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満州からの手紙#111~#115

満州からの手紙#111

 お母さん。 昨日お手紙と同封のお写真確かに戴きました。
ほんとうに嬉しく思いましたよ。
私がさき頃から想像していた白髪だらけの弱々しい感じのするお母さんと違って、みるからに以前とは見違える程元気そうなお母さんの姿をみて心の底から安心しました。
お父さんはお写真そっくりだとのことですね。
私はお母さんに比べてあんまり老いてみえるお父さんを実際のお父さんとはズーと違って写っているのではないかとさえ思いました。
以前のお父さんの写真にはまだまだ一種の気覇 が感じられていましたが、今度のお父さんの姿には不思議とそうした強さが感じられません。
好々爺たるお父さんの姿の中には柔和な優しさのみがしみじみと感じられるのです。
『お父さんも年をとられたナー』
そうした感懐が胸をついて来ます。今までお母さんのことばかり心配でお父さんは大丈夫だ!!と思っていましたが、今からはもっと度々お手紙してなぐさめてあげたり、力づ けてあげたりしなければいけないと考えさせられましたよ。
お父さんやお母さんが年老いた体や病弱な体で生活のためとは言え自分で自分を励まして働いておいでになることを考える度、やっぱり意気地ない気持ちが頭をもたげて来るのか、しめつけられるようなわびしさを覚えるのです。
御奉公に上がって一線に働いているとは言っても、江南、中支等の戦線と違って、実際の戦闘の様に日ごと夜ごと弾の下や露草の上に臥しているのではないのですから、こうした気持ちも起きるのでしょうネ。
意味の無いことを考えたり書いたりするのは止めましょうか。

 昨日は土居が遊びに来ました。 頭をかってやったのですよ。
僕も近頃は大分床屋さんが上手になりました。 ハ−−−−−−−。

 お母さんはエンドウの小母さんの弟さんで僕と仲良しだった高橋通泰さんを覚えておいでに成りますか。
僕が中学の二年生頃、通泰さんが確か中学の四年生だったと思いますが。
その通泰さんから過日ハガキを戴きました。今、佐渡おけさで有名な佐渡島あたりの灯台守をされている様子ですが、昨年妻帯して今年の末にはお父さんになるのだそうです。通泰さんと言えば、エンドウの千代小母さんからも折節お便り戴きます。つい一週間程前にもお便りを戴きました。
逢われたら四六四九言って置いて下さい。
僕はよくふうせんをねだりに行ったものですが、ハッハ−−−−−−−−。

 お母さん一人写しのお写真も欲しいです。
出来るだけ大きく写さねば価値がありません。少なくとも半身が三分身にはうつして下さい。そんなにいそぎはしませんが。

 越智先生、お元気ですか。久子さん、まだお母さんになられぬのですか。勿論宇和島へ残られているのでしょうネ。そうだとお父さんがおいでにならなくなってさぞ淋しく思っておいでになることでしょう。

 歌子君を無理に家へ呼びつけてはいけませんよ。
あの人をお嫁に貰う気持ちは一層少しに成って来ているので、お母さんも歌子君やあの人のお母さん達の顔を潰すようなことのないように今から注意して置いて下さい。
出鱈目な女性の多いことが僕をこんな気持ちにさせるのでしょうネ。今の僕には女の人と深く交際してみたいような考えは殆どありません。
将来或る時機が来ればこうした気持ちは自然と解消するでしょうから心配はいりません。

 家に通っている人達にも時にはお礼のお手紙をしなければと考えることも多いのですが、何といっても呑気坊に成っているのでこの始末です。
お母さんから詫びて置いて下さい。
お体大切に、サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#112

 お母さん。お手紙によると笹井君が再び家へ通っておいでとのことですネ。お母さんは笹井君がとても好きらしいから大喜びされていることでしょう。
朝日町の江尻君、確かに覚えています。易をみてあげたかどうかは忘れてしまったけれど。ハッハーーーーーーーー。
しかし、どんな可愛い顔の人だったか全く記憶にありません。
田倉君や河野君は越智大兄の教え子で二人が小学校の五、六年生のころはよく僕の家へも来たことがありますから、僕をよく知っておいでの筈でしょう。
早や女学校を卒業されるような年頃になられたのですか? 早いものですネ。
どうぞ僕が山程四六四九言ったとお伝え下さい。

