「自信がない」という病。
「シュッとしている」という言葉は、いつくらいから普段づかいになったのか。
頭がいいとか、スマートな振る舞い、寛容な心とか、その清々しさをまとめた結果、逆に語彙力が追いつかなくてオノマトペに走ったのかと思ってました🤣
そしたら、関西の方言として元々あったんですね!失礼しました。
私は、このシュッとしてる人がそばにいて、劣等感を抱きやすい巡り合わせの人です🤣
つい1年前くらいまで、「自信のなさ世界選手権」があったら、上位ランカーに入れるくらい自信が無い人間でした。
よく「根拠のない自信」が大事!とも言われますが、自信のなさも実は根拠はない。
どんなによい成績でも、どんなによい売上でも、自信がないときは、無い!
そして、自信がないと、生きててもつまらないし、新しいことへも挑戦したくなくなるし、口から出る言葉は面白くないし🤣本当、「自信がない」は病気です。
それに比べて、シュッとしている御仁の立派なこと…
真面目ほどやらなくても成果を出し、一を言えば十を理解し、3枚目にならないほどに面白いことを言い、子どものように無邪気に笑い、マザーテレサのような思いやりをもち、欲はなく、まして謙虚である。
神かな?
まぶしすぎて、こっちの人間性が消し飛んでしまう🤣
一体、こういう人達は何が違うんだろうと思うんですね。
特徴としては、言葉がキレイですね。
人を嫌な気分にさせるとか、落ち込ませたり、焦らせる言葉を使わないですね。
あとは、積極的です。
「やろう!」という気持ちと行動に間がないです。
損得勘定が無さそうです。
計算してる感じがないので、気持ちよくお付き合いできますね。
思い出しただけで眩しい…。
今は、「そんな人たちと過ごせて感謝✨私はラッキーだ✨」とか思えるんですけど、当時は「おんなじように生きててこの差よ。しにたい…」と思ってました🤣
まあ、少しでも彼ら彼女らに憧れて、シュッと度を上げようとしたのですが、私の中でやって良かったのは、
人間と向き合う時間を減らす
でした。
私は、転校が多かったこともあり、裏表なく人と付き合う人間関係が作りづらかったり、昔から自分を知ってくれる人がいないということで「人間に対して過敏」なところがありました。
また、大学時代からずっと、塾の仕事をしたり、リーダー役をやってきたため、「やる気」とか「◯◯さんは◯◯な人」とか、人間の内面について考える時間が多すぎました。
経験的な話ですが、「人間だけを切り取って見る」というのは、非常に不安定なものを「目印」にしてると思います。(家族や生育歴、生活習慣に広げたとしても、まだ人間だけ、って範囲だと思います)
不安定な人の気持ちに、不安定な自分の気持ちを重ねても、不安定やん…。
だから、人と向き合うことをやめて、「大きな自然の一部」として人間をみたらいい。
自然の摂理に反した状態で、まともな精神を保つのは、やっぱり無理ですからね。
と、いうことで、約1年前から「何者かになろう」とする人間らしい目的志向型をやめて、いつでもどこでも自分の気持ちに正直になることを意識し始めました。
動物的に自分から湧き上がってくるのに、それを見ないふりして頭で社会にあわせるのは、自然の摂理に反しているからです🤣
すると、面白いことに、自分って、思った以上にいい奴でした🤣
自分が恐れていたような、わがままで他人から嫌われてしまうような自分…は本当はいませんでした🤣
今までイライラしがちだったのに、それも9割無くなりました。
自分の気持ちを大切にし始めたら、他人の都合にも寛容になってきたのです。
「そういうこともあるよねー」的な。
あと、第六感も効くようになります🤣
そっから健康意識が高まり、薬膳とか楽しく勉強してたら、
自信があるとかないとか、考えなくなりました。
「存在に関わる自信」という概念は無くなりましたね。(運転に自信がない、みたいには言いますが。)
これが私の、「自信がないという病」から逃れた方法でした🤣
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