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容姿を褒められるのが苦手な話

※注意※
このnoteの文章には「筆者がイジメや差別に遭う描写」が含まれます。トラウマがある方や、そういった描写が苦手な方は閲覧を控えるなどして、ご自身の心をお守りください。苦しみながら読む程の内容ではありません。どうかご自身の精神を一番大切にしてください。

はじめに

私は所謂「老け顔」に分類されるのだと思う。老け顔の人はある一定の年齢を越えると、若く見られる法則がある。
どうやら私もその法則にまんまと当てはまったらしく、最近は実年齢を言うと少し驚かれる。
……なんてハードルを上げたところで、実物の私を見たら「なんだ、そんなものか」と思われるに決まっているのだが。

最近の私は、居酒屋やバーなどに出没する機会が増えた。そこで初対面の方とお酒を交わす際、容姿を褒めてもらえることがある。
お酒の席のお世辞であり、リップサービスであると分かっている。そこに悪意や悪気がないことも分かっている。分かっているのだが、私は容姿を褒められることが苦手だ。
傷付いてはいないので、そこは安心してほしい。

私が容姿を褒められることが苦手な理由。それは、幼少期に体験したことに由来する。

メガネからコンタクトへ

保育園の年長組の時、小学校に入学するための健康診断があった。身長や体重や聴力などを測定する中に、項目として視力検査も設けられていた。
人生初めての視力検査。まずは左眼を隠し、丸の欠けている箇所を指差す。視力、1.5。問題なし。
右眼を隠す。瞳には、一番大きな丸がボヤけて映っている。
「見えません」と告げると、保育士さんたちがザワついた。その日のうちに母親が呼び出され、近所の眼科に連れられた。
眼科では更に詳細な測定をした。私の左眼の視力は、0.1以下だったのだ。

両親も妹も祖父母も保育士さんも、誰も、私の左眼が「見えていない」ことに気付いていなかった。
私は右眼だけで世界を見ていたのだが、日常生活に全く支障はなかったし、そもそも私は幼すぎて「視力」という概念を知らず、「人間というものは左眼が見えづらい身体の仕組みになっている」ととんだ勘違いをしていた。

「左右」という概念も、片目を閉じながら覚えていた。「見える方が右」「見えない方が左」が判断基準だった。左右盲の気があるので、今でも片目を閉じて左右を確認してしまう。

私の左眼の視力の問題は、当然、大人たちの間で大騒ぎになった。皆が「見えている」と思っていたのに、本当は「見えていなかった」からだ。
左眼の視力が著しく悪いだけでなく、その頃の私は「右眼だけで物を見る」ことがクセになっていた。加えて、左眼は弱視であることも判明した。

大学病院に行き、「左眼を使う訓練」を指導された。そして私はメガネ屋さんに連れられる。

現在のメガネ屋さんは、子ども用のメガネが何種類も揃えられており、オシャレなものもたくさんある。
しかし、私が幼い頃は、子ども用のメガネはピンクと水色の2色しかなかった。ダサいメガネ(ピンク)と、ダサいメガネ(水色)の二択。私は水色のメガネを選び、翌日からメガネをかけて通園することとなった。

保育園ではずっと、男の子からも女の子からも「〇〇ちゃん」と呼ばれていた。
しかし、メガネをかけた瞬間から、皆は私のことを「メガネ猿」と呼ぶようになる。当時、クラスの中でメガネをかけていたのは、私だけだった。
子どもとは残酷な生き物だ。メガネという目立った特徴が追加されただけで、それまでの「〇〇ちゃん」としての私のことなんて忘れ、「メガネ」という特徴のみで、私を見るようになった。

小学校に進学しても、メガネをかける児童は当時はまだ珍しかった。当然のように「メガネ猿」と呼ばれた。

幸か不幸か、小学校の勉強に苦労しないで済んだので、私には「ガリ勉」という要素も追加されることになる。

更に、私は真面目な児童だった。
運動会の「表現(ダンスや組体操などを指す言葉)」の練習にシッカリと取り組んだ。
教師から指名され、お手本として学年の児童全員の前でダンスを踊ってみせた。

