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満州からの手紙#136~#140

満州からの手紙#136

 今日はどんより曇って底冷えのする日です。
刺すような外気の冷たさから想像して零下を相当に下っていることと思います。
明治節で部隊は休日になっているので、戦友達は町へ出かけて行きました。
僕はお手紙を書き終わったら、呑気に終は読書する考えで、班内に残っているのです。

 実は、暫くお母さんから音信が無かったので、どうされておいでなのだろうと案じていたのですが、昨日のお手紙で、全くホッ!!と安堵しました。
僕も相変わらず張り切っています。元気でピンピンしていますからどうぞ心配されないように願います。

 お手紙によると区長さんが丸木さんになられたそうですネ。
今日は、丸木さんにも久保田さんにも、必ずお手紙を出して置きます。
お祭りをされたのですか、孝義兄、岡本の小父さんお達者でおいでになられたことと思 います。
川一の『いちまさん』が家へ通っておいでになるとか、四六四九お伝えして下さい。
土居から時々思い出したように手紙が来ますが、 あれも今ごろは悲鳴をあげていることだと思います。
我儘が金輪際とおりませんからネ、ハ−−−−−−−。

 お花を始められたそうですが結構です。
もう、はさみははいるようになりましたか。はらんはらんで始めから終わりまではらんで終わったのでは、なんだがハッキリしませんよ。
お母さんの腕の冴をいつか拝見出来ることでしょうが、楽しみにしていますよ。 ハッハ−−−−−−−。

 十月二十日は僕の誕生日でした。
この日、かねて注文しておいた『東洋倫理概論、日本精神の研究、王陽明研究』 の三冊の本がとどいたので大喜びしました。
あらゆる軍務の余暇をみて、一生懸命読書しては努力精進しておりますから、どうぞ御放念下さい。

 支那の歴史上にも {類/タグイ} {稀/マレ}な偉人『 {曾/ソン} {国/コク} {藩/ハン}』という人があります。この人が戦陣中から子供の『紀鴻』に手紙を与えているのに、次のようなことが書いてあります。
『たいていは皆子孫が大官となることを望むものだが、父はお前が大官になることを願いはしない。ただ読書明理の君子となって欲しい。 勤倹/キンケン} をむねとして労苦をいとわず、順境にも逆境にも普通の時と少しもかわらずやって行けるのは君子である。 云々』と。
読書明理の君子とは、聖人の書きのこされた書物をよく読んで、人間として踏まねばならぬ明かな道理をよく知って行為する人を言うのです。

 曾国藩がどうして可愛い子供に立派な地位や名誉を、或いは物質や権勢を求めようとせず、 一條に明理の君子となるようにとさとしたのでしょう。
それは人間が正しい道を歩かないで、道徳的な人格生活を第二の問題にしてかえりみなかったなら、如何に高い地位、名誉があっても、別に {禽/キン}(とり) {獣/ジュウ} (けもの)とかわるところがないからです。
人間には人間の踏むべき道があって、人がその道をたどることによって、はじめて人としての価値があるので、この正しい道を知らずして、如何程立派な名誉や高い地位があっても、それは別にたいして価値のあるものではありません。

 世間ではよく『あの人は人物家だ』といいますネ。
人物家とは何をさしていうのでしょう。
その人の家の財産をさしていうのでしょうか。それとも地位や名誉をさしていうのでしょうか? 否。
人物家とは、その人の人格をさして言うのです。
人格者とはどんな人か、即ち人間として踏むべき正しい道を立派にたどっている人をいうのでしょう。
こうして次々に順を追って考えて来る時、何はさておいても第一に学ぶべき事柄は何でしょう。
結局、曾国藩が子供にいっているように、先哲 (先の世にあった聖賢人) の書を読み、明理の君子となるように努力しなければならぬことになるのです。

 昔の学問といえば、皆この人物をつくることでした。
中江藤樹や熊澤藩山、山鹿素行、吉田松陰、乃木大将、この人達は皆こうした天地の大道に生きた人だったのです。
僕も晩学と自己の頑愚に折せず、少しでも少しでも努力して、死ぬ間際に自分の一生をふりかえって、微笑と共に満足して終わりたいと熱望しています。
つまらぬことをながなが書いてすみません。
今日はこの辺でサヨウナラ。
忠勝拝
お母さんへ

