ちーくんと観覧車 (短編小説)

ちーくんは観覧車に乗りたかった。テレビの画面にディズニーランドの観覧車が映し出されて、そこに乗っている人々は楽しそうに地上を見下ろしていた。ちーくんは高いところに行ったことがなかった。山にも高層ビルにも観覧車のてっぺんにも行ったことがない。そもそもちょっとした段差でさえ車椅子のちーくんにとっては一苦労だった。腰から下は生まれたころから萎えていた。最近では右手の親指あたりに麻痺の症状が広がってきていたから、車椅子をこぎだすとき、両腕の力のバランスが崩れて、車椅子をまっすぐに進められない。右側に逸れて進んでいってしまう。
まっすぐ進みたいのに右側に逸れてしまうたびに、思い通りに進めないことよりも、このままどんどん不自由が自分に広がっていってしまう、そのことが恐ろしくて嫌だった。麻痺の進行を止める薬など付け焼き刃にしかならなかった。
ちーくんはスマホを右胸の大きなポケットにしまいっぱなしで、今日はまだ一日スマホを見ていなかった。スマホを見てツイッターで人々とやりとりするのが彼の楽しみだったが、一週間くらい前からスマホの小さな画面で文字を入力するのが少し難しくなってきていた。スマホをいじると萎えかけた親指が気になってしまう。今はまだスマートフォンやタブレットを自力で持ち上げて、音楽を聞いたり動画を見たりできる。文字入力だってゆっくりやればできる。その間の自由を楽しめるだけ楽しもうと思いたいが。今は楽しもうとは思えなかった。心の奥で親指辺りの麻痺に対する納得できない思いがくすぶっていた。そのくすぶりが自分のなかにあることもショックだった。心は一筋縄ではいかない。こう思おうとしてもなかなかそうは思えないものだ。感情というものが生半可なものではないということを、ちーくんは理解していた。親指の麻痺をまだ受け入れたくなかったから今日はテレビを見ようとちーくんは思った。
ちーくんは、恐らくは(医学の発展によって新薬なり治療法なりが見つからない限りは)このまま麻痺が広がっていって三十代前後で自発呼吸することができなくなる。そのときに両親は、意思の疎通のできない我が子を見て、延命の選択をせずに、自然に任せるだろう。ちーくん自身もその時が来たら延命はしないように選択していた。しかし、もしも自発呼吸できなくなったときに、咄嗟に死にたくないと思ってしまったら?死にたくないという意思をちーくんは両親にも医師にも伝えることができないのだ。目で生きたい生きたいと訴えても誰も彼の意思を汲んでくれる人はいないのだ。そんな自分の死ぬ瞬間のことを、ちーくんは漠然と夢を見るように考えてしまう。一般的な三十代は、最も元気な時分であるのに、ちーくんにとっては何もできなくなる、文字通り呼吸すらできなくなるということだった。できなくなっていく過程を受け入れて精神的にバタつかないように、ちーくんは受容するということを、今はゆっくりと学んでいた。
しかし右手の親指が動かしにくいと、やはり気持ちが焦ってしまった。そうなるとわかっているのに焦ってしまうのは仕方なかった。スマホを操作するときに親指に力が入らずに、最近では何度もスマホを地面に落としてしまった。ひび割れてスマホは蜘蛛の巣の張ったようになっている。やがて車椅子の上ではスマホを操作することができなくなるだろう。さらに麻痺が進行すればベッドの上で横になっている時でさえもスマホができなくなる。そうなったら母親に読み上げてもらうようになるのかな。何もかもできなくなるためにちーくんは生まれてきたのだった。
「あんなにスマホずっと見てて大好きだったのに、最近は見てないねえ、ちーくん」とお父さんが言った。
「別に見なくても良いかなって」とちーくんは言った。右手がきかなくなってきていることを両親や弟にはまだ伝えていなかった。恐らく伝えてしまえば、両親が悲しむだろうから。病気の進行を両親は悲しんでしまうのだ。ちーくんは両親の悲しむ姿を見たくなかった。両親が自分を見て悲しむ姿ほど悲しいものはない。
「テレビの大画面で見る方が目に良いわよ」とお母さんが言った。
「うん」とちーくん。
