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満州からの手紙#146~#150

満州からの手紙#146

 お母さん。 今日は正月の二日です。
舎外はサンサンとして小粉雪が降り積もっています。
静かに故郷のお正月を想起しながら、今年に入って最初の筆をお母さんにお便りすべくとったのです。

 昨、元旦は実に愉快でした。班長殿始め戦友一同が集まってお酒を呑んで大騒ぎをしたのです。 ハッハーーーーーーーー。
無事に新玉の年を迎え、二十六の春をみることが出来ましたが、昨年をふりかえってみるとまだまだ慚愧にたえぬことが数かぎりなくあります。
常日頃から懸命に寸刻暇をみて励み学んだつもりの学道も案外遅々として進まず、いたずらに年月の過ぎたことを心から淋しく思います。

 新年を期して一層一層奮励努力する決心・覚悟を定めて、二日の今日、早朝から徳川光圀 (水戸黄門)公のヘンサンされた大日本史 (三冊) と近世名将言行録 (三冊) をかりて帰りました。
人間の素養を立派に積んで人物と錬磨するには、立派な高徳の人物に私淑 (人知れず師としてはべる) して、 論語とか大学 ・大日本史・古事記・中庸とかいった原典を読破し、根気・粘り・迫力をもって源氏物語・ 枕草子・平家物語等のような大部書をスーと通読して 民族歴史の興亡の理をあきらかにし、三省することが第一と教えられました。

{三省/サンショウ} という言葉は論語開巻第一の四章目にある
『曾子日吾日三省吾身』
曾子いはく、吾れ日に三たび吾が身をかえりみる。
に出ているのですが、 必非に意味の深い言葉です。
三省とは日に三度おのれの行いを {反省/ハンセイ}(ふりかえってみる) することですが、この省という字は『かえりみる』と同時に『はぶく』とも読むのです。このはぶくことが {省/カエ} りみると同様大切なことなので道義でも政治でも結果は {省/ハブ} かねばなりません。
人間は自然自然と色々の {煩悩/ボンノウ}の欲にまけてくるからたえず反省して、ふりかえってみて雑念・雑欲・雑言・雑事を{省/ハブ}いて行くのが大切であります。
人間としての道をたどるとは、この三省して次々に湧起ってくるところの雑欲をはぶいて行くことであると思います。
お母さんも出来るだけ自らをふりかえってみて、身辺の雑事をはぶいて綽々たる余裕を以て如何なる家庭生活の危機に直面しても主婦として、妻として、母として悠然と事に処してゆけるだけの心身を造っておいて下さるように希望します。

 お母さんは『人物』とはどんな人をいうのか御承知ですか。
私が学び教えられたところから、人物とはどんな人をいうのかということを簡単に書いてみましょう。
大体、先賢の教えを通じて人と{為/ナ}り(人物)に大切なものは何か、それは養気ということです。気の {養/ヤシナ}えている人です。
気とは創造力・生みの力・心身一如の生命力、わかりやすく言えば活力・気迫です。この気迫・活力の旺盛なことが大切です。

 しかし、この気迫も{無暗矢鱈/ムヤミヤタラ}な、から元気ではいけません。
{空/カラ} 元気のことを客気というのですが、一寸損をしたり物ごとに失敗したとか、免職になった、病気になったというようなことですぐペシャンコになるのは普通の人の常で、そんな気力はお客様と同じことで、いつかえってしまうか分からないという意味から客気(からげんき)といいます。
気を養うことも客気では駄目です。真の気でなくては。
それを{志気/シキ)と言います。
志気を養う、理想精神を盛んにする、これが大切です。
如何なる人物でも凡そ人物と言われる人は皆、活力・気迫が旺盛で理想に燃/モ)えねばなりません。

 所が、この気を養うことによって理想精神が、{志/ココロザシ}が出来てくると、これに照らして吾々はどうなければいけないか、いかになすべきか、という考えが、反省した後の判断が起こって来ます。 これを{義/ギ}{利/リ}の{弁/ベン}と云います。
義とはこの正しい理想にてらしてこうだ!!と決定するところのもの、これに対してああしたい、こうしたいという欲望、本能の遂行を称して利というのです。
吾々が利にまかせてしたいほうだいのことをすると、何となく不安で体の健康も損なわれ、精神もすぐ衰弱するのです。
どうしても私達はより高く、尊く、偉大に生きようと思えば思う程、本当の意味に於いて気を養うと思えば思う程、自分の理想にてらして自分の{行為/コウイ} (おこない)をふりかえってみねばなりません。即ち義ということが問題になって来ます。