通っていた小学校の児童は少々やさぐれており、ダンスに真面目に取り組むことは「ダサい」とされていた。
皆がダラダラと、手を抜いて踊っている中、私だけはキビキビと、全身を大きく使ってダンスをした。
ダラダラと手を抜くより、全力で躍った方が格好良いという私の美学に基づいての行動だったが、クラスメイトからは「先生に媚びている」と判断されてしまった。

身長も高かった。背の順で並ぶ際は男の子たちを差し置いて、私の固定位置はいつも一番後ろだった。
小学4年生から小学6年生までが私の最も背の伸びた時期で、毎年ピッタリ9センチずつ背が高くなっていった。成長痛に苦しみ、母親に両脚を擦ってもらいながら、毎晩眠りについていた。

今になって思うと、所謂「治安の悪い小学校」だったのだろう。しかし当時の私にとっては、通っている小学校だけが「世界」だった。

その「世界」では、メガネで、ガリ勉で、先生に媚びていて、身長が高い私は、完全に異分子だった。

小学5年生になっても、私は相変わらず「メガネ猿」と呼ばれていた。
テスト返しの際には、点数が周りに見られないよう、花丸のついたテスト用紙を隠すクセがついていた。
70点を取るような児童がクラスのリーダーだったので、「95点以上しか取らない私」という存在が見つからないよう、息を殺して生きていた。

小学5年生の冬、耐えかねて母に相談をした。
「クラスの皆にメガネ猿と言われるのが辛い」と。

母はたった一言「分かった」と言い、私を眼科へと連れて行った。
小学6年生の春、私はコンタクトデビューを果たした。

初めてコンタクトで登校した際の、クラスメイトの眼差しが忘れられない。ざわめき、好奇の目……今までから、何かが変わったのを肌身で感じた。
後から判明したのだが、どうやら私はその瞬間から、「勉強ができて、スタイルが良くて、運動も出来る、高嶺の花」という位置付けになったらしかった。

今の教育現場では有り得ないことだが、卒業文集の各クラスのページには、ランキング欄があった。
「将来お金持ちになりそうな人ランキング」……これはまだ許そう。「良いお嫁さんになりそうな人ランキング」……今の教育現場なら、もうこの段階でアウトだ。
しかし当時の小学校には、もっと残酷なランキングがあった。

「イケメンランキング」と「可愛い子ランキング」である。

ルッキズムにも程がある。私はルッキズム丸出しの最悪なランキングで、女の子部門の同率1位を獲得してしまった。
何故かクラスのリーダー的な女の子の前で、同率1位のもう一人の女の子とジャンケンをさせられ、ジャンケンに負けた私は、卒業文集上では2位ということになっていたけれど。

メガネをコンタクトに変えただけだ。

小学6年生になっても、勉強も運動もダンスも、それまでと同様に真面目に取り組んでいたし、模範的な児童として教師から信頼もされてた。相変わらず背も高かった。

「私」の本質は何も変わっていない。変わったのはただ、メガネがコンタクトになっただけ。
それだけなのに、私は「クラスで2番目に可愛い女の子」になってしまった。

――ああ、結局、誰も「私そのもの」を見てはいないんだ。

「〇〇ちゃんからメガネ猿」への掌返しと、「メガネ猿からクラスで2番目に可愛い女の子」への掌返しが重なって、私は完全に、他人が私のことを容姿で判断するという行為に対して、信頼を失った。

肌の色について

私の見た目上の特性として、もう1つ「肌の色が薄い」というものが挙げられる。
紫外線過敏症なので、皮膚科に通っているし、真冬だろうが日焼け止めクリームは手放せない。長時間日光を浴びると、肌が痒くて眠れなくなるからだ。
しかしそんなことは誰にも告げなかったので、「肌が白いね」と言われ続けた。

