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満州からの手紙#66~#70

満州からの手紙#66

 お父さん。お手紙確かに戴いたのですが、終々お返事を誤魔化してしまって済みません。 
昨日はお母さんからお手紙が来て、お父さんにお便りしないことについて、一寸お目玉を頂戴したものですから、今日はさっそく筆をとりました。
ハ・・・・・・・。
越智先生、豊田先生にもお手紙する気です。

 赤松の遊園地へ社の人達と行かれる予定で帰られたのが、雨に降られて取り止めになったとか?
お陰でお父さんからのお手紙に接する事が出来た訳ですネ。
現在、堂崎の方は如何なって居るのですか。
あのあたりも昔に比較すると随分変わって来たことだろうと思います。

 さて、北満もいよいよ初秋の感が深く成って来た模様です。
朝夕の清々した爽快さは勿論、昼となく夜となく、兵営を包んであたり一面から湧き上がって来る虫の声は、幼い日の揺籃の歌を思い出させて呉れます。
内地では高原にのみ生えている紫色の美しい{龍謄/リンドウ}の花が、萩や桔梗、女郎、花野菊、月見草、釣鐘草など秋の七草と一緒に、足の踏み入れ場所も無い程に咲き乱れているのは見事だ!! といった感嘆を通り越えて、殺伐な僕達の心に柔らかい潤いを覚えさせてくれます。
目のとどく限りたがやされた畠では、高梁がもう僕達の背丈の倍近くものびて、おしろい蜻蛉がスイスイ青い空をかすめて飛翔しているのも、胸の痛いようなほろ苦い懐かしさを思わせます。
 
 昨夕は月が実に奇麗でしたネ。
月と言えば、今宵は旧八月の十五日で、昔から風流な人達に心待たれるお月見の日です。いつか家に居た幼い頃、お母さんはよく僕にお月見だんごをこしらえて御馳走して貰ったものですが。
 
 とりとめの無いことを書くのは止めて何か書きましょう。
現在、世の中の人達が一口に文明と言って尊んでいるものは何でしょう。そしてその文明なるものの、世の人達に与えた影響が、どんな結果となって生まれて来たか!!
所謂、二十世紀末 (一世紀は百年) の産業革命によって、我々が文明として与えられたものは、工業都市の勃興そして機械の発達、それによる分業制度の樹立等で、こうした社会文化の進展につれて、人間の日常生活が著しく便利になった訳です。
 
 しかし、問題がそれだけなら何も言うことはないのですが、そのため人間は次第に分業制度に支配されるようになって全く機械化され、人間が機械をつかうのでなくて機械が人間を使っているような感を呈するようになりました。
換言すれば、人間が機械化したと言うのは、古から尊ばれた人道的根本の自覚を失って、物事の考え方や行い方がエゴイスト(利己主義)に打算的に功利的になって来て、義理とか人情が次第に薄くなって来た訳です。

 そこで、昔は学問と言えば道を学んで徳を治め自己の人格を高める所謂大学でとかれている『修身斎家治国平天下』のが、究極目的であったのが、近頃の学問はただ知識・才能の世界にのみ心をはせて、物質的に或いは地位・名誉・権勢を得て自己の欲望を満足させることが学問をする目的であり、世の成功者とは、心の中が如何に空虚な者であっても、それら地位・名誉・権勢を得ることが、成功者と名前のつく最大の栄誉と考えるようになったのです。
しかし果たして人間が富を得、地位・名誉・権勢を得てそれでよしとする!! 人生とはそんな軽やかな簡単なものでしょうか。
僕はもっと人間生活は、心をおし沈めて霊の世界にはせ参じ、魂の自由を求めて、己の欲する処に従って則を越えざるの境地に到達するのでなければうそだと信じます。
 
 子として子の道を知らず、親として親の道を知らず、民として民の道を知らず、社会の人間としてその道を知らぬとしたら何が地位でしょう。何が名誉でしょう。才あって徳無き巧進の徒となるよりも、道を知って才なき愚鈍である方が、どんなに人間らしいかしれません。