 義気!! とは私達が理想にてらし、良心にてらし、どうすべきかということを確かに判断して生きることを言います。而も吾々の志義というものは始終グラグラ移り変わるものではいけません。
一貫毅然たるものでなければいけない。如何に為すべきかという問題は千差万別であっても、その色々にかわるおこないの底に吾々の理想に照らし、良心に照らしてこうしなくてはいけぬのだ!! という不変のものがなければいけません。
如何なる場合にも義に生きねばなりません。志気を盛んにして義に生きねばなりません。それを気節・節操・操守といいます。節はしめくくることです。
だから人物とは
イ、 気の養えているものであること
ロ、 志気の盛んなものであること
ハ、 義理のあきらかな者
二、操守・節操・志節・節義(皆同じ意味です) のあるもの
そこで節というものが生じ操が出来て来ると物にうごかなくなる、つまり物の誘惑や脅威に動かなくなるわけです。
これを謄と言います。『義利の辨』のことを 〔識/シキ)と言います。
人物は単なる知識でなく謄識が出来ていなくてはいけません。これで人間の器が大きくなり立派な器量人になります。
この論は安岡先生の講述された『河井蒼龍窟の学源』によるものです。お父さんにもみせてあげて下さい。お体大切に。
忠勝拝
お母さんへ

満州からの手紙#147

 お母さん。お手紙ありがとうございました。
元気でご奉公を続けておりますからご安心ください。

『東洋治御の研究』がとどいたそうですネ。
安心しました。誰にもふれさせないようにして大切に保存しておいてください。
『夫子の道』は売り切れたのも知れません。あの本の方が早く出版されて世に出されたのですが、何といっても安岡先生が講述されている本ですから。

 三間、宮の下の三間村塾を開いておいでになる竹葉秀雄先生を御存知ではありませんか。
彼の方は、安浦先生の門を出られた方です。
私は折をみて、是非、竹葉先生のところへ参学しようと思っております。
骨肉の親は父母ですが、道の親は立派な人間の道を歩んでおられる師友です。しかし、今は御里においでになりません。魂と魂で固く結ばれているとは言え、私は家に帰っても淋しいに違いありません。
その越智先生以上に徹底した道心をもって御先生となっておられるのが竹葉先生です。

 お母さんも『生命の実相』について勉強されているとのこと。生長の家でどんなことを教わられているのか私は知りませんが、心の糧を求めてかと思います。
妻たる者がしっかりとした考えをもっていると男は鬼に金棒です。
反対に何の自覚も決心も出来ていない妻は、男の足手まといどころか、男として全くの意気地なしにすると共に、時として大きな罪をさえもおかされるようなことになるものです。
 昔の武士の娘は、恋愛をしても嫁に行っても何をしても、この最後の土壇場に行った折の覚悟が、充分年若い娘の間から出来ていたので、どんな最悪のところまで行っても、今の男にも及ばぬ、いじらしくも立派な態度がとれました。
木村重成の妻、白妙など、その典型的なものですネ。
或いは乃木婦人の如きその好例は、幾等でもあります。

 お母さんも立派な妻、立派な母となって下さい。
私も立派な息子となるように一生懸命に努力します。
私は、こんな嬉しい気持ちのことは近年にありません。
お父さんも、お母さんも優しくて立派な人だ!!ということを私は唯一の自慢に、たれにもよくお母さん達のことを戦友に語ることです。

 おいしいもの、立派なもの、面白いもの、楽しいことを求めて、それが幸福であるとのみ思っているのはあやまりです。
本当の幸福は、地獄から自分の心を自分で救うことです。
やすらかな心を常に持って生活の出来る人になることです。
うらんだり、にくんだり、うらやんだりする心をすて、道心に生きることです。
常に神様のお前にぬかずいた時の心になって、その気持ちをいつも持ち続けることです。
神の心は、その時自分の心となってきます。そしてそこに慈悲の心が生まれてきます。人とあわれむ心に、うらみだの、にくしみだの、しっとしんのあるはづがありません。
お母さん、どうぞ立派な妻、立派な母となって下さい。
くれぐれお体大切に。サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#148

