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No.21 やっと会えたね

「赤ちゃんも頑張っているから、お母さんも頑張って」
息が上がり体力も限界になりつつある私に、助産婦さんが優しく声をかけてくれました。
「ちょっとこれは……もし出してあげられなかったらどうなるんだろう」

勤務先の皆さんに見送られ、安産のお守りや、腰を労わるクッションや、
お花もいただき、私は出産の為、産休に入りました。
楽しい職場よ、しばしのお別れ。
また戻ってくるからね。
22年も前のことです。

しかし、出産予定日になってもいっこうに産まれる気配がありません。
臨月になると胎児も十分育っている為それほど動かず、静かなものです。
予定日を一週間も過ぎるとさすがにまだか? と気になりつつ、それでもまあ、気が向いたら出てきてね、などとお気楽なことを思っていた私です。
知らないとは恐ろしい。
予定日が過ぎれば過ぎるほど、胎児も大きくなり、出産だって大変になるのです。

そして予定日から8日目の夜、陣痛らしきものが。
陣痛って本当にわかるのか? 未経験だぞ。と思っていましたが、
経験者の方達の「絶対にわかる」と言う言葉通り、わかりました。
病院に連絡すると、(陣痛が)10分おきになったら来てくださいと。
でもなかなか10分おきにはならず、結局一日経ち次の夜になりました。
10分おきにはならないけれど、結構頻繁に来るし痛いのです。
1.5日目の朝に再び病院に連絡すると、「もう来ていいですよ」ということで、タクシーをひろい、夫と二人で出産予定の病院へ向かいました。
いやーそれでもなかなか出産に至るほどには陣痛が進まず、一晩越しました。
出産には至らなくとも、間隔が短くならないだけで陣痛は強くなっているので、来るとさすがにもう尾骨がくだけそうで……痛いなんてもんじゃない。
過去に尾骨を痛めた経験があり、そのせいで痛いのか一晩悶え苦しみました。
しかし病室に泊まっていた夫はイビキをかいて熟睡している。
夜中に部屋に来てくれた助産師さんが、
「起こしましょうか?!!」とおっしゃったくらいです。
妊婦と共に宿泊する家族の役割は、腰をさするとか、妊婦のケアなのでした。その頃は私も知りませんでした。
翌朝になってもなかなか陣痛の間隔が狭まらないし、何より子宮口が開かない。
胎児もどれだけ粘るのか。
あまり陣痛が長引くのもよろしくないようでした。
母体も胎児も体力が落ちていきます。
危ないのです。それも知りませんでした。何より胎児が危ない。
初めての陣痛から2.5日目、看護師さんに人口破水されました。
暫く様子を見てもそれでもダメで、陣痛促進剤を使うことに。
後で知るとそれはそれで良くないようですが、あの時はそれどころではなく、永遠に続く5分おきの陣痛に主治医がもう待てないと。
私も胎児が危険になるなら、もうなんとかして欲しいという心境でした。

陣痛促進剤恐るべし。
一気に陣痛が進み、痛みで歩くことができなかった私は車椅子に乗せられて分娩室へGO!
しかーーーし!
ここからまたひと山ふた山あるとは。

陣痛って、ずっと続くわけではなくて、引いたり来たりと波があります。
その陣痛の波に乗って赤ちゃんが下りてくる。そしてその時に、妊婦はいきんで赤ちゃんが下りてくるのを助けるのです。
なのですけれど、うちの子、ちっとも下りて来ない。
いきむ時、全身を使いめっちゃ全力でした。陣痛とともに、助産婦さんに「はいいきんでー」と言われて、引くと休んでの繰り返し。
何度それを繰り返したか。
途中主治医がヘルプで別の男性医師を呼びました。私がいきむとその医師が上からお腹を押します。ひゃーっ。そんなのもありなの??
立ち会い出産を希望してそれを見ていた夫は、壮絶な光景に、妻子はどうなるのかと、本気で心配になったそうです。
しかし私はそれどころではありません。
もうゼーハーという感じで、息も絶え絶えに。
校庭を全速力で二周走った感じだな……なとど思っていました。
一息ついたらヘルプの医師に
「休まないっ!!!」と叱られ、再び参戦。
そんな時も助産婦さんは優しくて
「赤ちゃんも頑張っているから、お母さんも頑張って」
と声をかけてくれました。
「ちょっとこれは……もし出してあげられなかったらどうなるんだろう」
さすがに心配になりました。象のように23か月とか妊婦でいるのか? 
いやそれは無理だよね。
そして出てきた次の作戦は
「吸引しますよ。いいですね」
と主治医が何かを手に持っています。
私はもうなんでもいいからとにかく早く出してあげて欲しい。
私も体力の限界が近い。
そんな気持ちで
「はい、お願いします」と答えました。
チラッと見たそれは、トイレ掃除の吸引棒に似ていた。
ぎゃーっ痛いー
そりゃ痛いでしょう。
その吸引器を外から入れるのですから。
しかし、その吸引器に引っ張り出され、うちの子は無事に外に出てくることができました。
泣かんかった。
長時間の出産を乗り越えて、最後には引っ張り出され、
おそらくクタクタであった赤ちゃんは泣く力もなかったのかもしれません。
パシパシと叩かれていました。
可哀想に。難関を乗り切ったと思ったら次は叩かれるとは。
外の世界は何というところだー
と思ったでしょうか。
そして産声をあげました。
助産婦さんが私のお腹の上に赤ちゃんを乗せてくれましたが、私も満身創痍。手が震えて力が入らず赤ちゃんを支えられません。
「夫が抱きたいと思うので、夫に抱かせてあげてください」
赤ちゃんを渡された夫は
「ハーイ。アイム ユア ダディ。
 ウェルカム イントゥー ザ ワールド」と
疲れてクタクタのわが子に声をかけていました。
あなただけだよ、元気なのは。

その後、私は1時間動かないでと、一人分娩室に残され横になっていました。
その分娩室には分娩台が二台あり、真ん中がカーテンで仕切られています。
私が休んでいる時、妊婦さんが一人、助産婦さんに付き添われて分娩室に入ってきました。
ああ、この人も今から出産するのか。
なんて思っていたら、その人は10分くらいでツルッと出産しました。
「!?」
「これはどういうことだ? 出産てこんなに楽に終わるものなのか?」
驚きでした。その時私は自分が超難産だったことを知ったのでした。

後で助産婦さんが教えてくれました。
「お腹に入っていた時の赤ちゃんの向きが違ったの。本当はお母さんの背中の方を向いているのだけれど、横を向いて入っていたから、上手く回って下りてこられなかったの。赤ちゃん、本当に頑張りましたね微笑」

最初の向きがあるとは知らなかった。
ヨーイドン、の時に、スタート地点に横向きでスタンバイしていたら、そりゃ確かに大変。
全て終わり、無事に産まれてこられて良かった。この場合、出産中も出産後も、赤ちゃんには色々なリスクがあるようでした。

あとで母に話したら
「帝王切開にならなくてよかったじゃない」
と言われました。
帝王切開! まだそれがあった。
あんなフルコースのあとで、お腹まで切られたらと思うと……

その長女も21才になりました。
生まれて来てくれて本当にありがとう。

今日も幸せな一日でありますように!

Love & Peace,

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