこにいる俳優もやはり「物語外」にいることになる。しかしそこは舞台の上、上演時間中で、終演の合図もなされておらず観客はそこに視線を注ぐばかりである。この構図は紛れもなく上演で、畢竟「上演内」なのだ。

 幽霊タイムが上演内であるならば、人狼TLPTの上演において俳優の中には、これまでにあった「現象としての俳優/記号としての役(近藤勇、高杉晋作など)」「現象としてのプレイヤー/記号としての役職(人狼、村人、占い師など)」に加えて「現象としての俳優/記号としての俳優自身」という第三の面が存在するということになる。予てから主張してきた「二重性」の実は、「三重性」或いは「多重性」という言葉で表す方が適切であったのである。

 昼と夜を繰り返しながら、舞台に上がる人数を減らしながら物語は進み、四度の投票を経て迎えた五日目の朝であった。これまでとは異なる音楽と共に舞台に戻ってきた俳優は全部で七人。村人陣営は狂陣と人狼三匹を処刑しての圧勝であった。

 こうしてまた一つ、唯一無二の物語が終わり、俳優たちが舞台に戻ってくる。首から折りたたまれた三十センチメートル四方程の札を下げ、中に書かれた役職名を観客に開示する。一通り終えると、特に一名を中心に感想戦が行われる。一日目には誰が誰を疑っていた、人狼はこういった嘘をついた、狩人のGJ(Good Job。人狼ゲームでは一般的に狩人が人狼の襲撃を防いだ時に使われる)が流れを持ってきた、といった具合である。その後、先に回収した解答用紙をもとに、観客の答え合わせが行われる。村人陣営の圧勝だったこともあり、人狼を三匹当てた人はかなりの数いて、全役職を当てた人も少なくなかったように記憶している。(筆者は人狼を一人外してしまった。)正答者は会場を出た後、景品を手に入れることができる。

 以上で終演である。この回のように村人がうまく人狼を処刑できなければ重ねる日数は増えていくため、必然的に上演時間も伸びていく。そのため公式ホームページには「上演時間は九〇分~一二〇分」という他の公演ではなかなか見ることのない、幅を持たせた記載がなされている。

 上演分析の結果として、人狼TLPTの上演では会場にいる俳優、観客の中に多重性が生まれ、それらが複雑に交差することによって特異な上演スタイルを創出していることが判った。通常単体で存在するそれらはそれ一つでも十分な魅力を持ち、(「俳優としての俳優」、「観客としての観客」という関係性のみでも)演劇というものを創り上げてきたと言えようが、ここに新たな要素(「現象としてのプレイヤー/記号としての役職(人狼、村人、占い師など)」や観戦者、参加者としての視点)が付与されることにより、観客の側のアプローチできる角度が増え、企画としての顧客の裾野を広げることにも繋がっている。

 また「物語外上演内」と表現したように、上演中の会場そのものにも多層構造が生まれていることにも言及しておきたい。多重性を持った俳優が物語を進める中央の舞台は、時間によって物語内/外が入れ替わる他、俳優が俳優自身を表出させた際にはその部分だけが物語の外へ押し出され、観客(外)との距離を詰めるだろう。或いは奥舞台に鎮座する和太鼓は、我々観客と人狼ゲームをプレイする俳優双方に知覚されるもので、舞台上にありながらしかし同時に物語外にも存在する曖昧なものである。俳優と観客が持つ多重性のそれぞれの結びつきによって生まれるこの曖昧さは、自由の象徴だ。我々はこの自由を享受しながら上演時間を過ごすのである。膨大なアプローチの出発点と着地点の中から、観客は自身の経験に照らしてどれか一つ、或いはいくつかを意識的にも無意識的にも選び取って楽しむ。人狼ゲームが好き。演劇が好き。アドリブはすごい。推理するのが楽しい。もっと狭く、あの俳優の不意に出る素が愛おしい。上演構造が興味深い。スタート地点はどこだって構わないのだ。これらすべてが絡み合った先に、唯一無二の物語が紡がれるのだから。これこそが人狼TLPTの上演の持つ特異な魅力の正体の一つなのである。

