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Right, there is nothing …… 020
_風
得意、不得意は誰にでもあることだけど、そんなことは本来どうでもよいことなのだ。
たとえば、正確さを求めるなら自動車を使うよりも電車を利用したほうが時間どおりに目的地に着くことができそうだ。けれども、クルマだったら中で上着を脱ぎ放り投げたり、カバンを置いたりできるし、音楽をヘッドフォンなしに好きなだけボリュームをあげて聴くことだってできる。それぞれ特性が異なる。
風をきって走るという形容があるが、風は通り抜けできるから、われわれは風をきって走ることができるわけで、これが風ではなくてビルだったら、とてつもなくすごいことなってしまうのではなかろうか。「彼は風をきって走った」ではなく「彼はビルをきって走った」では意味が通じない。じゃあ、意味が通じるようにと「彼はビルをぶっこわして走った」ではますます不自然になってしまう。そんな彼っていったいどんなやつなのだろうかと、そこに非現実的な男の存在を想像することになる。
なんだったっけ。
そう、風は通り抜けできる。逆に風の方だってその特性をいかしてビルのすきまをぴゅーと通り抜けられるし、陸橋にぶつかったとしても自身を分散させて前へ進むことができるのだ。ただし、そんな風でもコンビニのレジ袋はどうも苦手のようだ。
われわれは風を通り抜けることはできても、風自身は通り抜けられないものがあるということが、コンビニのレジ袋が証明してくれた。
もちろん、風の力が強すぎると、袋なんてやぶいたり、吹き飛ばしたりできるし、それを持つ私ともどもいっしょくたにふっ飛ばしてしまうことだろう。凧のように空高くへと。「彼は風に連れ去られた」というふうに。
もしそうなったとしたら、たいへんだ。なぜなら、私は飛ぶことも高い所も不得意だからだ。どうでもよいことだけど。
2010年1月18日 セサミスペース M (Twitter)
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