うちの猫について②—となりのミーコ
ミーコはもういない。
もう亡くなって8-9年ぐらいにはなると思う。
ちなみに画像はフリー画像の白い猫を拝借している。
真っ白なメス猫のミーコは、鹿児島の猫だ。義父母と同居していた家の隣にすむ義叔母が飼っていた猫である。先のNOTEのりぼん編で触れているが、
https://note.com/sesami358/n/n25dd76c727f9
天然温泉が自噴しているこのエリアでは猫は良くやってくる。少し離れたところにいた、白いきれいなこの猫にエサをあげているうちについてきて飼うようになったと言っていた。
敷地内にあった義叔母の家は徒歩10歩程度の距離であり、よくお世話になった。小学校の先生をしていた義叔母は、小さな娘をそれはそれはよく面倒みてくれた。(義父母ももちろん良くしてくださった。)娘も猫がいて当たり前の暮らしになっていた。
主人は猫には慣れているが、私は猫を飼ったことはなかった。義叔母は猫の生態を私たちに教えてくれた。食べる前になぜか爪とぎをすること。糸を使っているとじゃれること。玉をおいかけること。犬とちがって放していても遠くまでいかないこと。行っても家が大好きなのでちゃんとかえってくること。温かいところや涼しいところに自分でいくこと。散歩は不要でちゃんと決まったところで用をすまし、きれい好きなこと。日向ぼっこが大好きなこと。
お客様がくると義叔母はおもてなしの気持ちでミーコを見せた。ミーコは抱っこされて前足を義叔母に握られてあたかも人形劇よろしくオフレコされ勝手に動かされていた。その時のミーコの目はビー玉のようになり、魂をどこかに飛ばしているようであった。
義叔母は独身なので一緒に住んでいる命はこのミーコのみの二人ぐらしであった。大変溺愛していた。我々がミーコと遊び始めたぐらいにはすでに人間でいうところの中高年のおばさんになっていた。とても美しい白猫だったが、皮膚が抜けている部分ができるようになった。温泉のお湯をつけ、雪の元を塗るという独自の治療法を義叔母は行っていたがあまりよくなったようには見えなかった。
移住して10年ぐらいの頃だったと思う。ミーコがあまり食べないと義叔母が困っていた。たしかに細くなった。たまに庭の先へ行って帰ってこない夜もあるので心配だとこぼしていた。なかなか帰ってこなかった日があった。やっと帰ってきた時、とにもかくにもよく戻ってきたと義叔母は言った。猫は人目にふれないところで死んでいく生態があるからだ。
かくして義叔母の目の前でミーコは息を引き取った。義叔母はすっかり老け込んだ。彼女の願いで私は敷地内の庭の木のふもとにミーコを埋めて小さな板を立てた。
ミーコが若いころ、私たちはその小さなぬくもりにどれだけ癒されたかわからない。乳幼児をつれていたから、遊んでもらったのはこちらのほうだった。昼寝の時間には娘を良く寝かしつけてくれた。娘の情操教育上でもとてもお世話になったと思っている。ミーコ、本当にありがとう。
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