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【巨人の肩の上から #9】-「共感」が人間関係を作る

Nothing is more graceful than habitual cheerfulness, which is always founded upon a peculiar relish for all the little pleasures which common occurrences afford. We readily sympathize with it: it inspires us with the same joy, and makes every trifle turn up to us in the same agreeable aspect in which it presents itself to the person endowed with this happy disposition. Hence it is that youth, the season of gaiety, so easily engages our affections.

習慣的な明朗さよりも感じの良いものはない。それはいつだって、ありふれた出来事が与えるあらゆる小さな喜びに対するその人独自の興味の上に成り立つものである。私たちは快くそれに共感する。それは私たちに同じ喜びを呼び起こしてくれ、全ての取るに足らない物事を、この陽気な気質を持った人物にはそう見えているのと同じように、心地の良いものへと変えさせる。すなわち彼の、陽気に満ちた時期の若々しさこそが、私たちの心をたやすく惹きつけるのだ。

アダム・スミス『道徳感情論』Adam Smith'The Theory of Moral Sentiments'
第1部 第2篇 第5章-2

Actions of a beneficent tendency, which proceed from proper motives, seem alone to require reward; because such alone are the approved objects of gratitude, or excite the sympathetic gratitude of the spectator.
Actions of a hurtful tendency, which proceed from improper motives, seem alone to deserve punishment; because such alone are the approved objects of resentment, or excite the sympathetic resentment of the spectator.

適切な動機によってなされた有益な行為は、それだけで報酬に値するように思われる。なぜならば、それらは単体で感謝の適切な対象であり、(その行為を受けた人の)感謝に対する共感を見る者のなかに引き起こすからだ。
不適切な動機によってなされた有害な行為は、それだけで懲罰に値するように思われる。なぜならば、それらは単体で怒りの適切な対象であり、怒りに対する共感を見る者のなかに引き起こすからだ。

同上 第2部 第2篇 第1章-1,2

「神の見えざる手」という言葉でよく知られ、ときには「経済学の父」などとも称されるアダム・スミスには、道徳哲学者としての顔もあった。彼は『道徳感情論』と『国富論』という二つの著作で知られているが、市場原理における「神の見えざる手」のはたらきを発見した「(古典派)経済学の父」という彼の一般的な理解は、実際のところこの二つの著作のうち『国富論』の方からしかみて取ることができない。

アダム・スミスは間違いなく、経済学者というよりは道徳哲学者だった。「人間がみな利己的に、つまり自分勝手に自分の利益を追求すれば、社会は自然と(「見えざる手」に導かれて)効率的に動くようになるし、社会は実際にそうして動いている」という発想、すなわち「なすに任せよ(レッセ・フェール)」の教えは、むしろスミスが彼の生涯を通じて批判しようとしたホッブズやマンデヴィル、そして当時の重農主義者たちに近い発想である。
『道徳感情論』は、次の文章から始まる。

How selfish soever man may be supposed, there are evidently some principles in his nature, which interest him in the fortune of others, and render their happiness necessary to him, though he derives nothing from it except the pleasure of seeing it.

どれだけ利己的であるように思われても、人間には本来的に、他人の運命に関心を持ち、彼らの幸福を自分にとってもかけがえのないものに変換するようななんらかの性向が明らかに備わっている。他者の幸福を見ることの喜び以外に、自分が得ることは何もないにもかかわらず、である。

同上 第1部 第1章-1

この書き出しからも明らかなように、スミスは人間にはただ自分の利益を追求する以外のなんらかの心の働き——彼がまさに「道徳感情」と呼んだもの——が存在することを確信していた。これは、理論を重んじる経済学という学問が早々に切り捨て、忘れてしまった考えだった。

アダム・スミス(1723-1790)