 

5.プロデューサー、桜庭未那氏の語る人狼TLPT

 最後に、ここまでの論の補完と一つの解の紹介を兼ねて、本論文の執筆に際しご協力いただいた人狼TLPT総合プロデューサーで株式会社ORACLE KNIGHTS代表取締役の桜庭未那氏への取材の内容をこの章にまとめる。

この取材は二〇二〇年十一月二十日、『人狼 ザ・ライブプレイングシアター#41 DEPTHⅢ 贖罪の海~SinK~』第四ステージの観劇後にシアターサンモール会場内にて行ったものである。取材の軸は大きく分けて三つ。“人狼TLPTそのもののこと”“プロデューサー桜庭未那氏のこと”“人狼TLPTの上演のこと”である。特に三つ目の“人狼TLPTの上演のこと”にて、この論文の主題に置いた「多重性」「ライブ感」について何としても尋ねておく必要があった。そもそも、人狼ゲームやまして人狼TLPTに関する研究は現在までほとんど行われておらず、その内側を窺い知ることは難しい。また「多重性」や「ライブ感」についてのここまでの考察は、観客の視点からの上演分析を見てもわかるように、全て外側からのものであり且つ主観的なものであったし、独善的であるとさえ思われる点もあった。

これらの内省を踏まえ、観客側からの考察に作り手側の考えを聞き加えることでより多角的な研究になり得ないか、或いは九年間のうちに培われてきた人狼TLPTの観客には見えない意図や戦略が演劇にとって革新的なヒントをもたらしてくれるのではないか、と考えた。以下、実際に行った取材に基づいて話を進める。

取材において最も私の印象に残った桜庭氏の表現の一つに『現実を増やす』というものがある。逃げ場のない現実にいては苦しむばかりだしかと言って夢ばかり見てもいられないが、現実そのものがいくつもあると、その現実ごとに違った自分がいてもいいとゆとりを持つことができる。頑張っても報われないことも少なくない現実世界があるなら、エンターテインメントは自身の行いがちゃんと返ってくる、平和な世界であってもいいのではないか。そうした思いが没入型の企画に思い至り、人狼TLPTが誕生したのである。

桜庭氏は幼少期よりゲーム好きの性質を大いに発揮していた。アナログゲームからゲームセンターまであらゆるゲームを好み、また小学校ではゲームを創る方にも興味を持ち始めていた。実際に小学四年生の頃には、学校中を使った観劇者参加型の推理劇(問題編の上演の後、学校中に散らばったヒントを探しそれをもとに操作タイムを設け、犯人や動機を解答用紙に回収してから回答編を上演するといったもの)を行うほどであった。

 そんな氏が、友人と人狼ゲームをプレイしていた社会人時代のある日のこと。人狼ゲームには数多く定石として知られる戦術が存在するが、その一つに“能力者の誤追放を避けるために、能力のないただの村人(一般に「素村」と呼ばれる)が進んで追放を受け入れる”というものがある。その試合でも氏の友人は定石通りに「素村だから吊っていいよ」と発言した。しかしお酒の入っていた氏はこの定型のような作戦を許さない。「やめて!兄さんは死んでいい人じゃない!」この一言が場を大いに盛り上げ、周りも「こいつは俺の大事な婚約者だ!」これを見た氏は思った。この即興芝居を俳優が本気でやったなら。