 お手紙有難うございました。
小包二箇、確実に受取られました由、 安心致しました。
実はあの書籍中、『論語』『東洋政治哲学』の三冊はあれと同じものはもう何処にも売っていないのです。それで途中で間違いでもあるとほんとうに困るところだったのですよ。 『日本精神の研究』『王陽明の研究』そして現在僕の手元にある『東洋倫理概論』なども雑書と違って、僕にとっては幾回でも繰り返して読まねばならぬ書籍なので大切にして置いて下さい。
『王陽明の研究』 は友達にかりてその書を買う迄に五、六十回も熟読したでしょうか。 あの実在論以下が僕の心を根底からゆりうごかせたのです。
『東洋思想の研究』は毎月十日前後に来ています。一月五日に来たのが十六号で金鶏会に入会して以来五冊目です。
『東洋治郷研究』はこの 『東洋思想の研究』の中に紹介されていたものです。
あの本を読みたいナ、と今から楽しみにしています。

 越智先生に僕は是非お逢いしたいと思っているのですが、お別れして三ヶ年、今日に至るも愚鈍な僕は何等みるに足るべき進歩も向上もなく、純情だったあの頃の僕に比較してかえって俗悪頑迷な男に随し去っているようにさえ考えられて、恩師の御前にこんな貧弱な姿で立つことが恐ろしくさえ考えられます。

 お母さん。
『立派に磨きのかかった忠勝に・・・・・・・・』 などと言われると、 僕は困ってしまいます。現在の僕はあまりにもあらゆる点に於て惨めです。
入隊の時は、立派に心を磨き、見識を高めて、人物を造り、免にも角にも、お母さん達の子供として恥ずかしくないだけの男にならねばいけないと決意のホゾを固めては来たのですが。
終に最初予想した自分とは全く異なった愚かな自分を造ってしまいました。
結局僕が意志薄弱で一寸した苦難にもすぐ負けてしまったからです。
僕は皇紀二千六百年を機として、再び新しく決意を固めて真の目的に対して最出発を敢行しています。
根底から意気地ない自分をたたきなおさねば駄目です。そのためには今までの幾百倍にも増して百難千苦を祈って自分をその中になげ入れることを恐れぬつもりです。
懸崖に撤手して絶後によみがえるの覚悟が、死生厳頭に去来するもなお辞せずの気概がなくては、到底この腐り切った根性に清新な活気をみい出すことは至難中の至難だと思いま す。
立派な、人格の高い師について、志気の旺盛な大丈夫たる男を友にえらび、古今を通じて徳行のある人物に私淑し、寸陰寸刻を惜しんで努力勤勉する決心です。

 僕はこの年になってやっと聖賢の楽地に参ずるの喜びを知ることが出来ました。古人の幼少から勉学これ務められたのに対して、僕は全く晩学です。しかし、名を揚げることが目的ではなく、学問は何処までもおのれのための学問なので自己の練磨が其の最大の目的です。 落ち着いて、清貧にあまんじてコツコツやる考えです。
大器晩成!!
実際、 僕はその主義で、眼前の少利に心を惑わされことなく、次に来るべき大いなる飛躍に備えて準備を怠らずやっているつもりです。

 お母さんも、富貴や貴賤を超脱してその向こうにある偉大なるものを求められている様子、嬉しく思います。そのお母さんの姿を尊いものに思います。
貧富は人生の表裏でいつどっちがどっちにひっくりかえるかわかりません。頼るべからざるものに頼るから、意味もなく人々に、世の中に、愛憎・好悪のとらわれを覚えるのです。
お互いに魂のふれあった感激に満ちた将来を期待して務めましょう。
希望に燃え乍ら優しいお母さんへのお手紙を終ります。
寒さの折からくれぐれもお体大切にして下さい。
お隣りの区長さん、久保田さんによろしくお伝え下さい。 草々
忠勝拝
母上樣
一月十三日