高校生の時、クラスメイトに言われたことがある。
「〇〇ちゃんって、肌が白いよなあ。ホンマに日本人なん?」
悪気があったわけではないと理解している。寧ろ褒め言葉として使ってくれたのだろう。しかし高校生の私は、その言葉を聞いてなんだかモヤモヤした。

今になって思えば、あの言葉は私や、私の家族のアイデンティティを揺るがすような失礼極まりないものだったと理解できる。
そもそも「本当の日本人」とは何だろう。私が仮に「本当の日本人」ではなかった場合、どんなことが起こっていたのだろう。
その日以来、「色白だね」も私の中では「嬉しくない言葉」という位置付けになった。

「可愛い」、「美人」は嘘の言葉。
私がコンタクトをしているから出てきた言葉であって、メガネをかけた瞬間、私は「メガネ猿」に逆戻りする。

「色白だね」は差別の言葉。
私や、私の家族・家系を根底から否定する、失礼な言葉。

私はずっと、そう思って生きてきた。

大人になった今でも、容姿について褒めてもらえることがある。
有り難いことだと分かっている。悪気がないことなど分かっている。軽いコミュニケーションの一環であり、好意的な言葉であり、そこに深い意味は存在しないと分かっている。

頭では分かっているのだけれど、心の中の幼少期・青年期の私は、うずくまって涙を流している。

関係性と信頼と誠実さ

会話というものは、信頼関係の上で成り立つものだ。信頼している人、関係性が構築されている人から、容姿を褒められたら素直に喜べるし、有り難いなあと思える。
しかし初対面の人にイキナリ容姿について言及されると、例えそこに悪意がなくても、身構えてしまうのも事実である。

面倒臭い人間だという自覚はある。褒められているのだから素直に喜んだら良いと分かっている。治したいと思っている。しかし、今はまだ、治せない。そのうち治せたら良いな、と願っている。

「人を傷付けないお笑い」なんて言葉が数年前に流行したが、そんなものは嘘だ。そもそも、「誰も傷付かない表現」なんてものは存在しない。
もし「この作品なら、この表現なら、この言葉なら、誰も傷付かないだろう」と考えている人がいるとしたら、それはただの傲慢でしかない。

「傷付けるな」と言いたい訳ではない。私だって無意識のうちに、きっとどこかで誰かを傷付けている。だからこそ、私を含むすべての人に「この作品・表現・言葉によって、誰かを傷付けているかもしれない」という自覚と責任を持ってほしいのだ。

私は自覚と責任を持った上で発言したいと心掛けているし、もし誰かを傷付けてしまったら、誠実に対応したい。

そのために、この記事の冒頭には注意書きを載せている。
ファンレターだって、Twitterの名前だけではなく実名も併記するよう心掛けている。基本的にファンレターには好意しか書かないようにしているが、その好意が恐怖と捉えられてしまう可能性を自覚している。
これが私なりの「誠実さ」だ。
自分にも他人にも、誠実に生きたい。


2023年も、年始恒例の『マヂカルラブリーno寄席』があった。そこでは外国人差別と捉えられても仕方のないネタがあり、そのネタを即中止とすることで笑いが生まれていた。私もゲラゲラと笑った。
一方で『マヂカルラブリーno寄席』では、もはや恒例の野次の中に、高身長を揶揄するものや、肌の色が白すぎるというものがあった。
「いや、あのネタは中止にさせるのに、そんな酷いヤジを飛ばすのかよ!」な構造のお笑いであることは分かっている。公演自体は面白かった。とても笑った。
笑いながら、心のどこかで泣いていた。

芸人さんたちは、常にすべてを「面白いもの」として提供してくれていると理解している。そこに水を差したい訳ではない。芸人
さんたちを悪く言いたい訳でもない。お笑いに真剣な芸人さんたちが大好きだ。

だからこそ、自覚と責任を持ってもらいたい。それが芸に対する誠意だと思うし、一応お笑い好きと名乗ってしまっている私も、言葉や態度、行動には気を付けて生きていきたい。