 構想期間はおよそ二年。当時のレギュレーションは村人九人人狼三人の計十二人だった。キャスティング会社に勤めていたために俳優の知り合いがいたこと、企画書を見せた相談相手の演出家吉谷光太郎氏が二つ返事で賛同し、舞台監督らスタッフや劇場を抑えてくれたことなども手伝って企画が進行。参加した俳優十四人のうち人狼ゲームのルールを知っていたのは二人だけ、稽古初日時点で本番まで残り四日というとんでもないスケジュールであったが、俳優たちのプレイングを「魅せる人狼ゲーム」にするために、おもちゃコンサルタントで、自身はけん玉パフォーマーとしても活躍する児玉健氏をアドバイザーに、コンセプトの説明から始めて稽古を重ねていった。この公演がプレビュー公演である。初日は空席が目立つも、その新しさと一回性が瞬く間に広まり、二日目からは満席、テレビ局の取材が入り、三日目には入場できない観客を帰さなければならない程であった。また「次の公演もまた違う物語を観られる」「次こそは当てたい」といった衝動から、リピーターが多かったのも特徴的であった。この旗揚げの爆発的ヒットから、人狼TLPTの躍進が始まったのである。プレビュー公演からわずか二ヶ月。β公演と呼ばれる第二回公演が行われた。二回目にして新設定の「宇宙」を題材にした公演であり、こちらもやはり多くのリピーターを呼んで盛況した。

 そして現在も、人狼TLPTは安定した人気を誇っている。直近二年の実績を例にとってみても、二〇一九年三月『#32:VILLAGE XVⅡ 虹闇の降りる村』(シアターサンモール、全十ステージ)では二五〇〇人、同年七月『#34:FLAG Ⅱ 英雄の歌と呪われし秘宝』(新宿村LIVE、全十一ステージ)では二二〇〇人と、一ステージあたり二〇〇人以上を動員している他、これらの公演はニコニコ生放送をはじめとする配信プラットフォームでの同時配信、アーカイブ配信も行われているために観劇者数はこれよりも多い。コロナウイルスの流行によって無観客、配信のみの上演となった公演もあったが、最新の『#41 DEPTHⅢ 贖罪の海~SinK~』(二〇二〇.十一、シアターサンモール、全二十ステージ)では人数を制限しながらも一六〇〇人を動員[33]し、変わらぬ人気を見せつけた。

 ここまで聞いた誰もがこう思うはずである。「これだけの人気があるのなら、客を帰してしまうことすらあるくらいなら、もっと大きな会場で大規模にやればいいのに」と。確かに客席数が増えれば観客も増えて収益があがるかもしれないし、実際特にコラボ公演では都合上大きな会場で上演することもあるようである。しかし人狼TLPTでは、参加型の舞台としての観客との距離感を保ち一体感を持たせること、また観客は推理のために十三人の俳優の顔を覚える必要があること(やや過剰なほどに特徴的な見た目や言葉遣いをしたキャラクターづくりをするのもこのためである)や夜のターンに俳優が客席まで解答用紙を回収しに行くというシステムといった、自身の持つ強みを最大限に活かしつつ上演をするために敢えて会場の大きさに天井を設けているのだ。

 「魅せる人狼ゲーム」を創るための試みはこれに留まらない。桜庭氏はこう述べた。

 

 絶対にやらなければならないと最初からわかっていたことは、必ず役者を使うということ。人狼ゲームが強い一般人ではなく、ゲームができる人に演技を教えるのでもない。ウェイトが高いのは物語を創ること。浸透するエンターテインメント・魅力的なキャラクターを作る且つ勝ち負けのあるゲームに耐えうるのは、人前に立ってその姿を評価されることを生業としている役者の覚悟を持った人。[34]

 

アドリブでの人狼ゲームを可能にするために、各キャラクターの背後には丁寧な設定が用意されており、俳優はそれを軸にキャラクターを組み立て、プレイングをする。だから脚本がなくとも、上演ごと物語の流れも時間も内訳も異なっていても、公演を通して一貫した演技ができるのである。

 上演形態についても興味深い話を聞くことができた。まず、この形は俳優への信頼・俳優同士の信頼がないと成立すらしないということである。例えば舞台裏、ゲームマスターの下役職のカードを引く際「この人が人狼だと面白くなるから人狼を引かせよう」というものが行われた瞬間、すべてが失われ無価値なものになる。十二人が目を瞑って夜のターンを待つ中、ただ一人でも目を開けて盗み見ようものならば、たちまちゲームの公平さが消滅し、偽物になってしまう。それが絶対にないという確証は、苦楽を共にしてきた俳優への、仲間への信頼である。

