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Virginity―ユニコーンの囁き(4)

当作品はBL小説です。
男性同士の恋愛感情がでてきますので、苦手なかたはスルーをお願い致します。

《前回のおはなし↓》


 世界選手権を終えて帰路に着いたジリアンを、ウィリアムは空港まで迎えにきてくれていた。
 しかし、その時は互いの家族や友人も一緒だった。
 ジリアン自身も疲れ切っていたので、ゆっくり話すことはできなかった。
 体養をはさんだ四月の中旬、ジリアンは大学に顔をだすことにした。ウィリアムと会えるかもしれないと思ったからだ。
 トロントで桜が開花するのは、まだ数週間ばかり先だった。
「話したいことがあるんだけど、時間をとれないかな」
 そう切りだすと、ウィリアムはあっさりうなずいた。
「講義が終わったら、うちの学部にこないか」
 医学部では運動が人体に及ぼす効果を研究するために、様々なデータを集めている。
 ジリアンもアスリートとして、データを提供したことがある。
 今回もそうした検査かと思ったが、彼の答えは違っていた。
「いや。最近東洋式のマッサージを治療に導入してから、被験者の評判がいい。…きみも受けてみないか」
 疲れがとれるかもしれない。そう誘われて、心が動いた。ウィリアムが、自分を元気づけようとしてくれているのがわかったからだ。
 学内で会えば、周囲に人がいるからプライベートな話はできない。少し残念だったが、マッサージを受けた後でどこか静かな場所に移動できるかもしれない。
 そう考え、ジリアンはでかけていった。
「そこに寝てくれ」
 医学部の研究会に置かれていたのは施術用のきちんとしたベッドで、ー人ずつカーテンで仕切られてあった。
 他の学生や教員達の気配はするけれど、施術中に顔を合わせることがないようプライバシーがたもたれていた。
 ジリアンはほっとして、指図されるままうつ伏せに横たわった。
「ウィル。きみはマッサージの勉強もしてるのか」
「下手な施術で、金をもらうわけにはいかないかないからな」
「ぼくは、練習台か」
「そういうことだ。遠慮なく注文をつけてくれ」
「OK、ウィル」
 ウィリアムの手は、とても大きくあたたかかい。冷えた箇所を包まれるだけで、安堵の息が漏れた。
 力強く安定したストロークで、背面側へくまなく施術がほどこされる。
 深い場所へと熱線が下りてきて、直接患部を照射されたような感じがした。
 ジャンプの着地による衝撃を柔らげるために、酷使される膝や足首の痛みが特に強い。普段は痛みを感じないと思っていた背中や肩に至るまで、まんべんなく疲れと怠さがある。
「痛くない場所がないよ、ウィル」
「氷の上で、冷えるからだろう。炎症を起こしているとき以外は、保温しておくといい」
 ウィリアムの質問に答えながら、右に左にと転がり体勢を変える。
 腰のマッサージを施された後、正面向きに戻って太腿の筋肉のチェックを受けた。
 スケートにおいて常に使われる部位だけに、骨盤から膝裏までつながっている幾本もの腱がこわばり、太い束になっていた。
「痛むか?」
「うん。鈍い痛みだけど…。怠い…。とても怠いよ……」
 時間をかけて腿を施術された後、どのぐらいほぐれたかチェックを受ける。
 膝裏に手を差し入れられて持ちあげられたとき、ウィリアムと目が合った。
 うとうとしかけていたジリアンは、ほとんど夢心地に彼を見た。ジリアンは、親友の深い褐色の目の奥に、何か陽炎めいたものが立ちのぼるのを見た気がした。
 それが何であるのか、ジリアンにはわからなかった。すぐに短い眠りに落ちたからだ。
 ふたたび目を覚ました時、人々の姿が消えた室内は薄暮の気配に包まれていた。
 ジリアンは薄目を開け、問うように唇を開いてようやく声を発した。
 カーテンの向こうに、覚えのあるシルエットを見出したからだ。
「…ル…?  …ウィ…ル…?」
 少し間があってから、ウィリアムはのそりとやって来た。
 声をかけてカーテンをめくり、気分はどうかと問うてくる。その手には、透明な液体を満たしたグラスがあった。
 残照を溶かしこんだような液体を受けとってから、ゆっくりと飲み干す。ジリアンは笑った。
「生き返った気分だよ」