『M-1グランプリ2022』では「ウエストランドの漫才は人を傷つける」と言われたが、では、さや香の2本目のネタが人を傷付けていないかと言われたら、それは違う。
寧ろ、さや香の題材の方で傷付いてしまう人がいることは、容易く想像できる。

私はウエストランドの漫才も、さや香の漫才も好きだ。そこに「覚悟」が見えるから。
「この表現で、誰かが傷付いてしまうかもしれない。それでも俺たちはこのネタを面白いと思っているし、表現したいと思っている」という真摯さが伝わってくる(そもそも、M-1の決勝戦に選ばれるような漫才師が、それくらいの覚悟と責任感を持ってくれていなかったら困る)。

「うわー、小川ってヤツ、面倒臭え!」と思われても仕方がない。私は面倒臭くて、捻くれていて、卑屈な性格だ。
染み付いてしまっているから、きっとこの性格を抱えながら生きていく。

もしここまで読んでくれた稀有な人の中で、「僕/私が小川を過去に傷付けてしまったかも」と不安に思った人がいたら、それは心配ご無用である。

前述の通り、会話というものは信頼関係の上で成り立つものだと考えている。
こんな駄文に付き合ってくれた上で、私の心にまで気を配ってくれる人がいるとしたら、私はその人のことをもう既にすっかり信頼している。

どうしても小川の容姿を褒める必要がある場合

「じゃあ何て褒めたら良いんだよ!」と思われるかもしれない。「可愛い」も「肌が白い」も「背が高い」もダメなら、小川になんて声を掛けたら良いんだ、と思われても仕方がない。

そんな時は、「肌がキレイですね」とか「服が似合ってますね」とか「背筋がシャンとしてますね」とかの声を掛けてほしい。
それは、私が努力して手に入れたものだからだ。

肌に関しては、以前に書いたnoteを参照してもらいたい。金欠の中、なんとか自分なりに努力をしている。そこには、アトピーで苦しむ妹に対しての「誠実さ」も含まれている。

洋服選びに関しても、かなり気を使っている。
所謂標準体型ではないため、ネット通販で気軽に服を買うことができない。
私が服を買う時は、試着に試着を重ね、体型に合った服かどうかを吟味してから購入している。
その努力を褒めてもらえると、とても嬉しい。

背筋・姿勢に関しては、まだ頑張っている途中という段階だ。
背が高いことがコンプレックスだった私は、常に背中を丸めて、なるべく小さく見えるように生きるクセが染み付いてしまっている。
ある日写真を見返したら、自分の姿勢の悪さに愕然とした。「このまま歳を重ねたら、きっとイケてるオバ様になれない」と自覚した私は、週に2回のペースで整骨院に通い出した。
骨盤矯正をしたり、まっすぐ立つために腹筋を鍛えたり(腹筋に電流を流すことで筋肉を鍛えている。お手軽だ)、ウォーキング指導をしてもらったりしている。

2ヶ月経って、通院したばかりの頃の立ち姿と見比べたら、だいぶとマシになっていた。
今でもまだまだ猫背だが、猫背が治った時には、姿勢を褒めてもらえたら嬉しい。

まとめ

結局、「人を傷付けない言葉」なんてものはない。誰かの何気ない一言は私を傷付けるし、私の何気ない一言も誰かを傷付けている。

私がアナタを傷付けてしまっていたら、「傷付いた」と教えてほしい。

誠意を持って謝罪をしたいし、今後そのような発言がないように気を付けたいし、その言葉をキッカケにして、更に表現について考えていきたいからだ。

ここまで読んでくれた稀有な方、ありがとうございます。そして、傷付けてしまっていたらごめんなさい。

それでも私は、何かを表現することを辞めません。Twitterでもnoteでも日常での会話でもファンレターでも、私は表現を続けます。


覚悟と責任と誠実さを忘れずに表現を続けていくよう心掛けるので、見守ってもらえたら嬉しいです。

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