線香 (短編小説)

どうしても瞑想会に参加したかった。しかし、住職さんに、線香をやめてくれと頼んでも良いものか、佐々木は思案していた。
佐々木は化学物質過敏症だった。一年前、職場の同僚の柔軟剤の匂いに身体がつよく反応するようになった。最初は柔軟剤の香料が臭いと思うだけだったが、じょじょにその匂いを嗅ぐと、頭痛がするようになった。さらに、吐き気、記憶の混乱、めまいなどの症状も起きるようになった。
再三上司や総務課に頼んで、社員の柔軟剤を辞めるように頼んだが、ダメだった。柔軟剤の使用は個人の自由であった。上司や総務課は、佐々木が神経質すぎるのではないかと言うだけでまともに取りあってくれなかった。
職場だけではなく、電車も乗れなくなった。朝、通勤中にキツイ柔軟剤の香料を浴びせられて、電車内で吐いてしまい、大問題を起こしてから、こころに傷を負ってしまった。人前で吐いたこと、後ろに乗っていた学生達や人々が
「あいつゲロしたよ」
「マジありえない」
「ゲロかかるわ」
「え、なに撮影してんの?」
「笑ったわ。インスタ?」
「大丈夫ですか」
「とりあえず座って」
「くっせーな。ゲロ臭えな」
と言って車内はずっとザワザワしていた。佐々木は気絶したかったが、気絶できなかった。しかし鼻から脳へ直撃した匂いの不快が、胸のほうに降りてきて、精神的な不安に混ざって心に固定されるのを、そのとき感じた。トラウマになった。
電車に乗れなくなった。職場に行けなくなった。仕方がないので、半年前に休職して、二ヶ月前に退社した。退職は自己都合になったから、失業保険の手続きがよくわからなくなった。そもそも役所だとかハローワークに行けないから、失業保険を諦めるしかなかった。
悔しい気持ちのまま実家に戻ろうと思ったが、実家も柔軟剤の匂いがしみついていて腹が立った。実家の匂いは最初こそは具合が悪くなるほどではないくらいに感じたが、しかし、やはり数時間いると気分が悪くなってきた。親に柔軟剤をやめてくれと言っても「わがまま言うな。仕事を勝手にやめたくせに。匂いなんて当たり前にあるだろう」と言われてとりつく島がなかった。親に話が通じないことに腹を立てて実家の両親と大喧嘩した。なぜ柔軟剤や洗剤をやめるという簡単なことができないのだろうと佐々木は悲しい気持ちになった。実家の匂いよりも親から理解されないことが、こたえた。親から理解されないことで、誰からも自分は理解されないのだと思うようになった。
そんなわけで実家に戻ることもできず、家賃の支払いを考えると、こころが苦しくなり、家のなかにばかりいると隣の家から香料の匂いがしてきて、さらに具合が悪くなった。
社会に居場所をなくして、仕事もできず、誰にも理解されなかったから、自殺しようかと思っていると、五年前に一年間ほど毎週瞑想会に通っていたお寺があることを思い出した。心を鎮めて瞑想したかった。この苦境のなかでお釈迦さまの教えが救いになるだろうと思って瞑想会に参加しようかしらと思った。
お寺は幸い歩いていける距離だった。参加者は住職さんを含めて二、三人しかいなかった。
五年前、佐々木は学生だった。もともと仏教に興味があったが、たまたま近所で瞑想会をやっていると誰かから聞いて、それでは行ってみるかと通い始めた。小さな、民家のようなお寺だった。しかし寺のなかの、瞑想する場所は、清潔だった。
住職は、四十代の男性だった。瞑想会場も住職もしずかだった。
最初に読経し、のんびりと三十分瞑想し、瞑想が終わってからも読経し、お線香を上げる。そして、住職がお茶を参加者に入れて、十五分程度講話をして、解散するというのが瞑想会のいつもの流れだった。
佐々木は、お寺も住職のことも好きで、毎週参加したが、就職して仕事が忙しくなってからは参加できなくなり、やがて疎遠になってしまった。
仕事をやめたからもう一度瞑想会に参加したいと思ったが、ひとつ問題があった。
おそらく線香の匂いで具合が悪くなってしまうだろう、ということだった。

