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ぼくはぼくのバラに責任がある 島山怜

この記事は2018年3月21日に投稿されたものです。
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こんにちは。学生メンバーの島山怜(さとし)です。
初めて広田町を訪れてから、2年と半年程。
これまで、Change Maker Study Programアトリエ”izm”に関わってきました。
震災からちょうど7年を迎える時期に、この文章を書いています。
そんな今だから、広田に来るに至った初期衝動というものに、思いを馳せてみようと思います。


[※一番左が島山]

2011年3月11日14時46分。
ぼくが「やりたいことをやらない人間」になった瞬間であり、「東北」を拒否する日々が始まった瞬間です。

当時、高校生1年生。
部活動中に起きた突然の事態に驚きながらも、非日常にどこかワクワクしていました。
遠方から通学していたため、その日は学校に宿泊。
家族の安否も確認できたこともあり、自分の知らない遠くの町での悲劇に心を痛めることより、友人と夜通し語り合える楽しさのほうに意識が向いていたのです。

気持ちが変化したのは、帰宅してから。
自分の部屋の時計が、中途半端な時間で止まっているのを見つけたとき、強い胸騒ぎと恐怖に襲われたのです。

むさぼるようにニュースを見、新聞を読む。
「東北」をきっかけにして、自分がそれまで生きてきた小さな世界に「社会」というものがどっと流れ込んできたのを感じました。

混乱と興奮で頭が火照る中、

「何かしたい」

強い想いが込み上げてきました。
具体性のない、でも、確信に満ちた直感。思うに、16歳の少年の心に初めて生まれた“意志”というものだったのかもしれません。

そして
何も行動しませんでした。

「おまえらしくない」
「結局それって偽善なんじゃない?」
「本当にやりたいの?」
「お前は勉強ができるんだから、いい大学に行って、いい会社に入って、それから活動すればいいだろう」

多くの言葉がありました。
自らの意思を曲げてしまった自分がいました。この事実に、後々まで苦しむことになります。

その後、新聞の一面から「東北」の記事は消え、ぼく自身も、そのことを思うとぶり返す自己嫌悪から逃れようと距離を置くようになりました。
大学に入り、自由に使える時間を手にしてからもその姿勢を変えず、一方で「本当にやりたいことをできていない」自分から目を背ける時間が、澱[※おり]のように心に溜まっていきました。

転機は突然訪れました。
大学3年生のとき、ゼミの試験に落ち、やることもなくフラフラとしていたところ、クラスメイトの木村聡という男に東北での活動に誘われたのです。

ぼくは興奮を抑えながら
「復興支援をしに行くわけではないから」
「就活のため」
などと、わけのわからないことを考えていたのを覚えています。

「封印」しているはずの自分への言い訳だったのでしょう。
そして、長年避け続けてきた「東北」へと向かうことを決めました。

2015年12月。ぼくは初めて広田町へ足を踏み入れました。
「何かしたい」と思ったときからおよそ4年と9ヶ月。
ぼくが「やりたいをできたに変える」人間へ変わり始めた瞬間でした。

それから2年半。
一生懸命、「何か」をやり続けました。
結局、明確にやりたいことや目的があったわけではなく、16歳のときに抱いた初期衝動のまま、走り続けただけでした。
けれど、積み重ねた時間の中で大切な人ができ、大切なものが見つかり、やりたいことが見えたのです。

東北に対して何かやりたかったぼくが出会った、広田町。
『星の王子さま』に出てくる「バラ」のように大切にした時間の分だけ特別な存在になりました。
そして、この特別な町はぼくに語りかけます。

「自分の直感を信じて、やってみろ」と。

「ぼくはぼくのバラに責任がある」
王子さまがつぶやいたこの言葉を胸に刻み、自ら描いた理想を信じ、行動していきます。
これからも、どこに行こうと、ずっと。

【わたしのベスト広田フォト】

活動していた中沢浜の漁港から見える景色。迷ったときに、立ち返れる場所です。

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