『僕が家にいた当時兄妹のように親しくした多くの人達がみんなお嫁に行ってしまって、お母さんもさぞたった一人ポッチで淋しい毎日を送られておいでになる事だろー』 清美君や松子君達がお嫁に行かれた報を受けとるたびにそんなことを考えて、何時も僕は胸が熱くなって来るのを覚えました。しかし、お母さんを優しくいたわって戴く沢山の娘さん達のあることを知って、どんなに心嬉しくたよりに思ったか知れません。
花を買って家の中を飾って、お母さんをなぐさめて下さる笹井君始めみんなの人達に、遠い北満国境の果てから誠心こめて陰乍らお礼を申します。

 お母さんは思いやりが深くて親切だからたれにも好かれるのですネ。 それだから僕も心配になる反面に又ホッ!!と安ドに似た気持ちも覚えるのですよ。
僕が家に帰ったら、きっと一生懸命に働いてお母さん達にその上の苦労はさせません。
日本の国民のたれもがジッ!!と苦痛や不自由や淋しさに堪えて頑張っているのですから。
お母さんもしっかり体に気をつけてもう少しの間辛抱して下さいネ。

 人間はたれでも禍福始終を知って惑わず、あせらず、落着いて一歩一歩確実な道を進むことが最も大切です。
無理は永続きするものではなく、又体でも悪くすれば無理までして為した事のすべてが帳消しになって何の意味もないことになります。
だから体だけはくれぐれも充分に注意して一家のためにも僕のためにも元気でいて下さい。

 情味ゆたかな義理堅いお父さんと、かぎりなく優しいお母さんにつかえて将来平和な一家を確立させることを考えるのは僕にとってとても楽しいことなのですよ。
僕は世の中の人達に迎ゴウされるような高い地位や大きな名誉や沢山の物質を敢えて得ることよりも、お母さん達の側を離れずに精一杯働いて、貧困ならそれでもよいから、兎に角分相応に出来るかぎりのお世話をしてあげたいと考えています。
自信の無いことは僕には言えません。紙上に文句をならべるだけのみえすいた嘘をつきたくない僕です。
『人事を尽くして天命を待つ』
実際僕の覚悟は古いこの諺の通りです。

 名声だの、地位だの、物質だのと言うものは自ら求めるものではなくて人間の真摯な働きに対して神様から社会と言う世界を通じて自然とさずかるものなのですから、根底にそんなことを心に願って働く人達は考えがあやまっていると思います。
今の世の人達の多くが昔の美しい義理とか人情とか言ったものを著しく失って、エゴイスト (利己主義)のガリガリ亡者に成ったり、功利的になって来たりしたのも世のため、人のためひいては国家のため身を殺して仁を為すのイデオロギー (感念)を失って来たからです。
やるだけやって、その結果に於いて尽くせるだけのことを尽くせば、僕はたとえやったことがどんなに貧弱であっても、誰にはばかる処もなく満足です。又それでお母さん達も充分に満足して戴く人であることを信じています。

 大学に『身を修め家を斉え国を治めて天下を平にす』と言う句があります。
日本のように家族制度の国家では、身を修めて始めて家が斉い一家がよく斉って始めて国が治まるのです。
一国を治めると一家を斉えるとの差は一に大小の違いこそあれ根本の精神に於いては何等変わるところがありません。
僕達はこうした時局にあたって、めいめい各自の家庭が一国を治めるの概を熱と真剣さでもって一家を治め、
『一死以報君恩』
の覚悟を忘れず、向上の一途を辿ってこそ緊要かつ重大な国家への真の御奉公が出来ると言うことを再認識しなければいけないと思います。
色々と書いている間にとうとう又こんなむつかしいことをかいてしまいました。
すみませ ん。

どうぞお体大切にして下さい。又お手紙をしましょう。
サヨウナラ。
二、三日野外に出ないでいる間に、草の芽が三、四寸も延びました。そして今日、迎春花 (インチュンホワー)の花が咲いているのを発見しました。つくしも一本みつけたのですよ。
おまもりを有難く御受けしました。
ではお体大切に。
忠勝拝
お母さんへ

満州からの手紙#113

 御無沙汰を致しました。
お達者で毎日を過ごされておいでになりますか。
私は大元気で一生懸命御奉公しておりますからどうぞ御放念下さい。

 過日お手紙で送って戴きましたお守りは確かに拝受致しました。
竹子君に四六四九お伝え下さい。
私もお手紙を出さねばならぬ処が幾等でもあるのですが、生まれついての悪筆なものですから終々お手紙がのびのびになって困ります。

