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満州からの手紙#121~#125

満州からの手紙#121

 若草の丘に、黒土の営庭にサラサラと雨が降りそそぎます。
雨にたたかれた楊柳の梢がゆれているのも情趣に富んだジョウ影です。 靄に煙った広野の果てには国境の山が地平線をぬーとぬきでて山姿がボンヤリぼやけてみえるのも面白い眺めですよ。

 お父さん。
こんなにながい間お手紙をさぼってしまってほんとにすみません。 軍務多忙だとつい心にもない御無沙汰をしてしまうのです。
昨日来たお父さんとお母さんのお手紙を読んで私はすっかり嬉しくなりました。暫くたれからもお手紙がこなくて一人しょげていたのです。ハーーーーーーー。
 
 私はお父さんやお母さんのお手紙を読んでその慈愛にふれると、いつも胸の痛くなるのを覚えます。
殊にお父さんの表面にあらわれぬ、眼にみえぬ慈愛の大きさを、私はこの頃特別強く心に意識して、いつもせつない気持ちになって来るのです。
お父さんが年を取られて、日一日老境に入られるのは、考えているとたえがたいまでに淋しい気持ちです。しかし、それと共に世のあらゆる事柄に必要以上に拘泥することなく、悟りきった境地に近い心で、自然と人格的に高雅になって行かれるのは嬉しいことだと思います。
私は世の中の人間の禍福始終を知って、少しも惑わぬ高尚優雅な人格美を心からスイ賞するものです。
人の活動的中年を通過した晩年は、もう地位だの物質だの名誉だの権勢だのと、そう言ったものには惑わされぬ、完全にあさはかな功利的人間の欲望から脱却した自然人たる人格美を求める人が一番幸福な人だと思います。
こうした自由は対境の如何にかかわらず、必ず求めれば求められるものです。

 お父さんにも私は心から読書尚友を、自然界に入って自然と深契される喜びを求められることを心の底からおすすめします。
 植木にかじりついている親父!!
 山間渓谷に立ち入って、山水の美を賞含する親父!!
 俳句に頭をヒネル親父!!
そうした親父は、息子にとってかぎりなく懐かしい微笑ましい存在です。
『そんながらでもない ! ! 身分が違う!! 非常時だ!!』
こうした言葉は、まだまだ考えが軽率ではないかと思います。
俗に言う『年寄りの冷や水!!』とは親父たるもの充分に含味すべき名格言だと思います。

 人間は分相応に俗欲を放棄して境遇にあまんずるなら、貧又よし、財又よし、富貴又よしです。ハーーーーーーーー。
若いハツラツたる青年には青年の自由な洋々たる大天地が自然にひらけているものです。心配する必要はありません。
お父さんが自分のたどって来た道條を一度ふりかえって御覧になれば何もかもお解りになることだと思います。
要は出来るだけ無理な努力でなくて、自然のままの元気な姿で祝福された一生を送ることだと思います。

 自然から自然に祝福されて生きて来た僕達は自然に生き、自然にこの世からお別れして自然にかえる!!
悠々として水の流れる如くに!!
話が又理屈ポクなって来ましたから一転しますよ。ハ−−−−−−。

 軍隊に来て真の学問とはどう言うものか、と言うことを朧げ乍ら理解出来るようになったのは、大なる収穫だと思います。
しかし、 言行一致換言すると、知行合一の極に達せぬ以上、完全とは言へないので大奮一番もう一歩突進して自覚する必要にせまられています。
私もお父さんとお母さんの優しい円満想に期待していますから、お父さんも私を期待していて下さい。
現在の行き詰まった世界を切り開いて、きっと新しい土産をもって帰る覚悟です。

 越智先生が京都へ行かれたとは意外でした。先生の訓育が私をどんなに自覚させたかしれません。
あの方はやはり真実の教育者でした。
私にとっては一番大切な恩師です。さっそくお手紙を書いて出して置く積りです。

