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Right, there is nothing …… 016
_産声
「生まれたとき、僕はなにが言いたかったんだ!」
という言葉を考えたことがある。
生まれたばかりのこがあげる産声のことを言っているのだけど。
ちいさいこが、なにが言いたいとか、そんなことなにも考えてはいないとは思うけれど、それでも考えていたとしてもおかしくはない。
でてきて、いきなり、泣くわけだから、つらいのか、うれし泣きなのかさえわからない。
けつをひっぱたかれて泣いてるのでそれは外圧が原因かもしれないけど、そんなことを思うと人間の存在がなんか軽く思えてしまうので、泣くことは重要なことであると思いたい。
すすり泣くわけでなく、声高にわぁーと泣くわけなので、そこに感情を押しころそうとか、まわりに気遣うとかいったような理性は感じられない。しかし、親や親戚たちをよろこばそうとするサービス精神みたいなのはあるのかもしれない。ここは、泣き所だと。
じぶんに照らし合わせてみても、生まれたときの記憶はまったくなく、その後もしばらく数年はなにも憶えていない。
憶えていないから記憶がないとは思わないが、じぶんでも思い出しようがないのだ。憶えていないのだから、いたしかたない。
はいはい、よちよち、しはじめ、で、泣いていたかと思うと、つぎは笑っていたり。で、なにに笑っているのとかこんどは笑いの原因が気になってもわからない。
じぶんがちいさいこのときに笑っていたことも憶えていない。
なにか笑う原因みたいなのがあるのだろうけど、もし、にやけていたら、照れ笑いしていたら、ぼやいていたら、としたら、その記憶をたどってみたい、みるべきだ、と思う。
2009年8月28日 セサミスペース M (Twitter)
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