「ちーくん何か果物食べない?」
「いやいいかな」と言って息子は少し沈んだ顔をしている。
「浩樹は?あんたはなんか食べる?」母親はちーくんの弟にあけすけに聞いた。母親はいつも弟には遠慮がなかった。弟は椅子の上に立ち膝をついて座っていたが
「いや、俺もいいよ」と言ってテレビを見たりスマホをいじったりしている。
母親はちーくんの様子を横目で見つめた。やはりちーくんは少し暗い顔をしている。
ちーくんのお母さんは、最近息子が何度もスマホを落としていることに気付いていた。また、車椅子が右に逸れてしまってまっすぐ進むのが難しくなっていることにも気付いていた。恐らくはきっと麻痺が進んでいるのだろうと思ったが、ちーくんから言われるまではそのことについて一言も触れないようにしようと思っていた。
テレビでは観覧車に乗った人々のインタビューが映されていた。親子連れが「景色が最高でした」と言った。短大生のディズニー好きの女の子が「観覧車は何度も乗っちゃいますよねえ」と言った。アナウンサーが次々と観覧車に乗った人々に話しかけて、人々はその楽しさや東京の景色の美しさを伝えていく。アナウンサーもニコニコしている。しかしテレビを見ているちーくんの家族は、特に誰も楽しそうにはしていなかった。
アナウンサーは、ちょうど観覧車から降りてきた、背の高い男とけばけばしい化粧をした女のカップルを見つけて、インタビューを始めていた。
「観覧車どうでしたか?」とアナウンサーがそのカップルに尋ねると
「すっごい楽しかったです」と彼女の方が言った。
「ほんと東京ってすごいと思いました」と彼氏が言った。
「地方の方ですか」とアナウンサー。
「はい。俺ら宮城から上京してきたばっかりです。4月から大学始まるんすけど、もう俺たち東京で一人暮らし始めちゃってて!実は彼女と同じ高校だったんすけど、大学も同じなんすよ!今日は大学合格と高校の卒業祝いでディズニー来ちゃいました」彼氏はピースマークを作ってヘラヘラ笑った。興奮しているのか、やたらその男の声がでかくて、テレビ越しにざらざら響いた。
「ということは彼女さんと一緒に一足早い春ですね!ラブラブですね」とアナウンサーが言った。
「マジで桜きたーーって感じっす!!」と言って彼氏はゲラゲラ笑い出した。この世で何一つ苦労を味わったことがないような、軽薄で浅薄で、獣のような笑い声だった。げらげらげらげらげらげら……いやらしい笑い声がテレビからリビングに広がっていく。
弟の浩樹はそこで急にガタッと椅子から立ち上がってさっさとリビングから出て別室に行ってしまった。
「なんかあったら呼んくれよ」と弟は出ていく時に言ったが、それは「兄のことで何かあったら呼んでくれ。すぐに手伝うから」という意味だった。弟の顔は不満げであった。怒っているような雰囲気さえあった。
「はいはいありがとう」とだけ母親は言って、浩樹の憤った感情には気づかないようにして、浩樹を別室に行くままにした。父親も浩樹の感情の変化に注意を払うことをしなかった。あの子は放っておいても大丈夫だからと両親は思っていた。
テレビは依然そのカップルのインタビューを続けていた。観覧車も回っていた。げらげらげらげらげらげら……
「本当人生って楽しいっていうか。今しか遊べないじゃないすか。大学四年間めっちゃ遊びまくりますよ!まじで。サークルとか楽しみっすね。人生最高!自由最高!観覧車マジ最高!!」とカップルの男は張り切りながら喋っていた。
そこでちーくんはテレビのリモコンをとって、テレビを消したかったが、リモコンは手の届かないテーブルの端にあった。
「お父さんテレビ消して」ちーくんはなるべく悔しさが滲み出ないように気をつけて感情を殺した声を出して言った。しかしその声は感情を殺しているからこそ極めて感情的に響いた。
「ああ」お父さんはすぐに息子の心中を察してリモコンを取ってテレビをを消した。母親も察した。両親にはちーくんの感情を察する鋭敏なセンサーのようなものが備わっていて、なんでもわかってしまうのだった。ちーくんも自分が何を考えているかわかられてしまったことを察して、また苦々しい思いをした。