 さあ、今から又御奉公です。
今日はこの辺で筆を置いて、又折をみてお手紙書きましょう。
くれぐれもお体大切にして下さい。
サヨウナラ。
忠勝择
懐しいお父さんへ

満州からの手紙#122

 この切り抜きはキング七月号の中に記載せられていたものです。
お母さんに是非一読して戴きたいと思って、わざわざ戦友に頼んできりとらせて貰ったのです。
この西内と言う人の家庭は貧しいお百姓さんで、日雇いかせぎをして居られると書いてあるでしょう。お金持ちでもなく地位も、権力も、名誉もないこの人達やこの人達の家庭が、こんなに{燦然/サンゼン}として輝いているのは何故でしょう。
それは主人は主人として、主婦は主婦として、又子供は子供としてそれぞれに各自が分を尽くして、分相応に誠心誠意家庭を愛されているからだと思います。
物事のうわべに惑わされることなく、貧乏人は貧乏人らしく、見栄をはらないで、その境遇に適応した生活の中から精一杯の努力をされていることがよく解ります。

 こうした真剣な、家庭を中心とした生活の中に、人間の王侯富者と言えども得ることの出来ない幸福が幾等でもあることを、今の世の中の人達は知ろうともせず、知っていても求めようとしないのです。
僕はこんな真面目な家庭生活を常日頃から最大の理想としています。
全く、僕はこの一家の人達の分に応じて、何処までも強く、何処までも明るく、正しく生活されて行く様を熟知して感激しました。そして、この上なくうるわしい尊いものに思いました。
将来、僕は家庭をもったら、こんなきよらかな正しい家庭生活を建設して行きたいと思います。
土沼の中に清く、気高く咲いている蓮の花のように、{醜悪/シュウアク} な実社会や、みたされぬ貧しい生活の中で少しも{穢/ケガ}れない{清楚/セイソ} な美しさを保って幸福な生活を毎日送って行くことが出来るのも出来ないのも、みんな正しい自覚があるか、ないかの違いだと思います。

 世の千萬長者を夢みて、{貪婪/ドンラン}な自分の {利欲/リョク} を満たすことに求々たる多くの人達に入り混じって {争闘/ソウトウ} することなど僕にはとてもたえられぬことです。
『喰わんがためには仕方がないのだ!!』
彼等は一様に白い眼をむいてかく叫びます。しかし、どれ程求めればあくことか!!
彼等の次々とあさましく頭をもたげてくる欲望は止まるところを知らず、果てしもなく広大されて行くことは解りきっているのです。
そうした金銭のドレイに、見栄や虚栄のドレイに等しい彼等の家庭生活に、人間の落ち着いたうるおいのある情味豊かな生活の妙味なぞ解ろう筈がありません。
その時々の分に満足し、分を尽くし、分相応の生活を最大限に発揮して行く時、人間生活に無理のない無限の向上と進歩のあることは必然です。
こうした努力に依って生まれた向上進歩こそ幸福そのものでなくて何でしょう。
『食たって始めて礼節を知る』
とは彼の有名な礼記中の一節ですが、それだからと言って物質そのものが人間生活の安定 と幸福を確定せる唯一のものと勘違いしてはいけないと思います。

 僕はもう一度くりかえして言います。
『人間はその境遇における時々の己の分を知り、分にあまんじ、精一杯の努力で分を尽くして、分相応に正しい生活をせよ。
そうした外物に心を惑わされぬ、落ち着いた生活の中に、真の向上、進歩があり、幸福があるのだ』と。

 実際、物質とか、地位・名誉・権勢などは人間その人々の向上、進歩と共に、それにつれて分相応に世間を通じて神様が自然と与えて下さるものなので、自らが求めるべきものではないと僕は思っているのです。
この {貧賤/ヒンセン}富貴・{没落/ボツラク} 栄達等々の一切の喜びや悲しみを超越して、世の中の {禍福/カフク} {始終/ シジュウ} を知って惑わず、悠々和楽する人がいたとしたら、僕はその人をお父さんやお母さんの次に尊敬します。懐かしく思います。
こんな僕の気持ちを正しく理解してくれる女の人なぞ、そうざらにはありません。

 僕が歌子君をお嫁に貰いたくないと考えたのは、とうていあんなお嬢さんに僕と一生を同伴することはむつかしいと思ったからです。
僕は将来、どんな社会人としての仕事にたずさわるかしれませんが、僕の一生の方針を通じてこうした考えが根底となることを、お父さんと共に知って貰いたいと思います。
笹井君、生田君はこうした僕の考えに対してどんな考えをもつでしょう。 ハ−−−−−−−。
お父さん、お母さんの批判も聞きたいものです。
あまり簡単にかいたので直ほ理解にくるしむ点もおありでしょうが判読して下さい。
ではお体大切に、サヨウナラ。
六月二十九日