 次に「多重性」について(取材当時は「二重性」としての解釈の段階であったが便宜上「多重性」と表記する)。結論から言うと、これは外側からの考察によって作られたものであり、作り手側が意図して生み出したものではなかった。人狼TLPT含めた“○○×TLPT”というコンテンツでは必然的にそうなり得る、とも言える。没入型演劇を作ろうという明確な意志から始まったTLPTのシステムであったから、その多重性は戦略的なものというよりは、世界に一つ新しいエンターテインメントを増やした結果生まれたものにすぎないのであった。“没入型演劇は演劇か”という議論については敢えて言及を避けるが、少なくともライブプレイングの形で成功しているもの同士である以上、相互に効果的なものは存在するはずで、つまりこの偶然の産物とも言うべき「多重性」を、脚本、演出の意図のうちに生み出して上演を創ることができれば、その魅力をも享受することができるのではないだろうか。

 そして再三取り上げてきた「ライブ感」という言葉に関して。私は「劇場での、眼前で行われる生の演技と生のゲームの観劇/観戦」「画面越しでの、生ではない演技とそこで進行している生のゲームのライブ配信の視聴」「画面越しでの、生ではない演技と既に終了しているゲームのアーカイブ配信の視聴」という人狼TLPTにおいて可能な三つの観劇方法について、全く異なるものであると考えていた。またやはり演劇である以上、劇場での観劇体験こそが最も重要且つ魅力的で、配信はそれには劣るものだと、そう考えていた。しかし今回の桜庭氏へのインタビューを受けて、私はこの思案を改めることとする。再考のために新たな概念を導入し、今一度観劇体験を整理してみよう。「レンブラント光線」である。雲の切れ間から漏れる太陽光が放射状に地上に降り注ぐ現象を薄明光線と呼ぶのだが、これが十七世紀オランダの画家レンブラント・ファン・レインが好んで用いた、“ある場所に置いた光源から絵画の一部に光を当てて浮かび上がらせる”という手法に似ていることから「レンブラント光線」とも呼ばれている。「レンブラント光線」はここから転じて、堀辰雄が『小説のことなど』(『新潮』一九三四.七)で「『聖家族』の中では、(中略)、私は諸人物に頭上から何處からともなく、云わばレムブラント光線のやうなものを投げようと試みた。」[35]と表現していることからもわかるが、文学作品においてある特定の人物などに焦点を当てて描く技法を意味するようになった。私はこれが、演劇においても適用され得ると考えた。人狼TLPTの上演はアドリブで行われる唯一性を売りにしていて、その点ではライブ感の失われる配信や同じ公演を複数回観ることとは相性が悪い。実際、会場での観劇体験が素晴らしいものであることもまた事実であるが、ここで「レンブラント光線」である。先述の通り、人狼TLPTの上演では各キャラクターの背後に膨大で細かな設定が付与されていて、それに則って戦う十三人それぞれの生き様が織り合わさって、たった一度の物語を創り上げている。この“物語”の中の十三通りの“生き様”とそれらそれぞれの関係性は、全てを同時に追うことはできない。一度物語を見知ってから、もう一度立ち戻って角度を変えて、「レンブラント光線」の光源を置く場所を移してみると、やはりそこでも物語が展開されているのである。それはこうしようと決められたのではない、アドリブでその一回きりを確かに生き抜いた俳優がそこにもいたからであり、これも紛うことなき「ライブ感」である。「ライブ感を見返す」という一見矛盾した行為が可能になっていることは、人狼TLPTの魅力の一つに違いない。

 

6.おわりに

 今一度、本論文を通してわかったことをさらっておく。二重性という推測をもって開始した上演分析は、上演におけるあらゆる人、場所に多重性が見られること、またそれらが複雑に絡み合って唯一無二の物語が織りなされているということを明らかにした。この上演はまた、一つの物語のために十三の物語を紡いでいるのであり、どこに着眼するか、どこを結びつけるかによって全く新しいストーリーを描くことができるから、生ものである演劇にあってネットと言う現代のプラットフォームでも輝くことができるのである。この「武器の多さ」こそ人狼TLPTの強さなのだ。