 丸木の小父さんはお元気でしょうか。
過日慰問袋を戴いておりながら今だにお礼のお手紙もさしあげずにいるのですが、お母さんからもよくお礼を言っておいて下さるようにお願い致して置きます。
あれこれと心せわしくて落ち着いて手紙を書く気持ちになることが稀なのです。又日曜日以外にはなかなか手紙など書いておれぬのです。
『今度の日曜日こそは』と思っていても最大限に便りをしたためてみても、予期した程沢山かけるものではありません。
それに手紙はのこせば後々まで残るものだと思えば、お母さんに差し上げるお手紙のように書き流して差し上げることもなりません。
全く困るのです。

 過日、若松の歌子君からお手紙が来ました。 中に昇君の写真が入れてありました。少し痩せているようです。
父母様の有難味が身にしみたことだろうと思います。
父母の慈愛も抱擁も全くとどかぬ自分一人の力をたよりに生きて行く未知の世界へ投げ入れられてみて、初めて無力な貧弱な姿の己を意識したことでしょう。
思い上がって我儘で強情だった私も、初年兵の当時は消燈後、毛布を頭からかむって人知れず涙を流したことでした。
昇君もきっと入隊前とはまるで一変した男になって帰ることと思います。

 昔から真に人傑といわれた人達は、大抵一度は必ず死の厳頭に立って生死の間を彷徨した体験をもたれているようです。実際、地位も物質も名誉も権勢も何かわ!!
行きつく一歩手前まで行って、活然とそこに人間本来の姿に目醒めた人間でなくては、真に国家・社会のお役に立つような大きな仕事は出来ぬでしょう。
『人間白日醒むるも猶睡れるごとし 
   老子山中睡却って醒めたり』
実際陽明先生の言われているように、世に人間は多いけれど、真に醒めた人は稀です。

 西郷南洲の言われているように、
『世の中で金もいらん、地位も名誉も権勢もいらんというような人間程、始末の悪い者はない。しかし、この始末の悪い人間であって初めて国家・社会のことを共に語るに足るのだ!!』と。
全く御奉公を尽くす上に於いても、自分の地位や名誉に傷のつくのを恐れていては真に正しい自覚のもとに信念のある徹底した仕事は出来ぬ訳です。
自己内面の必然的要求に従って行為する。自分がどうなろうと、とにかく自分にささやく明らかなる徳によって、良心によって行為する!!
そこまで行きつくためには、やはり死の{顎門/アギト}をくぐった人間であって初めて徹底した行為が出来るのだと思います。

 そういった意味に於いて平和なこの地の軍隊生活は一面心のどこかに満足しきれないものもないではありません。
今、中支にいる昇君は危険ではあるけれど、 この千載一遇の好試練を受けることが出来る訳です。
日和武夫の道を歩む男子の道程の一事として昇君は私達よりもめぐまれている訳です。

 又々つまらぬことを書きました。
くれぐれお体を大切にして下さい。
年をとったからとか女だからというようなことを考えないで、しっかり勉強して下さい。
今のままに努力されるように祈ります。
サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#114

 お母さん。
昨夜はとても月が奇麗でしたよ。
兵舎の窓越しに広野が、 そしてその向こうに敵のK山が夜目にもクッキリとうきあがって眺められました。
消灯後も僕はなんだか素直に床の中にもぐるのがおしいように思われて、随分久しい間サンサンたる月影のふりそそいでいる舎外を眺めて色々のことを考えました。
さては、みっちゃんや清ちゃん達のことまでもほろ苦く思い出されて、しみじみとしたわびしさを覚えました。
今頃に成ってとっくに忘れた筈のあの人達のことが、どうしてあんなにせつないまでに胸にしみてきたのか僕にはわからないけれど。
月の夜更けはほんとうによいものですネ。

 お母さん、四、五日降り続いた雨がカラリと晴れて、今日は満州晴れの上天気です。
褐色の山肌がいつの間にかグリーン(緑)の色に覆われて北満にも若葉の頃がいつとはなしにやって来ました。
丘の上では迎春花 (インチューホワー) が足の踏み入れ場もない程にさきそろって可憐なすずらんが可愛い蕾を咲かせようとしています。
五月も後十日でサヨウナラですネ。