満州からの手紙#123

 お母さん。
若草の上をサーと過ぎて行くストーム (暴風雨)を静かに眺めているのは実に気持ちのよいものです。
雨に洗われた緑の丘が、雨の上がった青空にクッキリとうかみあがって、真白い入道雲がム ックリと稜線上にうかんでいるなぞ、又格別にすがすがしい気持ちです。
  野面渡る風にゲグゲグ遠蛙。
ハ−−−−−−−、上手でしょう。
蛙の啼く声も懐かしいです。

 戦友の或る者が、{雲雀/ヒバリ}の赤ちゃんをとって帰っていたのですが、すっかり大人に成って皆によくなついているので、皆からとても可愛がられています。
僕はついこの間から {I/アイ} と言う戦友にたのんで、暇々に満語を勉強しています。上手に成って帰ってお母さんにも教えてあげますよ。
おたのしみに。ハ−−−−−−−−。

 最近に成って、又精神的境地に深く一歩進むことが出来ました。
未知だった世界が次第に明瞭に意識されて、生きて行くべき方向や目的や、自分一人の安住する場所が明確に解って来ることは、全く力強い気持です。
かつて越智先生が僕に語られたことの色々の言葉が次々と思い出されてくると共に、その意味が何を示していたかということも、ハッキリと解って来ました。

 僕は世の禍福始終を知って惑わず、 苦難や迫害がいつどんな時にやって来ても、微笑と共にそれらの試練を克服出来得る男になりたいものだと常々考えているのです。
それにつけても古諺に
『健全なる精神は健全なる身体に宿る!!』
と言われておりますネ。
しみじみ全くその通りだと考えさせられることが度々です。
どんなに何くそ!! と思っても体が思うようにならぬ時の情無さといったら話になりません。
無理も精神力で或る点までは克服出来るものですが、そうした点を通り越すと、やはり体の健康が頑丈な者でなければ、気ばかりはってどうなるものでもありません。

 今日も珍しい奇麗な草花をみつけました。眼にしみるような赤い矢車草に似た花でしたが。
野原にみずみずしく咲きこぼれていた折の美しさや、可憐さはとても想像も出来ませんが、姫百合のおし花を送ります。

 軍隊へ来てから初年兵の間は嫌いなものでも何でもおいしく食べられていたのですが、又我が儘が出て来たのか、この頃牛肉類は全く手がつけられぬので困ります。
特に豚肉は、全く手にふれるのはたまらないと思います。ハ−−−−−−−。

 今日はチブスの予防注射をしたので、今からおねんねします。
昨日が日曜日ですから明日でも落ち着いてお手紙することにしましょう。
くれぐれもお体大切に。サヨウナラ。
忠勝 お母さんへ。
七月六日夕

満州からの手紙#124

  お母さん。
今日は午前中、石井漠一行の舞踏慰問演芸を見学に行って実に愉快でした。漠氏のお話しでは、一行七名 (漠氏を除く) 中、お腹をピーピーにしている者が六名、漠氏の愛嬢、石井カンナ君はそのため宿に伏っていると話されました。

 色々と沢山演出された中で、最も強く印象的で頭に残っているものは
  機械の舞 (全員)
  悪魔の舞 (カンスイ タグモ  他一)
  狂える動き (カンスイ タグモ  他七名)
の三ツでした。その他、石井不二香の 『春雨』は日本娘姿の手ぶりがとても可憐だったし、 和井内恭子の『哀愁の歌』もよかったのですが。 僕のように舞踏の真価が解らぬ男にも、前記三ツの舞は何かこう胸に迫って来る芸の力を意識しました。

『機械の舞』 と言うのは大きな機械が活動して車輪や歯車の力強い働きを舞によって表現したものです。『悪魔の舞』と言うのはカンスイ タグモ、この人自身が創作された舞踏だそうですが、 悪魔が一人の美しい少女を魔力によって思うままに弄する処をあらわしたものなのです。
カンスイ タグモの魔神になりきった如き眼と、デリケート (繊細) なゼスチャー(みぶり) 、放心してうつろな眼をみひらき乍ら、魔力にひきずられる可憐な乙女。
全く、芸の力の偉大さをしみじみと覚えました。