『{朝/アシタ}に道を聞いて 夕に死すとも可なり』
全く、ただたべて生きんがための、生活するためのみの日々の努力なら、別に禽獣と何等変わるところがありません。
『ごくつぶし!!』とはこのような人間を言うので、死んだ方がより社会のためです。

 そこで、将来生活する上に何等の足にならぬとしても、港の無い処に船を浮かべるの愚であると考えられても、本来、軽重をあやまらず、正しい道の上に立って正しく人間の道を歩むことの出来る自己を、今の間に勉強して作って置くべきです。
父母の名を真にはずかしめず、真に日本国民の一人として俯仰天地に恥じぬ自分であってこそ、富貴に淫せず、威武に屈せぬ大丈夫たることになり得るのだと思います。
 
 僕はいたずらに言多く、物事の概念に走って大いに自重を要するのです。いつの日か僕の希望を達してみせる覚悟です。
お父さんの健康をいのって今日はこの辺で筆を置きましょう。サヨウナラ。
忠勝
お父さんへ

満州からの手紙#67

 お母さん。
今日の演習はとても疲れました。
国境線側の山岳地ばかりでやったので、アゴが二、三尺飛び出す程の思いがしました。もう少しでへたばる処だったのですが、分隊長の久保本班長殿が色々と手加減して貰ったので 、やっと落伍せず帰って来たのですよ。ハッハ・・・・・・・。
お腹をこわしていて、今朝から食欲がなくて、ろくろく食事をしていなかったので一寸まいったのですよ。しかし、一日たてば腹具合の悪いのは大抵なおるのが前例ですから、別に心配はいりません。
上品な話しではないけれど、たべ過ぎかもしれません。ハ・・・・・・。

 こちらの山岳地は内地の山岳地とは全く趣きを異にしています。
まるで丘の様に傾シャが緩くて、殆ど一本の樹木らしい樹木もなく、潅木や雑草で一面に覆われています。それから岩石などは平地、山地をとわずめったにみかけません。
だから山岳地と言っても、高原と言った処でしょうネ。廣々としたこの丘様の山裾を上へ上へと草をかきわけて辿っていると、いつのまにか驚く程高い所へ来ています。
 
 この辺の山では、かなり高所なこの位置からは、半截河の町はマッチ箱の様に小さく目下に俯カンされます。それはまるで眼界にひろがっている大平原の中の、一点のしみの如くにしか思えません。
高染やとうもろこし、きび、大豆等のかり入れが終ったこれらの作地 (平原) は、地平線の遥か彼方まで、褐色の地肌を秋のサンサンたる光りの中に荒々しくむき出しています。
半截河の町から国境線側に向かって望む連山を越えると幾ツも幾つもの坊主頭が高原の中にニョッキニョッキと頭をもたげています。
こうした雄大な景色は、国境を越えた彼の地にまでも続いています。

 こんな美しい自然美の中のどんな所に、ぬぐってもぬぐってもぬぐえぬ暗雲が低迷しているのだろー。
僕は、不思議な興奮に胸をはずませつつ、しみじみとそんなことを思いました。
足下の雑草の中には『月よりの使者』で富士見高原に咲いているとかの、あの薄紫の竜胆の花や、紅色のナデシコや、名も知らぬ無数の花が咲き乱れていて、それはそれは可憐な感傷を、兵隊さんの胸になげかけて来るのですよ。
特にすすきは奇麗ですネー。

『こんな静かな、清浄な、そして雄大極まりない大自然の美を、お父さんやお母さんに一目みせてあげることが出来るのだったら!!』
本気でそんなことを考えました。 ハ・・・・・・。
しかし、ほんとうは、この高原の中にポツンポツンと突出でた小山の一ツーツは、友軍の陣地なのですからこれ以上のことはかけません。

 この山の演習を終ってかえったのが七時頃でした。黄昏の中に丸い大きなお月様の姿をみて、お母さんのことを色々と思ってみました。
『今夜は八月十五日で月見だぞ!!内地にいたのだったらナー』
戦友のたれかがそんなことをつぶやいていました。
僕は、幼い頃よくお母さんがお月見の晩つくって戴いた、月見だんごの味を考えてみました。
 