 昨日、友岡様のお符護の入れてあるお手紙を受け取りました。わざわざ来村まで行って貰ったのですネ。ほんとうにすみません。
肌身はなさず持っております。どうぞ心配しないで下さい。

 お手紙に書いてあった石川さんが偶然にも昨夜、お母さんのお手紙と申し合わせたように、お母さんからのお送り物をもって僕をたずねて下さいました。
するめや蜜饅頭、 ロールマキ、下帯、たしかに戴きました。
とても嬉しかったです。
『おい!! みんな来い来い蜜頭だぞ!!』
僕の声の終わらぬうちに、ワァッ!!とかん声が上がって、次の瞬間には星子君が作ってもらったとかの箱ばかりがポツンと取り残されありました。
ハッハ−−−−−−−。
みんな大喜びでたべてくれました。
蜜饅の一ロ一口に僕もお母さんの優しい思いやりをかみしめかみしめ戴きました。
下帯は動員用にのけておく考えです。
いざ、と言う時はお母さんがぬって貰ったあの 『ふんどし』 をしっかりとしめて出かける覚悟です。
暇さえあればこうしてかきたいこと、言いたいことをいつも書き送っている僕ですから、どんなに突然重大使命を受けても『あんなことも、こんなことも言っておけばよかった』などとは考えぬつもりです。
そんなつもりですから、お母さんにだけは他のどんな人達へのお手紙を失敬しても、常から出来るだけ度々お便りしているのです。
こうして、たえず送るお手紙の一通一通が、僕のまさかのときの遺言書と言う訳ですネ。
ハ−−−−−−−−。
『最悪を予想して最善を尽くせ!!』
教官殿はたえずそう言われます。戦地を問わず、銃後を問わず、そうした覚悟と準備は定めなき人間の運命を自覚して、たえずととのえて置きたいものです。
お父さん、お達者ですか。
どうぞくれぐれお体大切にして下さい。
皆さんに四六四九、サヨウナラ。

星子君とはどんな人か、写真でもあるなら貰って送ってくれませんか。たのんでみて下さい。
きっと美しい人だと思っているのですが。
もっとも、お母さんは現在の僕が女の人との交際でどんなに真面目だかよく知っておいででしょう。
だから僕はお母さんにこんなことを言うのですよ、ハ−−−−−−−−。


満州からの手紙#115

 お母さん。
昨夕、幾日ぶりかで演習を終わって、野営地から帰って来たのです。
お父さんとお母さんと、帝大に行っている前田君と、幹候の神野君達から懐かしいお手紙が来ていました。
野営地では愛媛県の教育視察団が雨の中をわざわざ慰問に来て戴きました。
宇和島市の学校を代表して来られたのが、意外にも毛利ヨシ子君の兄さんだったので、嬉しいやら懐かしいやらで大喜びしました。
今月十五日ごろに宇和島へ帰られる予定とのことなので、いづれお母さんのところへも訪れて戴くことだろうと思います。

 仲田班長殿は元気で帰られました。班長殿も心から残念がっておいででした。
お手紙では磯崎君が四年ぶりで帰られたとか、あの人のことはすっかり忘れていたけれど、言われてみれば雅さん達同様、特別親しかった人達の一人ですネ。
元気でおいでになることを知って心から嬉しく思っています。お手紙でも貰ったら必ずお手紙を出しましょう。

 松ちゃんがハズさんと二人連れでハ−−−−−−−−。
甘いところをみせたなぞ、あっさり屋の松ちゃんだからそのくらいのところは朝めし前でしょう。 松ちゃんらしくて微笑ましいと思います。

 笹井君は一人娘なのですか。
立派なおむこさんを貰うためにも、自重してお茶ピーは止めたまえと注意してあげようかナ。ハ−−−−−−−。

 大西文子君がお母さんを訪ねられたとか、不思議なものですネ。
出征の途上、汽車の窓越しに知り合った人がおかしなめぐりあわせに成って僕の家を訪れて貰うなぞ、三、四日中にお手紙出して置きます。

 こちらは新緑で、野には一面に色々の花が咲き始めました。
迎春花が散って、今すずらんや、伊予節で有名な小かきつばたや、すみれの花の真盛りです。
蛙がガアガア鳴くのを聞いていると、赤染様あたりの田圃を懐かしく思い出します。
演習から帰って色々と身の廻りの整理に忙しいから、乱筆乱文で堪忍して下さい。
明日ゆっくりかきましょう。
忠勝
お母さんへ









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