裏を返せば、コロナ禍という非常事態によっても露呈した、演劇の上演における武器の少なさは演劇界の課題と言えるであろう。例えば演劇をオンラインに乗せる時、そのことによって「ライブ感」という最大の武器を失うのであれば、それを補って余りある程の武器を手に取る必要があるのだが、残念ながら現時点ではそれが見当たらない。しかし、同じ舞台エンターテインメントにあって、配信でも成果を上げている人狼TLPTが示してくれた手掛かりを、参考にしない手はないのだ。上演形態は違えども、多くの武器を持ちながら配信でもライブ感を失わないこの企画の在りようを手掛かりにすることで、演劇はまた新たな形へと進化していくことができるのではないだろうか。そう思わせてくれるほどに、人狼TLPTの紡ぐ一度きりの物語は魅力的なのである。

 

 

 



[1] 薬事日報(2020.1.20)「【厚労省】新型肺炎、国内初の感染者-30代男性からウイルス検出」

https://www.yakuji.co.jp/entry76854.html  

[2] 東洋経済オンライン(2020)「新型コロナウイルス 国内感染の状況」 https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/ 

[3] 東宝オフィシャル 決算説明資料 2020年2月期 決算説明資料

https://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS05040/aaefc85a/2115/468f/ac04/c8b01b0c8c37/140120200413492930.pdf 

[4] シネマトゥデイ/小松芙美(2020.7.28)「ジブリ4作品の再上映 異例のヒット」

https://www.cinematoday.jp/news/N0117597 

[5] NHKのオンラインでのインタビューより。NHK(2020.5.30)「「オンライン映画祭」開催 ネットで無料上映 新型コロナ」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200530/k10012451831000.html 

[6]アニメ&ゲームby ORICON NEWS(2020.9.24)「『鬼滅の刃』累計1億部突破、1年で約8.4倍 第22巻は過去最多の初版370万部スタートに」

https://www.oricon.co.jp/news/2172643/full/ 

[7] Yahoo!Japanニュース/ORICON NEWS(2020.11.2)「映画『鬼滅の刃』国内の歴代興収10位、公開17日で157億円突破」

https://news.yahoo.co.jp/articles/738e934b17d4275b3cd163e77b3124086f34fd4b 

[8]YouTubeチャンネル『THE FIRST TAKE』

https://www.youtube.com/channel/UC9zY_E8mcAo_Oq772LEZq8Q 

[9]野田地図(2020.3)「意見書 公演中止で本当にいいのか」

https://www.nodamap.com/site/news/2020/03 

[10] togetter(2020.3.3)『スポーツを見下す野田秀樹ら演劇人の傲慢さに批判殺到』

https://togetter.com/li/1476399

Yahoo!Japanニュース(2020.5.24)『演劇界重鎮たちの大炎上と、無観客ライブ配信公演の挑戦』

https://news.yahoo.co.jp/byline/takashikiso/20200524-00180073/ 

[11] 高木俊行、守屋秀夫、清水裕之、小野田泰明(2020.1.10)「有価証券報告書に基づく民間の劇場の経営分析」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jace1998/2/1/2_1_37/_pdf 

[12] 『人狼ゲームで学ぶコミュニケーションの心理学 嘘と説得、コミュニケーショントレーニング』24p

[13] 『人狼ゲームで学ぶコミュニケーションの心理学 嘘と説得、コミュニケーショントレーニング』3p

Project saphir 「人狼ゲームの日本伝来前の歴史」

https://projectsaphir.tumblr.com/post/128337946976

INTERNET ARCHIVE WayBack machine/Dimma Davidoff(1999.3.2)

「The Original Mafia Rules」

http://web.archive.org/web/19990302082118/http://members.theglobe.com/mafia_rules/