満州からの手紙#137

  お母さん。
お手紙有難うございました。
殊に慰問の小包を送って戴きました由、ほんとうに済みません。
今日は十一月十日、日曜日で、その上紀元二千六百年祭の祝典が興行されるため、 僕達の隊でも十一時二十五分を期して、遥かに東方に対して拝礼を行い万歳三唱の後、乾杯をしました。
舎外は絶好の上天気ですが、相変わらず厳しい寒さです。
それでも窓ガラス越しに澄み切った青い大空を眺めるのは、全く心快の限りです。
内地のこのごろの空も、晴れた日はやっぱりこんなにそこはかとなく澄み切った空だが!! などとうっとり考えこんでいると、しみじみとした気持ちを覚えます。

 偖て、丸木さん、久保田さんへのお手紙の件ですが、あれは五、六日前だったか出して置きましたから御安心下さい。

 奥島のなみさんがお母さんを訪ねられたそうですネ。
しかも赤ちゃんをだっこして。ハ−−−−−−−。
あの人はズーと昔から心優しい人でしたが、僕が我武者な我儘者だったので随分つれなくしたものでした。すまぬことをしたと心で詫びています。 幸福な家庭の人となられたことを聞いて、ほんとうに嬉しく思いました。

 俊子君からお母さんへ、お手紙が行ったそうですネ。
未知の人ですが、親しく手紙のやりとりをしています。
しかし、僕のこうしたことを誤解されないようにして下さい。
僕は自然と友達になった女の人達を、将来お嫁さんになどというようなローマンチック (物語的)なことは考えておりません。
お母さんにとって僕の将来のお嫁さんのことを考えるのはきっと楽しいことの一ツでしょうが、僕は生活力が出来ねばお嫁さんは貰いませんよ。
生活して行くだけの力が出来れば、いつでもお母さんのいわれる通りにする気です。

 お嫁さんは、なかなか理想通りに、自分の想像しているような人には出逢えぬことでしょう。だから僕はお母さんが『この人なら』 といわれる人だったら、喜んでお嫁さんに来て貰う積もりでいます。
そんなに高い理想はもっていませんから心配しないで下さい。アッハ−−−−−−−。
それで可愛い一人息子の僕のために、『この人は!!』と思われるような人がみつかったら、お母さんがそのつもりで僕のため、一ツ、四六四九処置しておいて下さい。
お母さんの娘さんを見る眼も相当くるいの無い立派なものになっていることだろうと僕が信用してあげます。
僕が勝手な我儘で色々やると、又六十年の不作の種を撒くに決めていますから。ハッハ−−−−−−−。
【ここから便箋の半部程度の記載が切り取られ、黒くぬりつぶされており判読不能】

風俗にともなって心の空虚さ!! これは又特筆すべきものがあります。
昔の武士の娘のような心がまえの娘さんなど、求めるべくもありません。
表面あくまでも従順でしとやかな、慎み深い風情と共に、内に命にかえて操を守るいさぎよい美しさは、戦の庭でニッコリ笑って桜の花のようにちる、大和武夫の美しい様と別にかわるところは無いと思います。
【ここから便箋の半分程度の文章が切り取られており判読不能】

言語・動作にあらわれて来るのをいうのではないでしょうか。
観音様の美しさは顔の美しさ以上に、心の美しさの御姿に御顔にあらわれていることを思わねばなりません。
今日も又つまらぬことをかきました。
くれぐれもお体を大切にして下さい。 御自愛の程祈ります。 サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#138

 お父さん。 面白いお話をしましょう。
昔、支那のある国の王のために、闘鶏を養う名人がありました。
或日、王は彼に尋ねました。
『どうだ、もう {闘/ヤ}らせても良いか?』
『いや、まだいけません。 今は調度空威張りして気を恃む悪い時です。』
暫くして王は彼に催促しました。然し彼は答えました。
『まだまだいけません。 他の鶏の姿を見たり、鳴き声を聞くと興奮して駄目です。』
しばらくして王は又催促しました。しかし彼はなおも許しません。
『やっぱり傲然と構えて居り、客気 (から元気) が盛んでいけません』
その後、王が重ねて催促した時、彼はやっとのこと承知したのです。
『まあ良いでしょう。もう他の鶏の鳴き声を聞いても平気なものです。一寸見ると、まるで木で作った鶏としか思われません。
含徳が充実したのです。
これでどんな鶏がやって来ても到底ものになりません。みんな戦わずして走るでしょう』 と。

 お父さん。貴男はこの木鶏のはなしをいかにも面白いと思われませんか。この話は支那の『荘子』という書物の達生篇に載せられてあるものです。
味わって無限の道味を覚えるでしょう。
これから後、私は号を 『木鶏』と称する考えです。