 最後の『狂える動き』と言う舞踏は、漠氏が東京の狂人ばかり三千人程入れてある病院へ行って、その可哀そうな人達の生活を見て帰った夜、強く印象に残ってままものを舞にされたものだそうですが、ここでもカンスイ タグモ氏の芸の偉大さに胸うたれました。
ただ石井カンナ君が下痢のため舞台にたたれなかったことと、漠氏が足を痛められて出演されなかったのは残念に思いました。
独唱で小方智恵子と言われる人が『別れのブルース』をうたいました。

 昨年半截河では調度衛兵で、よく見学出来なかったのを心おしく思っていたのですが、今度幸いにその喜びにひたることが出来た訳です。
あれだけの芸を完全に自分のものにされて、見る人の心にあれだけの迫力のある魅惑を与えるまでには、人知れぬどれ程の苦労があったことでしょう。
『微笑の陰に涙あり!!』です。全く尊敬します。
舞踏をみている間も、その芸の力にトウゼンと興じ乍らも、又別な心が僕の胸に色々のことをささやくのを覚えました。

 すっかり昨日からの凄烈な暴雨がおさまって、焼付くような日ざしが曠野一杯に広がっています。
地平線上を流れて行く雲影にも、妙にほろわびしい懐しさを覚えます。
つれづれに筆を運ばせたのですが、今日はこの辺でサヨウナラ。
good by 忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#125

 お母さん。お手紙ありがたく拝読致しました。
一際暑さに向かう折から、病弱なお母さんだから病気でもされておいでになるのではなかろうかと心ひそかに案じていたのですが、今日のお便りで全く安心しました。
お母さんが常日頃信心深い人だから、神様がお母さんの身をジッ!!と守っていて下さるのだと思います。

 お手紙で山田君が帰郷したことを知りました。懐しかったでしょう。
いつかの実演習で急がしい演出中、ゆきずりで山田君と対面したことをしんみり思い出します。立派な見習士官殿になっていたでしょう。板津部隊の何隊にいるのか一報して下さい。

 次に雑誌の切り抜きを繰り返し繰り返し読んでいたそうですネ。せっかく切り抜いて送ったかいがあったと、心から嬉しく思いました。
お母さんだったら必ずあの人達に敗けない立派な軍国・銃後の母となって戴くに違いないと確信して、参考までにあの切り抜きを送ったのです。
お母さんに求められるまでもなく、今後もあんな心うたれる美談逸話の小冊を発見したら必ず貰って送ります。

 さて、次に女の人達に対する心得!!ハ−−−−−−−。
今更におそれ入ります。心配しなくても大丈夫ですよ。
どんなに親しい友達が出来たとしても手紙の上で知りあった人間同志の間柄なぞ先がハッキリみえているのですから、そんなことで軽率な約束や誓いの出来る筈のものではありません。
『戦地の兵隊さんだから!!』と言う気持ちと、殺伐な北満の避地にいて、何だか故郷の人恋しい気持ちにひかれて結ばれた間なぞ、心配する程のものではありません。
かつてお母さんと一緒に泣いた、あのころの死ぬ以上の苦痛だった様々の思い出も、考えてみるたびにたまらなく懐しいけれど、心の何処かで今でも胸がつまる気持ちにされることがあるのですよ。
同じ石に二度までも(躓/ツマズ)いて、この上躓けば、足の指が腐って了うでしょう。ハ−−−−−−−−−−。
僕は気まぐれ男だから、色々と変わった種の手紙をその時々の感情のままに書いて出すので『これはひょっとすると!!』などとお母さんを心配させるのですネ。
どうも済まないと思います。

 この頃の僕は女の人に対しては確固不動です。お金さえあれば、などと惑いの多いこの地にいても、僕はお母さんとの約束を破って慎みを失ったことは一度もありません。どうぞ安心して下さい。
不品行なことや、夢のようなローマンス的まぼろしを追うことは、道に志ざして一生懸命最善を尽くして勉強している僕には、自分で自分を許せぬことですから、絶対にそんなことをしたり、不心得はやりません。
それに将来しっかりした嫁を貰いたいと考えていますので、自分もしっかりと品行を守って、どんな人達からもとやかくと言われたくないと思っているのです。
僕を信頼して下さい。
今からは意味のない心配をお母さんにかけることの無いように、充二分に注意します。

 今日も上天気でした。
この三日程、月がとても美しいですネ。
お母さんもこの月を眺めておいでになりますか。
大陸の月はとても胸にしみるように奇麗です。
暑さが次段に烈しくなりますから、くれぐれもお体大切にして下さい。
サヨウナラ。
忠勝拝
お母さんへ
七月二十日







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