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勇者も聖人もいない

久々の投稿です。

現代はコロナ禍による戦時下とも例える人がある。戦国時代の武将、織田信長については賛否両論ある事は歴史は勝者が語る為だ。


政治家としての一面を冷静に考察すると喜怒哀楽が激しく一見暴君の様な印象を受けるが、少し違うとも思える。


人々は褒賞を得る為に命を捧げ戦いに明け暮れる日々。次第に天下統一に近付くにつれて、土地や金を褒賞として武将や民に与える事に限界を感じる訳だ。ここである意味、今流行の「持続可能な開発目標」を行おうとしたと考えられる。


武闘派の武将には中四国地方、九州を統一後は朝鮮半島に攻め入る計画を漏らしつつ、一方で茶道を発達させた。そうして武将達を政治家と軍事家に明確に分類してゆく。次第に褒賞を茶道具と言うものに価値を変えていく。その事で文化的で土地を奪い合うことの無い所謂、天下泰平の世を作ろうとしていたのではないだろうかと考えられる。


この事を少し現代に置き換えると人々は見えない敵と戦い続けている。緊急事態宣言だの時短営業だと騒ぐ中、必ず営業保証だの何だのと叫ばれる。いずれも財源は限られている。その分配を匙加減で弄ぶ政府のごく少数の政治家。政治家も職業な訳で地位を守ることで必死な訳で聖人でもない。


当然投票をしてくれる国民の層を見極め、その層の支持者が喜んで投票してくれる政策を優先するのは至極当然のことでその政治家を選んだのも国民なのだ。


現政府の批判をするわけではなく、今はそれぞれが多くの情報の中から、正しい情報を分析し、個々に判断し、行動するしかない。矛盾点と不確定な要素の多い情報をきちんと慌てず、焦らず、正確に判断しなければならない時代です。常識はその時代の多数決で決まり、正しいことだとは限らないことを忘れてはいけない。


コロナ禍は戦時下と言うより、目の前で起こっている豪雨災害の様だ。雨が降り始めてすぐに慌てふためくのではなく状況を把握して、自分の居所が実際にどうなのかを分析観察し、仮説を立てて行動し、その行動を検証し修正し行動するしかない。


首都圏中心の報道に惑わされることなく、自信の足元はどうなっているのかしっかりと見極める必要がある。正しい選択や方法などない。濁流の流れる川の堤防で上流に逃げるべきか、下流に逃げるべきかはそれぞれ一人一人が冷静に判断し行動するしかないのだ。

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