 静かに自分というものをふりかえってみる時、私は今日の日まで、あまりにもわずらわしい毎日を送りむかえて来たと思います。
よく心を落ち着けて考えてみると、どうでもよいようなことにまで懸命になって拘泥したり、もがき廻っていたようです。
真に価値も、意味もないことに反感を起して、昂奮したり、 傲然と構えて空元気を盛んにしていたりしたことの、いかに多かったことだったでしょう。
私は木で作った鶏のごとく、意味の無いことに尊い生命を損せず、これから後を送ろうと決意しました。

『その愚や及ぶなし』と論語にだったかありましたが、私はその愚に徹することに勧めようと思います。彼の言は又昔から 『運、 根、 鈍』 の鈍に相当するものだと思います。不必要なすべてのことに、愚たり、鈍たる男になることは、やがて 『木鶏』となることだと思います。
お父さんもこの木鶏について、是非再読味識して下さい。

 今日『東洋思想の研究』 を一寸読みました。
文中『渡辺崋山の生涯』 と題する一文がありました。
お父さんは、幕末の頃、文書にたけた勤王家で、当今までも親孝行の人として世にあまねく知られている渡辺崋山を御存知ですか。
私は読んでいる間に、感極まってとうとう泣いてしまいました。崋山は婚家先の妹と、父母様への親孝行のしくらべこをしようと妹にいっています。
私もお父さん達に真の親孝行をすることが出来たら、本懐これに過ぐるものとてないのですが。
静に神に祈ります。

 神のお前に額ことを唯一のよろこびとされているお父さんの清純な気持ちを、私は無精に嬉しく尊く思ったことでした。
是延の『おじいさん』 のお墓も時々は参ってあげて下さい。
いつだったか、学帽を買ってやるといって孫の私の手をひいて町へ私をつれていって下さった『おじいさん』を私はとても懐かしく思い出します。
『てらだに』の畑で真っ赤にうれた柿の実をもぎとって私に下さったのも『おじいさん』でしたが。

 静かな夜です。下弦の月がさむざむと広野をてらします。
懐かしい、なくなられた『おじいさん』や、お父さんの面影を瞼に思いうかべつつ今日のお手紙を終わりましょう。佐様奈良。
木鶏 (忠勝)
慈父樣
十二月九日夜

満州からの手紙#139

 お母さん。
今日 (十二月十日) 私の持っている書籍の大部分を二個の小包にして、お母さんのところへ発送しましたから、家につきましたらさっそく手紙で知らせて下さい。
それから書物は誰にもふれさせぬようにして、のけておいて下さい。
大きな小包の方は四冊の本と、二枚の純綿の猿股、タオル、歯磨き粉三缶、歯ブラシ五本、等が入れてありますから、お母さん達で使って下さい。
猿股はお父さんに差し上げて戴きたく思います。
他のもう一個の小さい方の包みには書籍ばかりが十三冊入れてあります。
本箱に入れて、かぎをかけておいて下さい。

 いつか私が我儘を発揮して買った大理石の電気スタンドは、今も家にのけてありますか。あの当時の私は、全くいけない奴で、お母さん達に心配ばかりかけていましたが、今考えると慚愧にたえないものがあります。
 
 一昨夕、越智先生に幾日ぶりかでお手紙を出しました。
師たる人に対して無沙汰をするということは、道を求める心のおとろえたものである!! との言を道友から聞かされ、ハッ!!と胸うたれ、恐懼して筆をとったことでした。

 かつての日、心ある先生の眼から狂っていた私を眺められた時、破廉恥漢の私が、どんなにあさましく、あわれにみえたことだったであろう、などと遠い昔を思い出して考えていると冷や汗三斗の思いがします。
今、私が道にめざめて、強く正しく生きて行こうと努力しているのも、越智先生の慈悲の涙があったからこそです。
実に先生は私にとって優しい兄であったと同時に、第二の親です。道の親です。
私は、私自身を深めて行くことが出来れば出来る程、 一層強く強く先生の恩の海よりも深く、山よりも高きことを思わねばなりません。
お母さんも越智先生にだけは、どんなことがあっても御無沙汰することの無いように勧めて戴きたく、希望して止みません。

 私は将来、柔道をひかえて剣道を学ぼうと考えています。
又、是非共 {謡曲/ウタイ}を習って音声を出すことによって腹を練ろうと思っています。
お父さんは、謡曲を今もやっておいでになりますか。
お仕事の余暇には是非しっかり勉強されるように、お母さんからもすすめてあげられるがよいと思います。
 