[14] Project saphir 「人狼ゲームの日本伝来前の歴史」

https://projectsaphir.tumblr.com/post/128337946976

[15] 166NEWS(2019.10.29) 「人狼ゲームの歴史をまとめてみた」

https://166.news/werewolf-history1/#toc_id_2_3 

徹底解剖(2019.1.12)「人狼ゲームとは?」

http://fanblogs.jp/tetteiblog/archive/5/0 

[16] 166NEWS(2019.10.29) 「人狼ゲームの歴史をまとめてみた」

https://166.news/werewolf-history1/#toc_id_2_3 

[17] 『人狼ゲーム ビーストサイド』Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%8B%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)#%E4%BA%BA%E7%8B%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0_BEAST_SIDE 

[18] 本論文では観客参加型、没入型の演劇を含めた、観客が積極的に上演に関わる余地のある企画を広く“イマ―シブ”なものと表すこととし、その意味を狭い範囲に限定しない。

[19] 一般的には「狂人」と表記されることが多いが、人狼TLPTにおいては「狂陣」と表されることで統一されている。

[20] 一九四三年ドイツ・ハンブルク生まれ。ベルリン自由大学およびハンブルク大学で、演劇学・スラヴ学・ドイツ学・哲学・心理学・教育学などを専攻。ベルリン自由大学より博士学位取得(スラヴ学)。フランクフルト、バイロイト、マインツの各大学で教える。一九九六年ベルリン自由大学演劇学科主任教授。二〇一一年同大学名誉教授。現在、同大学「パフォーマンスにおける諸文化の編み合わせ」国際研究センター代表。

[21] 『演劇学へのいざない 研究の基礎』102p

[22] 『演劇学へのいざない 研究の基礎』109p

[23] 『演劇学へのいざない 研究の基礎』91p

[24]『演劇学へのいざない 研究の基礎』90p

[25]『演劇学へのいざない 研究の基礎』90p

[26] 『演劇学へのいざない 研究の基礎』91p

[27] 『演劇学へのいざない 研究の基礎』91p

[28] 『演劇学へのいざない 研究の基礎』91p

[29] 『演劇学へのいざない』 研究の基礎』330p

[30]人狼ザ・ライブ・プレイング・シアター公式「2017年5月17日(水)~23日(火)全労災ホール/スペースゼロ『人狼TLPT×新選組外伝~払暁の狼~』 http://officeendless.com/sp/jxsg/ 

[31] 人狼ザ・ライブ・プレイング・シアター公式「2017年5月17日(水)~23日(火)全労災ホール/スペースゼロ『人狼TLPT×新選組外伝~払暁の狼~』 http://officeendless.com/sp/jxsg/ 

[32] 桜庭未那氏インタビューより

[33] 株式会社ORACLE KNIGHTS提供資料「人狼TLPT最近の公演実績」より抜粋

[34] 桜庭未那氏インタビューより

[35] 青空文庫『小説のことなど』 https://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/47915_50027.html 






参考文献及びサイト

 

東洋経済オンライン(2020)「新型コロナウイルス 国内感染の状況」 https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/  

最終閲覧2020年12月12日

 

薬事日報(2020.1.20)「【厚労省】新型肺炎、国内初の感染者-30代男性からウイルス検出」

https://www.yakuji.co.jp/entry76854.html  

最終閲覧2020年12月14日

 

ミクスOnline(2020.1.17)「新型コロナウイルスを国内で初確認 中国滞在歴ある神奈川県の男性」 

https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=68616 

最終閲覧2020年12月14日

 

NHK(2020.5.30)「「オンライン映画祭」開催 ネットで無料上映 新型コロナ」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200530/k10012451831000.html 

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TechCrunch Japan/Anthony Ha(2020.4.29)「カンヌやベネチア、東京など12映画祭の作品をYouTubeで配信へ」

https://jp.techcrunch.com/2020/04/29/2020-04-27-youtube-and-tribeca-announce-we-are-one-a-10-day-online-film-festival/ 

最終閲覧2020年12月14日

 