 大急ぎで入浴だの、夕食だのを終って、久保本班長殿の室へいってみたら、お母さんから手紙が来たのだと言って、手紙を読んでおられました。
八時の点呼まで、曹長殿の所からレコードをかって来て、班長殿と開くことにしたので、蓄音機をかってかえってみると班長殿が、
『今日は善家と二人でのもうネ』
そう言ってビールをかって来て用意をされていました。
僕は班長殿と二人でビールを飲む雰囲気に心懐しくひたり乍ら、点呼時限まで色々と面白 い話しをしました。
『満期したらお前と小母さんと、三人で牛鍋でもつつこうかナ』
班長殿が楽しい空想を語られます。
 
 点呼は仲田班長殿が不在なので、班長代理で僕が異状の有無を報告しているのです。(先任の山平が週番なのです)
点呼後戦友達は昼の疲れが出たのか、ごそごそ床の中にもぐり込みました。
僕はお母さんに今日の報告をこれで終るので、今から床の中へもぐります。
おやすみなさい
忠勝
優しいおかあさんへ

満州からの手紙#68

 お父さん。
連日の雨が上がって今日は驚く程の上天気です。
秋日に晒された畑一面のねぶかが、微風にユラユラとゆれています。
何処からかとても長閑な鶏のときをつくる声が聞こえて来て、まるで故郷の田舎にでも滞在しているような気持ちです。それに暫く耳にしなかった雀の啼き声も窓越しに盛んに湧き上がっているのです よ。

『秋来ぬと  目にはさやかにみえねども  風の音にぞ驚かれける』
実際、風の音と感触にしみじみとした北満の秋を覚えます。国を出てから後一週間すると満一年です。
もう三ヶ月もすると三年兵で、軍隊では最古参者の部類に入ります。早いものです。
しかし、他の古兵殿にくらべるとまだまだわずかな御奉公です。

 お父さんと牛鍋をつつきながら、お酒でも呑んで、北満の土産話に花を咲かせるのは今から一年半か二年程後のことでしょう。
長いようでも短い今日までの年月をふりかえってみても、一年や二年の月日位すぐたちま すよ。
それまでは随分骨がおれる事でしょうが、我慢してたえていて下さいネ。 僕が家へ帰ったらお父さんが驚かれる程親孝行をしてあげますよ。 ハッハ・・・・・・・。

 後三ヶ月もすると二十五才の春を迎えるのだと考えると、自然と体がひきしまって緊張した気持ちが湧き上がって来ます。
『我訝二十有余歲、人生之須半過』
正に人生五十年の半に達した今、ボンヤリとした朝夕を送っていては大変ですネ。
僕は心に固く決する処あるをお父さんに断言します。
お互いに心からなる感謝と、喜びにひたる楽しいその時を心にえがいて、現在の一ツーツの試練にあくまで堪えしのんで頑張って行きましょう。
古来、幸福への前提は必ず苦痛な試練の道程であったことをお父さんも僕も知り過ぎる程知っているし、実際に体験も重ねて来たのですから、覚悟を決めて断々固として奮闘努力しましょう。
こうした生意気な言葉の一回一回が単なるへ理屈で終わらぬように一生懸命つとめます。

 何はさて置いてもお父さん達は充二分体に気をつけて病気なぞにかからぬようにして下さい。
軍隊にいる者は、弾でも飛んで来てあたらぬかぎり病気のため寝こむ程の大病はめったにやらぬものです。
少し位の無茶に近い無理を重ねても『やれば必ずやれるもの』と言う確信がついているからだと思います。
実際相当の無理なことであっても、軍隊では日常の茶飯事の如くやってのけるのですから、人間もその精神のもちようで驚く程の力を発揮するものです。
軍隊だって地方だって何もかわりはないのですから、やる気でやれば年寄りのお父さんだってまだまだ相当なことはやって行けます。
国民総動員の言葉が叫ばれている現在、一層お父さんの奮闘をいのります。 ながくなるので今日はこの辺で止めて、又次にしましょう。
サヨウナラ。
忠勝
お父さんへ