 いつかのお母さんの手紙に、お父さんが私のため純毛の服地を買ってのけておいでになると聞きましたが、涙の出る程有難いことだと思いました。
しかし、私は将来、純毛の服を着たいなどと考えるような、おごった私にはなりたくないものだと考えます。
『質素!!』ということは、軍隊でも特にやかましく教育されて来た私達です。 私は将来に於いて、軍隊生活の中で特に『よかった』と考えられるようなことは、このまま徹底して延長して行こうと思っています。
私は、分相応ということを、よくお手紙に書いているでしょう。貧乏人は貧乏人なりに正しい生活をするなら、どんなに貧乏でも、何等天地にはずる何ごともない訳です。
心すべきことは貴賤貧富のことにあるのではなくて、如何にして正しい道を辿って行くか!!ということにあるのです。
時にあわねば貧賎、時にあえば富貴、大丈夫たるものは須らくこれら皮相の物事に眩惑されることの無いよう、豪傑の士とならねばいけないと思います。

 今から演習です。昼休みを利して一筆啓上した訳です。
では又折りをみてお便りしましょ う。
お体を大切にして下さい。サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#140

 お母さん。
今日は十二月十五日、日曜日です。この月も半ば終わって、正月までに後あますところ十六日です。
いくつになっても正月を迎える気持ちは心楽しいものですネ。
さて、先達てお願いしておいたもの、石川さんに送られましたか。ハッキリ知らせて下さい。

 昨夜、土居が伍長殿の肩章をピカピカ光らせて逢いに来て呉れました。それでなけなしの財布をはたいて、一升買って帰って同郡三人が寄りあって冷や酒を飲んだものですから、今朝は二日よいで頭がガンガン痛くて困りました。

 今夜は加給品にお酒があって、戦友一同寄りあってのんだので、さしてよってはいなかったのですが、幾日ぶりかで勢いにまかせて大騒ぎをしました。ハッハ−−−−−−−。
軍隊生活の愉快なところは、戦友の皆が寄り合って、こうして一様に赤裸々な気持ちになって、大気炎をあげて騒ぎ廻るところにもあるのだと思います。

 ながい聞くつろいで着物を身につけたことが無いからか、着物や下駄が恋しくなりました。又、ほかほかしたふとんの軽い暖かさも懐かしく思い出されて来ます。

 今、家にはどんな人達が通って来られていますか、知らせて下さい。
それから雅さんはどうしておられるのですか。
その後みっちゃん、清美君のことについて何か噂を聞かれませんか。幸福に暮されておられるでしょうか。
昔とは全く異なった意味で、あの人達のことを折にふれ思い出して懐かしんでいるのです。

 昨夕この手紙を書き終わることが出来なくて今日に及びました。
今日は粉々たる小雪が降っています。
北満では、わた雪の降るというようなことは絶無といってよいでしょう。
寒さが厳しいからでしょう。
風さえなかったら雪のふる日が一番暖かです。

 愛治の清家君、現在僕達の隊へ帰って来て、隣の班の班附になっています。早いものです。僕の戦友だったのは、ついこの間のことだったのに、学校から帰って伍長殿になっています。 

 山田少尉殿、手紙で忙しい忙しいといって来ます。ハ−−−−−−−。
この隊にいてくれたらと残念に思います。
千波少尉殿、中尉殿になって今度この隊へ来られました。
まだ逢いに行っておりませんので、その中に拝眉の喜びに接しようと思っています。

山田の平吾代、朝鮮の山の中で、去る八月、巡査部長に進級したとのことですよ。奴さんの得意や思うべしです。 ハ−−−−−−−。
松岡は国士舘専門学校で、現在講道館柔道の四段です。
白城・郡山は、武道専門学校でそれぞれ四段、光岡は性を土居とあらため、現役志願して陸軍中尉殿、現在北満の興安北省、ハンダガイに来ています。
当時、柔道部の選手をしていたものは、それぞれに処世の道を開いていますが、一人漠とし ている者は私だけ!! しかし、あわてず落ち着いて−−−−−−−−。
私も将来一度は、世の中の人から狂人あつかいにされることを覚悟して、行くべき処へ一條に 勇邁する決心です。

『一條に道を求めてひたすらに 八難八苦われつきぬけ往かん』

 あまりこんなことをかいてお母さんを心配させるといけませんから、このへんで止めて置きましょう。
くれぐれもお体を大切にして下さい。サヨウナラ。
忠勝拝
お母さん。
十二月十六日夜


【かつて宇中の柔道部で同期だった皆さん、それぞれに活躍の場を求めて羽ばたかれておられるご様子。忠勝さんも焦りのいろが隠せない様子ですね!
戦況厳しくなる折、忠勝さんの心情如何ばかりかと。
終わりも近い"満州からの手紙”どうか最後までお付き合いいただきますよう、希います。】


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