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「問う力」を養うことはできる?

連休ということもあり、少しばかり本を読んでいました。中でも、「ヨーラン・スバネリッド著, 鈴木賢志+明治大学国際日本学部鈴木ゼミ編・訳『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』新評論, 2016. 」で心を動かされた一文がありましたのでご紹介します。

もちろん、スウェーデンでも子どもは保護されるべき対象なのですが、日本では「現実的なもの、望ましくないものにはなるべく触れさせない」ということが保護であるのに対して、スウェーデンではそういったことを直視させながら、自分で自分の身を守る方法を身に着けさせることに主眼が置かれているように思います。その根底にあるのは、子どもを大人と同じ一つの人格として信頼しているという姿勢です。

ヨーラン・スバネリッド著, 鈴木賢志+明治大学国際日本学部鈴木ゼミ編・訳『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』新評論, 2016. より引用。

ビジネス界隈では、VUCAの時代だとかBANIやTUNAの時代という言葉が飛び交っています(TUNAを初めて聞いた時はマグロのように泳ぎ続けることなのか?と頭をよぎりました(笑))。いずれも変化の激しい先の見えない不確実な時代であることを表現した言葉ですが、このような時代において必要となるスキルは「問う力」であると言われます。個人的にもその通りだと思います。

ただ、問う力はどのように養われるのでしょうか。Servitization(製造業サービス化)領域で見ても欧州企業の方が日本企業よりも事例として取り上げられることが多いのでしょうか。サービス学研究の第一人者である明治大学の戸谷圭子先生によれば、北欧の方が日本よりもServitizationは進んでいて大きな要因として文化的影響が考えられる、ということです。文化の国際比較として有名なHofstedeの文化6次元を見ても確かに北欧諸国と日本とでは大きく異なります。Hofstedeは「集団の価値観」を文化を形成する核として置いています。価値観は所属する集団によって異なりますが、家庭や学校など幼少期の経験に基づく価値観はなかなか変えることができません。そう考えると、先の子どもに対する教育の違いがやがて大きな違いとなって現れるということを改めて感じています。

山鳥先生は著書『「わかる」とはどういうことか』の中で、”わかる”には「重ね合わせ的理解」と「発見的理解」という2つのタイプがあると述べています。「重ね合わせ的理解」は”答えが自分の中に用意できるタイプのわかり”です。例えば、相手の言っている言葉が理解できる、あるいはなんらかの正解がある問題に対して正解を導きだそうとするタイプの理解である一方、「発見的理解」は”答えが自分の外にしか存在しないタイプのわかり”であるというものです。こちらは答えなんて存在しない、誰も何も教えてくれない(教えることができない)事象に対して、自ら仮説を立てて何が正しいかわからない”答えらしきもの”を見つけていくことを繰り返すことで得られる理解だということです。

日本の学校教育の形式は、どちらかといえば「重ね合わせ的理解」に重きを置き、スウェーデンの学校教育は「発見的理解」に重きを置いているように感じます。

コンサルの仕事をしている中でクライアントからよく言われるのが「他社事例はないのか?」です。答え探しまっしぐらです。自分自身を含めて今の日本のビジネスパーソンの価値観の源が学校教育にあるのだとしたら、「発見的理解」のスキルを得るにはかなりの努力が必要になるのではないでしょうか。

発見的理解のスキルを得ることが「問う力」であると考えていますが、とても難しいテーマなので少しずつ深掘りしていこうと思います。

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