見出し画像

昔の人は玄米を食べていたの?

こんにちは。
玄米は白米に比べ比較にならない程、
豊富な栄養があります。

米を白くすると書いて「粕」、
米を健康に すると書いて「糠」
という字になります。

昔の人は糠や胚芽にこそ、大切なものが
たくさん詰まっているということを
自然と 知っていたのですね。

しかし、歴史上、その健康的な玄米では
なくずっと白米が食べられてきました。

なぜでしょう? 本日は鶴見隆史先生の
「食物養生大全」 から、白米が食べられて
きた歴史を 抜粋してお話したいと思います。


▼白米が食べられてきた歴史

稲が出現したのは9000年ぐらい前。
それは 間違いないようなのですが、その頃も
玄米 ではなく白米で食べられていました。

中国の遺跡の壁画には「米を搗く」様子が
しっかりと描かれています。

そして中国から朝鮮半島、そして日本へと
伝わったのが、約3000年前の縄文時代 後期。


栽培方法と食する方法は両方同時に 伝わるはずです。

ですから、最初から 白米が食べられていたと
考えられています。

平安時代、宮中の女性の顔は「下膨れ」 が
当時の美人顔と言われてきました。

その頃もし、玄米が食べられていて、嚙み
砕く力が必要な環境だったら、もう少し、
がっちりとした顎形になっていたはずです。

白米を食べることが出来ていたのは、わずか
5%の公家や上流階級の支配者階級のみ。

残りの95%の百姓や庶民は育てた米は 献上し、
残りの微々たる米をひえやアワなどと混ぜて
粥にして炊いていました。

しかし、それで病気になったのは白米を
食べていた上流階級。 彼らはビタミン不足で
脚気になり、 重症化すると、死に至るという
危険性 もありました。

また、日清日露戦争で陸軍の戦死者 は多数に
上回りましたが、実はその 70~80%は戦死で
なく脚気だっという 話があります。

その原因は陸軍総監の森林太郎 (森鷗外)が
「脚気は脚気菌が原因」 として「銀シャリで
なくてはならぬ」と白米 ばかりを食べさせて
いたと言われています。

一方、高木兼寛率いる海軍は 「栄養的に白米飯
に原因があるのでは ないかと、主食を麦飯に
したり、動物性 たんぱく質をおかずに加えたり
しました。

それにより、脚気の死亡者はほとんど
出さなかったということです。

その後、脚気の原因が玄米の糠に含まれる
ビタミンB₁の不足によるもの だと
判明されました。

しかし、脚気の原因が白米飯にあった
ことが 分かったのにも関わらず、玄米食に
移行 することはありませんでした。

▼まとめ

「脚気」の原因は「白米」と分かったのにも
関わらず「玄米」食は定着しなかった。




「本当の食事」とは何か?
日本の不安な食事情を変えていきたいと
考えている方は私の公式LINEで
「日本でオーガニックを広める必勝法」
を読んでください。   
↓ ↓ ↓
https://lin.ee/lmbS5El
順次、お得な情報もお渡ししていきます。


参考文献
食物養生大全 鶴見隆史著



#無農薬無肥料 #オーガニック #オーガニック料理 #オーガニック料理教室 #食料自給 #本当の食べもの #玄米 #米 #稲作 #主食 #糠 #脚気

ありがとうございます!サポートいただけるとより良い情報をお届けするための学びへの投資にさせて頂きます!