第33回東京国際映画祭(2020.4.28)「 We Are One: A Global Film Festivalプロジェクトに参加 世界の映画祭でつなぐ文化の輪 オンライン・チャリティプログラム」

https://2020.tiff-jp.net/news/ja/?p=54296 

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https://kimetsu-i.com/ruikei-hakkoubusuu/ 

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Yahoo!ニュース/小新井涼(2020.9.28)「累計発行部数ついに大台の一億部突破「鬼滅の刃」の熱はどこまで続くのか」

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BUSINESS INSIDER/大塚淳史(2020.4.15)「東宝が過去最高益。映画配給「好決算」の背後に新型コロナウイルスの影…「上映作品が足りない」」

https://www.businessinsider.jp/post-211215 

最終閲覧2020年12月14日

 

東宝オフィシャル 決算説明資料 2020年2月期 決算説明資料

https://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS05040/aaefc85a/2115/468f/ac04/c8b01b0c8c37/140120200413492930.pdf 

最終閲覧2020年12月23日

 

シネマトゥデイ/小松芙美(2020.7.28)「ジブリ4作品の再上映 異例のヒット」

https://www.cinematoday.jp/news/N0117597 

最終閲覧2020年12月14日

 

野田地図(2020.3)「意見書 公演中止で本当にいいのか」

https://www.nodamap.com/site/news/2020/03 

最終閲覧2020年12月25日

 

スポーツを見下す野田秀樹ら演劇人の傲慢さに批判殺到

https://togetter.com/li/1476399

最終閲覧2021年1月4日

 

高木俊行、守屋秀夫、清水裕之、小野田泰明(2020.1.10)「有価証券報告書に基づく民間の劇場の経営分析」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jace1998/2/1/2_1_37/_pdf 

最終閲覧2020年12月14日

 

Project saphir 「人狼ゲームの日本伝来前の歴史」

https://projectsaphir.tumblr.com/post/128337946976

最終閲覧2020年12月14日

 

166NEWS(2019.10.29) 「人狼ゲームの歴史をまとめてみた」

https://166.news/werewolf-history1/#toc_id_2_3 

最終閲覧2020年12月14日

 

『人狼ゲーム ビーストサイド』Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%8B%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)#%E4%BA%BA%E7%8B%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0_BEAST_SIDE 

最終閲覧2020年12月15日

 

INTERNET ARCHIVE WayBack machine/Dimma Davidoff(1999.3.2)

「The Original Mafia Rules」

http://web.archive.org/web/19990302082118/http://members.theglobe.com/mafia_rules/

最終閲覧2020年12月15日

 

徹底解剖(2019.1.12)「人狼ゲームとは?」

http://fanblogs.jp/tetteiblog/archive/5/0 

最終閲覧2020年12月15日

 

株式会社ORACLE KNIGHTS

http://oracleknights.co.jp/japanese.html 

最終閲覧2020年12月15日

 

人狼ザ・ライブプレイングシアター

http://7th-castle.com/jinrou/prologue.php 

最終閲覧2020年12月15日

 

青空文庫『小説のことなど』堀辰雄 https://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/47915_50027.html

最終閲覧2021年1月11日 

 

丹野宏昭・児玉健(2015)『人狼ゲームで学ぶコミュニケーションの心理学 嘘と説得、コミュニケーショントレーニング』 新曜社

 

エリカ・フィッシャー=リヒテ(2013)『演劇学へのいざない 研究の基礎』国書刊行会

 

 

協力

 

桜庭未那様

五町麻衣子様

株式会社ORACLE KNIGHTS様

人狼TLPT関係者の皆様



本論文の執筆にあたり取材を申し込んだところご快諾いただき、昼の公演終演後から夜の公演開場までの多忙な時間を割いて取材を受けてくださり、また丁寧にご回答いただいた人狼TLPTプロデューサー桜庭未那様、日程調整や資料提供等ご尽力いただいた株式会社ORACLE KNIGHTS五町麻衣子様、並びに人狼TLPT関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


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