満州からの手紙#69

 お母さん。
一昨日までのほの暖かさにくらべて、昨日、今日の朝夕の薄寒さは、まあどうしたと言うのでしょう。
お月様の美しい八月十六日の夜 (二十八日) 衛兵に行ったのです。
その夜の一番寒かった時刻は明方の四時から五時頃で零上十三度ぐらいの温度でした。
今までの衛兵で一番温度の下がったのは八度の時です。だからあの日は、夜は比較的暖かかった訳です。
(内地の一番冬の寒い時が普通で昼が十一、 二度、 夜間が零上八、九度)
ところが夜が明けて、急に風が出て気温がグーと下がって、日中だと言うのに七度までに成ってしまいました。
前日までは、大抵二十度程だったのです。だから寒くて寒くて一日ブルブルふるえていまし た。 ハッハ・・・・・・。
二十九日の夕方六時に衛兵を交替してかえって来たのですが、 昨夜は零上二度の処まで寒暖計が下がったそうです。
今朝 (三十日) 起きてみると初霜が屋根の上一面に降っていました。そして馬屋の水桶に氷のはっているのを今年に成って始めてみました。

 今日は、満州晴れの空に雲一ツありません。
ポカポカ暖かくて小春日和のなごやかさです。
昨日は、つばめが何処か渡って行くのか無数に飛び廻っていましたが、今日は一匹もみかけません。
それから一昨日から驚く程沢山の雁が、西の方から北の方へと飛んで行きます。
晴れ渡った大陸の秋空に 『クワッ!! クワッ!!』と雁が鳴き乍ら絹ずれの如きシューシューシューと言う羽音をたててかぎに成りさおに成り飛び去って行くのはほんとうに美しい詩のような眺めです。

衛兵所で眠気予防に作った詩を入れて置きます。

 九月の月は今日一日で終りです。
後四日すると十月五日、 思い出の出征の当日ですネ。
満一ヶ年の年月がとうとう巡って来た訳です。
思い出すでしょう。
新玉小学校でのお別れを。駅でのお別れを。-------------------


 十月二十日は僕の誕生日ですネ。
冬物の下着を送って戴くように言っていたでしょう。 あれはあってもなくてもよいのです。毛糸のジハン腰下から防寒具はみんな隊から寒くなれば貰えるのですから。
靴下の保護上、足袋を一足送って下さい。 それからスコッチのジハンはいりませんから真綿のチョッキは必ず送って下さい。

 この頃お母さんの手紙以外にめったに手紙が来ないのでしゃくにさわっていけません。ハ・・・・・・。
今日はこれでサヨウナラ。 皆によろしく。
昨日、佐野の小父さんからハガキを貰いました。
時節柄 お体大切に。
忠勝
お母さんへ

《忠勝 衛兵所にて眠気予防に作った詩》
一、
{深/フカ} {海/ウミ)の底に静座するが如く
シンシンたる夜半のしじま
吾が足下より迫る
ゆらぐランプの焔影に
つどう三ツの人影

二、
野犬の遠ボエ微かに聞きて
サンサンたる月光のもとに出づれば
之も言われぬ十五夜月の美しさよ
寒さ身にしみ入りて
忍び寄りし北満の晩秋を覚ゆ

三、
ほの白き土壌のかたへによって
カツカツたる [歩/ト} {哨/モ} が靴音聞けば
迫り来し千々なる無量の思い
銃剣の光り冷たくキラメキて
月影一際濃し
月下に輝くさみし国境の連山を詩することあたわず
心病にて止む

九月二十九日
午前二時

満州からの手紙#70

 今日は十月一日です。
日朝点呼の時零上二度、日中が五、六度でこの二、三日間、気温はグングン寒さに向かって急激に下がっています。
日曜日なのですが、馬屋当番兼不寝番について今朝から服務しているのですが、風がピュ ーンピューン吹き荒れて首が亀のようにちぢまります。 ハッハ・・・・・・・・。

