雨の日と孤独とシェリーメイ

世の中から1億光年遅れて、noteを書き始めてみました。

特に何者でもない人間なんだけれど、一応、Twitterも本名でやっているので、こちらも本名にしてみた。

コロナ禍の世になってから、どうにも気持ちがアップダウンしてしまって、自分で自分に疲れてしまうことも多い。ふだんはエンタメ系のインタビュー記事やタレントさんの連載とか、書籍などを作っていて、小さき者ながらも、読者のためにものを作っている。でもここは、たぶん有益なことは発信できなくて、独り身の女の徒然日記みたいなものになると思う。

誰もが思っていることだとわかっているけれど、コロナ禍となってから、あまりにも日常が変わりすぎた。それまでの日々は、エンタメ系メディアの編集者として、日々、取材や撮影、会議、出社などしていれば、めまぐるしく毎日は過ぎ、暇を感じることがなかった。自炊なんてほとんどしないし(笑)独り身であっても、誰か、仕事仲間と夜まで過ごす日常で、帰宅したらぱったりと眠る、そんな日々。

それが、昨年の3月終わりごろから、突然、出社はしなくてよくなった。それどころが外に出てはいけなくなり、同居している家族以外とは会ってはならないということになった。それはどういうことかというと、同居人がいない独身はずっとひとりで過ごす、ということだ。

ずっと独り‼‼ そんなこと、昔、体を壊して、休職していたときくらいしか経験したことがない。(休職中だって、友達が心配して会いに来てくれたりしたし)初めて、けっこうな孤独感に襲われた。家族がいないってこんなに大変なことだったのだ…。仕事が終わったあとの仲間とのごはんや、ライブのあとの打ち上げ、女友達との女子会、すべてなくなって、でも短期間でなんとかなるんだろうと、ひとりでできる趣味とか、当時取り組んでいた写真集の制作に没頭してなんとかやり過ごして……いるうちにもう約1年半が経過、というわけだ。

その間、もちろん異性との出会いはない。女友達はなぜだか、コロナ禍でも彼氏を見つけ、(ほぼほぼ婚活アプリ)、アプリ嫌いの自分はぽつんと毎日、ひたすら仕事と暗闇トランポリンでの筋トレに励んでいる。

今日みたいな雨の日は、あ、帰っても誰もいないんだなあ、独りなんだ…と身に染みる瞬間がある。孤独とは何だろう。自分を見つめなおす時間か。単なる、ひとりである、という事実からくる感覚か。

私がひとり、思い悩むあいだに、無常に時は過ぎ、ああ、次の誕生日が近づいてくる(12月)。世の中には無数の「炎上」が起こり、孤独であるがゆえにチラチラ見てしまうTwitterのタイムラインにたくさんの人々の怒りが投稿されている。フェミサイドは許すまじだし、ホームレスの方々の命が軽いとは思わない。この日本ではもはや生活保護もホームレスも、明日は我が身だと思うので、誰かが特別ダメで、特別すごいなんてことはない。運とかタイミングとかそれこそ「今、たまたまうまくいっているだけ」だったりするでしょう。

変わらない日常に不安を覚える。「現状維持は退化である」とはよく言うけれど、維持することだってそれなりに大変だ。日々のタスクは山ほどある。仕事はもちろん、ただ生活をするだけでも、部屋の掃除をして、食器を洗って(在宅勤務によりしかたなくまずいごはんを自炊している)ゴミを集めて捨てて、足りなくなった日用品を買って、メイクして、スキンケアして、お風呂に入って…けっこう忙しい(笑) 暇なわけではないのだけど、でもそれでもコロナ前よりも圧倒的に暇になった。孤独になった。

私がそれを嘆いていると、同じく独り身の友人が言った。「でもそれって、自業自得じゃない?」彼女の理論では、我々は今まで頑張ってこなかった(仕事しかしてこなかった)から独り身らしい。わかるけどね…。でもさ、恋愛や結婚って頑張ってするものなんだっけ。

私は「婚活」という言葉が嫌いだ。「活動」をしなければパートナーができないなら、しないほうがマシだと思うくらい。今までにお見合いパーティ、友人の紹介、異業種交流会、合コン、婚活アプリ、出会い系のラウンジ、「婚活」と言われるものはたぶんすべて、すべてやってみた結果、「異性に対してチェックリストにチェックをつけてジャッジする」行為がほとほと嫌になったからだ。どうしたって不自然な出会いから始まるので、相手を人としてというより、「対象」として見てしまう、見られる世界がどうにも苦手だった。

自然な出会いを待つわ、と思っていたあいだに時は流れ、コロナ禍という未曽有の事態が発生。かくして、独り、好きなものしかない、居心地のいい自宅で、ディズニーシーで買った巨大シェリーメイに話しかける日々が始まった…。

「世の中、男と女しかいないんだから」というセリフを昔の少女マンガではよく見たけれど、今は違うはずで。LGBTQの人や持って生まれたジェンダーと自己認識が違うトランスジェンダーの人、無性愛の人、いろんな性があっていいという社会に少しずつだけれど、日本も変わりつつある。

そんな中でも、独りの寂しさ、孤独を回避するには、男性に頼るしかないのだろうか? それってすごい時代錯誤じゃない? たったひとりの男性を見つけ、愛し愛される(あるいは愛してなくても愛されるとか?それは嫌だけど)ことでしか、家族は作れないんだろうか。今はシェアハウスという方法もある。都内にはたくさんのシェアハウスやソーシャルアパートメントがあって、独りで部屋を借りるよりずっと安い家賃で暮らせることは知っているし、女友達で集まって一軒家に住んでいる友人だっている。

でも、思ってしまうのだ。お互いに「一番だ」って思える人と暮らしたいなーと。いい歳の大人になったって、少女のころに読んだ少女マンガ脳が抜けない。代わりがきかない存在がほしい。生まれてきてくれてありがとうと思いたいし、思われたい。朝起きて、自分にだけじゃなくて大切な人に、コーヒーを淹れてあげたい。でも「活動」なるものはもうしたくない、絶対に(笑)。

毎日毎日、同じことを頭の片隅で考えながら、仕事で成果を出そうとキリキリ働いている。自分のことを愛せてない女が愛されるわけないんだよね。「大豆田とわ子」でも言っていた。「あなたは自分と結婚したいと思う?」と。自分を客観的に見て、魅力的でなければ、パートナーはたぶん見つからない。頭ではわかるのだけどね。じゃあ世の中の彼氏や夫がいる女性たちはみんな超絶魅力的で、自分を愛しているのか?? もうわからないので、明日の仕事の準備をします。おやすみなさい。


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