満州からの手紙#149

  お母さん。
過搬送って戴きましたお金二十円確に戴きました。
この頃になって少しお金が入用なのでお願いしたのです。
さて又々お願いなのですが、このお手紙がお母さんのところへとどきましたらさっそくに三十円を書留にして重川隊、私あてに送って下さい。
多分このお金はこのまま手をつかずにお母さんにおかえし出来ると思いますが、所持金が少ないと考えると心細いですから。ハ−−−−−−−−−。
一月の末日までには是非入手しておきたいと思います。

越智先生から手紙が来ました。逢いたくてたまりません。
いつかは逢えると思いますが。

お金はお父さんにも言って下さいネ。

カスリ縫われていますか。 たのみますよ。

お嫁さんを貰いたくなりました。お母さん達に親孝行してくれる優しくて美しい人を。
女学校を出ていなくても結構です。
気をつけておいて下さいネ。 ハ------。
軍隊にいてまだ満期除隊もしないで、その上就職もせぬうちから嫁のさいそくをする息子などめったにあるものではありませんが。

 私はお母さんにお約束しておいたとおり入隊してから一度だって不品行な慎みのないことをしたことは絶対にありません。
赤裸々になって、男ばかりがよりあつまって生活しているのですから、一度でも遊んだなら必ずたれとはなしにそのことを知っています。
真面目だったか、不真面目だったか、は戦友達がハッキリ知っています。
そして隊でも遊ぶ男と絶対あそばぬ男とはだれもが自然と知るところです。
百人中九十人までが遊んで、それが『男なら、あたりまえだ!!』で通るのですよ。『女を買ったことがないんだ!!』と云えば『金仏、石仏、かいしょなし』ということになって、感心されるどころか、かえって子供あつかいにされます。
淫売女を買いに行くことが普通に考えられ、罪悪と思われていないのです。だから日曜日などピー屋 (淫売屋) は大繁盛です。ハ--------。
とうていお母さん達の想像されることの出来ないような、けだものと少しも変わらぬことが公然と許されているのです。
一度でもこの遊びの味を覚えた者は、この誘惑にうちかって平気で日曜日を終ることが出 来ぬとのことです。
『悪女の深情といってネ。 ハ----』と申します。

 越智先生、よい戦友との交り、過去の苦痛だった試練のそれらが私を立派にお母さんの子供として守ってくれました。
もしも私の過去の一途なあの過が許されるものでしたら、私はどんな美しい娘さんでもお嫁に貰えるだけの資格はある筈なので。ハーーーーーー。

 松陰先生は正月元旦の日も一生の中だと云って勉強されました。
私もつまらぬ妄想をすてて、今から静かに読書でもしましょう。
どうぞお体大切に。サヨウナラ。
忠勝拝
お母さんへ


満州からの手紙#150

 お母さん。
石川さんあてに送って戴いたお金二十円は一寸した手違いから今日に至るもお金がとれなくて困っています。それでこの手紙に同封して一応これをお母さんに送りかえしますから、和霊町の局へ行って新しく小為替にきりかえて、昨日お願いした三十円のお金と一緒にあわせて五十円送って下さい。
指定受取人宿所氏名のところへ何もかかないで下さい。
石川さんが中支か北支かへ行かれたので印がないものですから全く困りました。
私が直接局へ行けばわけはないのですが、局が東安の部隊の中にある野戦局で、日曜日は外出して行っても休みでお金がとれないし、普通の時は勿論駄目なので (出られぬので) 部隊からこの局に毎日郵便物受領に行っている兵隊にたのむのです。
裏の委任欄のところを変なことにしたので郵便局の方でウタグってお金をくれぬのです。とにかくこちらでいいようにしますから何もかかないで下さい。

 次に私が入営の時着た軍服を出来るだけ小さな小包みして至急便で送って下さい。なければかまいません。
間にあわなかったり、途中でなくなったり(こんなことはないでしょうが)してもたいして残念な思いをせぬように余分の品物は入れておかぬようにして下さい。
お正月に戦友から十円お金をかりているのです。 これもお金の来るまで暫く待って貰うことにしています。
物価が高いので一寸交際したり、何か買うと十円、 二十円はときの間です。この辺ではお金はつかえません。
服が間にあうと二、三十円無駄にお金をつかわずに終るのですが、とにかく送ってみて下さい。
では、お願いまで。 サヨウナラ。
忠勝
お母さん
郵便局で赤フダつきの軍事至急便にお願いして下さい。
二月五日までにお金も服も手に入れたく思います。


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