 今夜は三人交替で徹夜して馬屋の不寝番に立つのです。衛兵や馬屋不寝番は手落ちがあると処断されるので、営倉へ片足かけているようなものですよ。
週番士官殿の巡察がいつあるかわからぬのですが、そんな時、定位置にいなかったり、眠っていたりしたら大変なことに成るのです。
軍隊生活に油断は禁物です。
不寝番も夏の暑い時だといいけれど、酷寒時に成って零下幾十度と言う寒さになると、なかなか骨にこたえますよ。僕達二年兵は試練ずみで平気だけれど、初年兵さんは零下三、四 十度の酷寒地生活は体験がないから、そうとう色々と鍛練されるでしょう。 ハ・・・・・・。
次々の申送り事項ですから仕方がありません。

 国境の山の監視所はもう零下三、四度も下がるそうです。
豆腐の角で頭をうつと言った珍事件がもちあがってくるわけです。
炊事の糧未使役に本部の経理部へ行くと面白いですよ。
じゃがいもだの大根だのがカチカチに成って、どんなに力一杯編上靴でふみつけてもわれません。
根深はペキン!! とおれるのです。
アンペラに包んで送って来た牛肉をガンガン釜でたたき割って各隊に分配して貰うのです。ハ・・・・・・・。

 冬期の副食は殆ど全部のものが汁にされます。毎食汁ばかり続くのが通例です。
僕は牛肉が嫌いですが、もっと困るのは豚肉です。あぶらがどろどろういている豚汁や豚肉のはいっている副食は、どんなに観念してものどを通りません。戦友の中にはうまいうまいと言ってたべる者もあるのですが。
このごろ魚を油であげたフライものが度々あがるので僕は大喜びです。
ならづけ、みそづけ、おこんこ、ラッキョ、菜葉、梅干等つけもの類も色々とかわったものがあります。
班にはゴマ塩がそなえつけてあります。
軍隊の麦飯だけは食馴れた故かおいしいと思います。
時々たべる白米が喉へひっかかるように思えてうまくありません。

 毎日十一時から十二時の間を待ちこがれます。
戦友のだれもが。
何故って!!
手紙を週番上等兵が本部から貰って来て分配する時間だからです。
あった時の嬉しさ。なかった時の淋しいような腹立しさ。

 兵隊さんは無邪気で天真爛漫です。
隊にいる者はみんな赤裸々です。社会人の如く色々の事柄に拘泥する必要が全くないからです。それだけ単純だけれど真実があります。荒々しい言葉の裏に流れる情愛を直に心に受けることの出来るのも軍隊生活にかぎります。


稚さんは手紙を全くくれませんネ。元気なのですか。
菊地の千鶴子君は今も家へ来ているのですか。
常盤ちゃんはフィアンセと結婚するのではありませんか。もうそろそろお嫁入りの頃だから。ハッハ・・・・・・・・・。

星子君も来ているのですか。 お茶ピーさんお手紙をくれないので又たれかと恋をしているのではないかと思っているのですが。

清美君は相変わらず来ていますか。あの人も自覚してもっと多くの心の糧を自分の血とし、肉とすれば幸福に成られるでしょう。
自分を中心として考えるやりかたは、何かにつけて大きな誤解を人からされたり白眼でみられたりして、一生の幸福をとりにがすことが度々です。
人も傷つけず、自分をも傷つけぬことが大切です。

 
 このごろ二年兵以上は満期だ!! 内地帰還だ!! なぞと皆がさわぐので、かえる事は目下の処絶対にないことがわかっていても、免角色々と故郷のことや原隊のことを思います。こうした言葉の実現は、時と共に刻々近づきつつあることは間違いないのだけれど。ハ・・・・・・・。
まあ二冬越せばネ。きっと逢えるでしょう。
体を大切にして下さいよ。寒さの折だから。
では、今日はこれでサヨウナラ。
忠勝
十月一日





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