『道徳感情論』のなかでスミスが唱える道徳は、独特で一読の価値があるものである。彼は社会秩序の起源を、人々の心に備わっている「共感」(Sympathy)という働きに求める。ある人物の行為ないしは感情が「適切」であるかどうかを、私たちは常に自分が共感できるかという尺度で測っている。
例えば、信頼していた友人に裏切られた人物が悲しんでいたり、怒っていたとする。私たち、もしその人物の立場に自分があったら、と想像し、彼の悲しみや怒りに共感することができる。そのとき、その人物は自分の悲しみや怒りに共感してもらえたことに喜びを感じるだろうし、我々もまたその人物の感情が「適切」であることを認めるだろう。
逆に、他人のちょっとした態度、例えば店員の些細なミスなどに対し、激しく怒りをあらわにする人物がいたとしよう。私たちは、もし自分がその人物と同じ立場にいても、それほど激しくは怒らないだろう、と推察する。私たちは彼の怒りに共感することはできない。その場合、店員にむき出しの憤りをぶつける彼の行為そして彼の怒りという感情は「不適切」なものとして否認される。
スミスによれば、私たちには他者に共感されたい、他者に自分の好意や感情を否認されたくないと思う気持ちが備わっている。だから私たちは、他者が共感できないほど激しくなんらかの感情(歓喜や悲哀、怒りなど)をあらわにすることを避けようとするし、それが美徳であるとされるのだ。私たちは皆、自分たちの胸の中に「公平な観察者」(impartial spectator)を有している。この公平な観察者が共感してくれるか否かが、私たちが行為の適切性を判断する上での基準となる。

道徳的な社会を実現するための基盤として、人々の「共感」という心の働きをすえたスミスの理論には、もちろん批判も存在する。たとえば、私たちは身近な人間(家族や友人)の感情に共感しやすく、距離的・心理的に遠く離れた人々に対しては共感をしにくい。私たちは友人が受けた些細な悲しみに対しては強く共感するにもかかわらず、遠い国の紛争で命の危険にさらされる人々の悲しみには共感しにくい。これは本当に「道徳的な」正しさと言えるだろうか?
スミス自身もこの問題には気づいていて、『道徳感情論』の中でも(第3部 第3章-4)、中国で大地震が起こり多くの人が死んだとしても、無関係なヨーロッパの人々は、ニュースを聞いたときに深い哀悼の意を示すだけで、翌日にはもういつも通りの生活に戻ってしまうだろう、ということを述べている。結局のところ、共感は身近な人間との「仲間意識」(fellow-feeling)に依存して生じるものであり、スミスの道徳体系はある種の排他性を逃れられないのだ。

とはいえ、私はこのnoteでそれほど深くスミスの道徳思想に立ち入るつもりはないし、その是非を論じるつもりはない。(それはとても私の手に余る!)


「共感」に基づいたコミュニケーション

『道徳感情論』の哲学的・歴史的な意義はともかく、「共感」を人間関係の基礎におくスミスの説明は現代の私たちにとっても良い教えであると私は思う。他者とコミュニケーションを取ることの愉しさは、そこにいる人々がなんらかの気持ちを共有したとき、すなわちその会話に「共感」の輪ができたときではないだろうか。その喜びを(例えば明朗な声色や快活な笑い声などによって)適切に露わにする人物は、会話になんとも言えない愉快な雰囲気をもたらしてくれる。それは、私たちがその人物が感じているポジティブな気持ちに共感しやすいからなのかもしれない。

逆に言えば、自分の感じている喜びや悲しさ、怒りに共感してもらうことは、私たちにとってかけがえのないコミュニケーションの喜びである。私たちはできる限り他人の感情に共感しようと努力するべきだし、また、他人が自分の気持ちに共感しやすいよう自分の感情を制限する(過剰に感情を露わにしない)努力もするべきである。「共感」に基づいて人間関係を営むことで、私たちは道徳的な社会、スミスが描いた、理想的で豊かな、喜びと思いやりに満ちた社会に近づくことができるのかもしれない。

※引用文の翻訳は全てnoteの作者によるものです
2022/07/06 


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