わかられたくない醜い感情を、わかられてしまうたびに、思考することすら自分は自由にならない、両親の世話にならなきゃいけないと、どうしてもひねくれた想いが心をよぎってしまう。僕だって本当だったら、大学生になっている年齢なのにと身の上を嘆いてしまう。明るくしていたいのに。お父さんとお母さんの前ではせめて生きている間は笑っている姿を見せていたいのに。どうして感情は漏れて伝わってしまうのだろう。
あゝ観覧車に乗りたい。あの観覧車に乗ってくるくる廻りたい。低いところから高いところへ、高いところからまた低いところへ、何度も何度も廻りつづけて、朝から夕方までずっと、ずーっと観覧車に乗っていたい。そのくらいの自由が欲しかった。車椅子では高いところに行かれないのだ。低いところにも行かれない。段差につまずく度に心もつまずいてしまう。観覧車はスムーズに廻る。つまづくことなく廻っている。観覧車に乗りたい。ちーくんは真っ黒になったテレビの画面をまだぼんやりと見つめていた。
上京して一人暮らしを始めた彼女持ちの男が、なんなく観覧車に乗って、なんなく生きていくが、ちーくんにとってはあらゆることに難ばかりであった。
観覧車に乗りたいと両親にはとても言えなかった。東京は健常者にとっても遠い場所であったが、ちーくんにとっては遠すぎる場所であった。治療目的ならどんなに遠いところでも、ちーくんの両親は、ちーくんをなんとか連れて行こうとするだろうが。遊びで行くなんて無理だった。言い出せるものではない。いや、あるいは言えばちーくんのわがままは叶えられるだろう。しかし、両親はもう六十代だった。父親は今年の3月に定年退職する。母親は二十年、息子の介護を続けてきて疲れ切っていた。とても、わがままを、言えない。両親はもう十分に僕の犠牲になっている。それに弟の浩樹だって僕のせいで、わがままを言えないで育ってきたのだ。
弟はいつもやさしかった。今年の四月から地元の工務店に就職することが決まっていた。進学校に通っているのに、金銭面で両親に負担をかけないために大学進学を諦めたのだった。先ほど弟が突然リビングを飛び出したのは大学生カップルのインタビューを見たくなかったからだろう。自分は就職するのにと思ってしまったからだろう。耐えているのはちーくんだけではない。諦めているのもちーくんだけではない。家族もまた闘っているのだった。
ちーくんは目をつむって観覧車を思った。その想像の観覧車のなかに人類が乗っている。ちーくんも乗っている。ちーくんが高いところにくれば、他の人々は低いところにいる。ちーくんが低いところにいれば、他の人々は高いところにいる。それを繰り返して廻っていく。観覧車は平等なのだ。
だけど現実は。ちーくんはずっと低いところにいた。みんなは階段を昇るように高いところまで自分の足で歩いていく。ちーくんは低いところへ落ちていく。
両親も、弟でさえも、ちーくんをちーくんと呼ぶ。やがて自発呼吸ができないときに、生きる意思を示すこともできない。下降するだけの観覧車にちーくんは乗っていた。こころの中でたくさんのことを諦めながら、じっと耐える力を養っていった。
観覧車に乗りたかった。みんなと同じように高いところから世界を見たかった。自分の足で歩きたかった。諦めていると思っていながらも、時たま噴火する感情に、ちーくんは自分でも驚いてしまった。今回のリモコンを消すように父親に指示した、自分の声の真っ平にこもった憤怒に、恥ずかしくて情けなくて仕方なかった。
彼はフーッと息をついて、お父さんとお母さんの顔を見て「いつもありがとう」とぼそっと言った。両親はホッとした顔を見せた。「ごめんね」とは言わなかった。謝罪したら両親の心が本当に傷ついてしまうとちーくんは知っていたから。本当はちーくんはいつも心の中で両親に謝っていた。弟にも謝っていた。観覧車に乗りたくなってしまう心に耐えながら、ゆっくりと下降していく不自由な身体のなかで、悪感情からは自由であろうと、ちーくんはその日も戦うのだった。

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