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愛読書が旅から帰ってきた話

「小説本を貸す」というのはとても勇気の要る行為だ。
人それぞれに「好みの展開」があり、そもそも「好みの文体」がある。私自身、どんなに内容に興味があっても、文体が合わないと感じてしまい、物語のラストに辿り着けなかった経験もある。
自分が「面白い作品」と感じ、心の支えにしている物語が、相手にとって「つまらない作品」と思われたらどうしようという不安もある。
愛読書を貸すということは、自分の内面を曝け出す行為でもあるので、恥ずかしさも伴う。
借りた側には、「貸してもらったからには、感想を伝えなくては」と余計なプレッシャーを与えてしまうだろう。

「小説本を貸す」ということには、様々なリスクが伴う。なので私は、今までの人生で、「本を貸す」という行為を極力避けてきた。

しかし、「どうしても『あなた』に『この本を』貸したい」と願ってしまう出会いがあった。

相手は、未来ある若者だった。若者は旅に出たいと言った。海外に行って学びたいと。

「託したい」と思ってしまった。名著に触れてエネルギーを貰い、行動の参考にしてもらえたら……、そんな老婆心が芽生えてしまった。
「この人になら、貸しても大丈夫だろう」という安心もあった。
聡明な若者だ。つまらないと感じたら見切りをつけてくれるだろうし、面白いと感じたら読み進めてくれるだろうと信頼していた。それは一種の甘えでもあることは、自覚している。

沢木耕太郎の名著『深夜特急』を貸した。

ベタだ。ベタすぎる。ド定番にも程がある。
しかし若者は、まだその名著に巡り会っていないらしかった。
それならば、と半ば押し付けるような形で、一巻だけを貸した。

沢木耕太郎の作品ならば大丈夫だろうという安心感もあった。
新聞記者出身の作家だ。誰にでも分かりやすい言葉を使って、端的に、瑞々しく物語を紡いでくれる。
私が追っている作家の中では、かなりクセのない文体をしており、読み手を選ばないという、沢木に対する絶対的な信頼。それは一生揺らがない。

そしてどうやら、若者は『深夜特急』を楽しんでくれているようだった。
若者のTwitterから、「あ、今、『深夜特急』を読んでいるな」と匂わせるツイートが散見され、ホッと胸を撫で下ろすと同時に、心の中でガッツポーズをした。伝わっていることが、届いていることが、嬉しかった。

『深夜特急』の一巻は、旅から帰ってきた。旅を経て、なんだか少し成長して見える。

そして光栄なことに、二巻を貸す約束を交わすことができた。

私の背中を押してくれた『深夜特急』が、若者のもとへ旅に出て、帰ってきた。
旅の好きな沢木のことだ。きっと沢木耕太郎も、喜んでくれていると信じたい。

この文章を書いていたら、チャイを飲みたくなってきたなあ。

今書店に並んでいる『深夜特急』はおそらく「文字拡大増補新版」なので、そちらの方が読みやすく、充実していると思います。いつ読んでも変わらない魅力を持つ、永遠の名著なので、是非に。若いうちに読んだ方がより良いです。
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深夜特急1 ー 香港・マカオ〈文字拡大増補新版〉 (新潮文庫) 


しかし、私が読み込んで、文体の美しさに惚れ惚れし、なんとか文章力を身に付けたくて音読し、「旅」の背中を押してもらったのは、手元にある『深夜特急』だ。クタクタだけど想い入れのある、かわいい我が子。

私は自分の『深夜特急』に旅をさせてあげられて本当に嬉しかったし、「旅をさせたい」と思える人に出会えて幸せだ。

私が『深夜特急』を読んで背中を押してもらい、どこに何をしに行ったのか。それもいずれ記せたら良いな。

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