しかし、それでも瞑想会に行きたかったから、とりあえずお寺に電話をしてみることにした。
「はい、もしもし」住職さんがでた。いつもの優しい声だった。
「五年前にそちらに通っていた佐々木です」と佐々木は言った。「覚えていますか?」
「…ああ!佐々木さん!もちろん覚えていますよ。きょうはどうしましたか?」
「実は瞑想会に参加したいのですが」
「はい、今でも毎週金曜日、午後四時からやっていますよ」
「その、少し、問題が」
「はい」
「ええと」
「…」
「…」
「相談したいことがあって」と佐々木は言った。
「はい。それじゃ、お寺にきていただいて、直接面と向かってお話ししましょうか」住職は明るい声で言った。そして寺にうかがう日時を決めて、電話を切った。とつぜん住職と相談することになったが、いったい何を相談しようとしているのか自分でもわからなくなった。
住職に瞑想会に参加したいから線香をやめてくれと頼むのか。今までのしきたりを、俺一人のわがままでやめさせようと言うのか。きっと住職さんに言っても怒られるだけかもしれない。でも住職さんはやさしい人だし、人を否定するような人ではなかった。
とりあえず話だけでも聞いてもらいたい。この死んでしまいたい気持ちを、だれかに聞いてわかってほしかった。しかし、もしもお寺の僧侶にまで、否定されたら、自分は…親でさえも理解しなかったことなのに。みんな当たり前に柔軟剤をつかう。当たり前に洗剤をつかう。俺だけ具合が悪くなる。みんなが俺に甘えていると言う。わがままだと言う。こんなに苦しいのに!仕事もできなくなって、電車にさえ乗れなくなったのに!隣の家が洗濯物を干し始めると、窓も開けられない。家のドアの隙間をしめて、匂いが入らないように、神経質になってしまう。理解されないほどどんどん神経質になってしまう。
もともとは職場の明里さんが悪いんだ!バカみたいに柔軟剤つけやがって…どうして俺がこんな目に…とぐちゃぐちゃまとまらない考えが頭と胸のなかに広がって、お寺に行くのが億劫になった。
しかし、住職と約束した日時になると、自分でも不思議だったが、さわやかな気持ちをかんじて、スッと家を出ることができた。そして、近所の家々の洗濯物が干してあるところにくるたびに息を止めて、臭い空気を吸い込まないように気をつけて歩いた。やっとの思いでお寺につくと、そこは五年前と変わらなかった。寺のまえはしっかりと枯葉や塵、汚れが払われて、清められていた。おずおずしながら、その戸を開けて、佐々木は大きな声で
「こんにちは」と言った。すると、中から住職がでてきて、「やあやあ」と言って、彼を瞑想の部屋まで招いて、座布団に座らせた。
「やあ、久しぶりですね。佐々木さん」住職が言った。「就職されてからお忙しかったんですね。本当に久しぶりだ」やさしく柔和に語るので、佐々木の心もやわらかくなった。
「お久しぶりです。仕事はやめました」
「そうでしたか」住職は特にそれ以上言及しなかった。
「…」
「…」
沈黙のなかを、仏壇から黄金のお釈迦さまが、見下ろしている。半眼の、うつくしいお釈迦さまが、蓮子にすわって、慈悲のこころを向けてくださる。
「…実は…」佐々木は沈黙をやぶって切り出してみた。「実は化学物質過敏症になったんです。それで柔軟剤とか、香料とか、そういうのの匂いがダメで、気持ち悪くなっちゃって、それで、電車に乗れなくなって、会社にも行けなくなって。仕事は好きだったんですが、できなくなりました。親にも理解されなくて実家にも戻れませんでした。失業保険もどうすれば良いかわかんなくてほったらかして今は収入もないです。俺、どうすれば良いかわかんなくて。それでその、住職さんのこと思い出して。瞑想会、学生のころ行ってたから、今でもやってるのかなって。でも、その、線香とか、柔軟剤臭い人が来たらどうしようって、すごく不安で。瞑想するこの部屋のなかは、具合悪くならないけど、線香つけるとダメなんです。でも、線香やめてくれなんて、そんなこと言えないし」自分でも訳がわからなくなって取り止めもないことをペラペラ喋ってしまった。住職はじっと静かに聞いていた。佐々木は気まずさと、住職から責められるではないかという思いで内心ビクビクしていたが、住職は
「つらかったですねえ」とだけ言った。
佐々木はそこですっと顔を上げた。住職はやわらかい微笑みをしていた。
「お線香ダメだったらやめましょう。それに他の参加者の方にも柔軟剤をやめてもらうように頼みます」と住職は言った。
「良いんですか?お線香やめても?それに他の方に頼むのも。お線香は大事なんじゃないんですか」
「…」
「…」少しの沈黙。
「…あなたが苦しんでいるのに、お線香をつけてお釈迦さまは喜びますか?」
「…」佐々木は黙ってきいている。
「お釈迦さまは、苦しみをなくす道を教えてくださったんです。それなのにお釈迦さまのためと言って、誰かを苦しめたら、お釈迦さまは喜びますか?佐々木さんは仕事もやめて、電車も乗れないくらい苦しんだ。ご両親にも会社にも理解されずに苦しんだ。そんなに苦しまれた方を、さらに苦しめることを、お釈迦さまは喜びますか?」
「…」佐々木はポロポロ涙を流して聞いている。
「あのね。儀礼よりも人のこころが大事だと思うんです」
「はい」
「お釈迦さまは智慧と慈悲を教えられたんです。佐々木さんが少しでも幸福になるように、智慧と慈悲にみちびかれて、いっしょに進んでいきましょうよ」

それから住職は、佐々木の両親に連絡して、佐々木の苦しみをつたえた。化学物質過敏症のことも学んで、佐々木が何に具合が悪くなるのか、症状はどのようなものか、どのような製品を避ければ良いのか、なども事細かく両親につたえた。両親は、住職の話をしっかり聞いて、納得したようだった。身内から言われるよりも他人から言われた方が、話が通じやすいものだ。家族同士だと理性よりも感情が先に立って喧嘩になりやすい。住職のしずかで柔和な受け応えも、よかった。
両親は早速、息子を家に迎えられるように柔軟剤をやめて換気をする、と約束した。
さらに住職は、失業保険の手続きについても調べて、民生委員を通せば、役所の窓口に行かなくても、申請できるかもしれないということを調べて、佐々木に伝えた。
佐々木は涙がでるほどうれしかった。自分のためにわざわざここまで骨を折って親身になって下さる方がいることがありがたくて仕方なかった。
佐々木はお寺に行くと、泣きながら住職にお礼を言った。すると住職は
「そんなそんな」とだけ言った。
そういえばむかし、瞑想会後の講話で住職さんが「大事なことは、衆生の苦しみを取り除くために、身を粉にして働くことなんです。すべての生命のしあわせをねがうこと。くるしみをあわれむこと。ともによろこぶこと。冷静なこころで、命をみつめること。それを菩薩行と言います」と話していたのを佐々木は思い出した。この住職さんはまさに菩薩行をやっているのだと、思って、こころから住職さんに感謝した。

後日談

それから住職さんと何度かお話しをした。
人から理解されて、瞑想をして気持ちが落ち着くうちに、こんな身の上になった自分を不幸だと思わなくなった。お釈迦さまの慈悲だった。
そして、東京から仙台の実家に帰る前日に、住職が佐々木に言った。
「…もしも出来れば、ですが。佐々木さんを苦しめている人々のしあわせも、祈ってほしいのです。お釈迦さまは、嫌いな人々のことも慈しむようにと教えてくださっています。とてもむつかしいことです。でも私の嫌いな人々、私を嫌っている人々のために、できればで良いので、祈ってほしいのです」
住職は、困ったような、しかし、どうしても大事なことだから伝えたいのだと言うような、複雑な表情の微笑みをして、佐々木に言った。その言葉は佐々木に深く染みていった。人を赦さないと、先に進めないと薄々わかっていた。

仙台の実家にもどってから住職と佐々木が会うことはなかった。

しかし佐々木は、住職のこの言葉をずっと覚えていた。実践はできなかった。しかし、柔軟剤の匂いを嗅いで怒りが湧く、そのたびに、この言葉が、思い出されるのだった。自分を理解してくれて、身を挺して助けてくれた人が、「人を許せ。人を慈しめ。」と言っていた。それを無視することは、佐々木にはできなかった。何度生まれ変わっても良いから、いつかは、すべての生命の幸福のためにその身を献げる菩薩行を、自分もやってみたいと、佐々木は、思うのだった。

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