「そいつはよかった。…もうー杯飲むか」
 ウィリアムが、黙って水を取りにいってくれる。
 ジリアンは、友人の大きな背中を微笑んだまま見送った。
 これまで彼に対してずっと抱いてきた思いがひたひたと満ちてきて、やわらかく心を揺さぶる。
「俺達が最後の居残りだ。管理人から鍵を借りてきたよ。それを飲んだら帰ろうか」
 おだやかに促されて立ちあがる。少しふらつくので、ウィリアムに腕を支えられた。
 頭一つ分近く身長差があるので、完全に見あげる格好になった。
 照明をつけていない室内は暗く、窓の外には明るさが残っている。
 ウィリアムがどんな表情をしているか、ジリアンの側からは見えない。それは、彼のほうも同じだったろう。
 ジリアンの唇から、ほろりと掠れたような声が漏れる。
 それは風の音にも似て、ウィリアムの鼓膜の奥へこそりと忍びこんだ。
「…ウィル……。君が好きだ……」
 掌の下には、ウィリアムの肩がある。脈打つ心臓から力強く送り出されてくる、血液の流れが直に感じられる。
「…ジリー。それは……」
 ウィリアムがようやく、喉に絡んだような声を鈍く押しだす。
 その声を開いてはじめて、普段の冷静さが戻ってきた。夢のような幸福感が、心にブレーキをかけることを忘れさせていたのだった。
 とうとう、言ってしまった…。
 時が止まったようにも思われる静寂の中、ジリアンは浅い呼吸をくり返した。
 言うべきでは、なかったのかもしれない。けれども、もう取り消すこともできない。
 淡い後悔が寄せては返し、胸を噛む。
 ジリアンは面をあげて、まっすぐにウィリアムを見つめる。彼は続けて言った。
「…友人として、長く傍にいられて…ぼくはとても、幸せだったと思う。…だから、ずっとこんな時間が続けばいいのにと願ってきたんだ。…でも、きみにはソフィアがいる。大事な友人でもあるきみたちを困らせたくなかったから、墓の下まで秘密を持っていくつもりだった。…ほんの少し前まではね」
 ジリアンはいったん言葉を切って、ウィリアムを見つめた。彼はかなりうろたえ、戸惑っている様子だった。
 無理もないことだろう。少し前まで、ジリアン自身でさえ口に出すまいと抑えてきた内容だ。
「急にこんなことを言いだして、すまないと思っている。…きみが戸惑うのも当然だと思う。…でも、最後まで開いてほ
しいんだ」
 ウィリアムの顔はよく見えなかったが、彼は仕草と言葉で先をうながした。
「わかったよ、ジリー。…話してくれ」
 ジリアンは、礼を言って先を続けた。
「フィギュアスケート仲間に、同性のカップルがいるんだ。彼らが自然に寄り添うのを見て、とてもうらやましくなった。このまま、気持ちを抑えたままで過ごすか。きみにきちんと伝えるべきか。…迷っていたはずなのに、気がついたら口に出していた。…どうしてかな。…彼らのように、正直に生きてみたくなったのかもしれない。…―きみが好きだよ、ウィル。…きみからは、ただの友人としてしか見られていないとしても。…ずっと、好きだったんだ…」
 ウィリアムはやがて、静かに言った。
「ジリー。きみの気持ちはわかった。…だが、少し時間をくれないか。きちんと考えて、答えを出したい」
 彼にはソフィアがいる。二股をかけるような性格ではないから、色々考えたあとで結論を出すということなのだろう。
 相手がいる以上、何を話し合うにしてもある程度時間がかかるのも当然かと思われた。
 ジリアンはうなずいた。
 ウィリアムはジリアンの肩を両手でつかんで引きよせると、軽く抱きしめてくれた。
 これは友人としてのハグか、それとも違うものなのか。判断ができずに見つめると、かすかに微笑の気配が漂ってきた。
「これは、まだ名前がつかない俺たちのハグだ。…ジリー。きみとは、今まで一緒に過ごしてきた長い時間がある。何があっても、壊れることはない。…それだけは言っておくよ」
 ジリアンは、じわじわと頬に血の気がのぼるのを意識した。
 友情が壊れることはないと聞かされて、安心したせいかもしれない。
 ウィリアムから、拒否反応を示されなかったせいかもしれない。
 いずれにしても、この男なら誠実な対応をしてくれることだろう。
 やはりと言うべきか、マックス・ギュンターたちの言った通りになった。
 ほっとした途端に緊張感がとけて、長年の親友を見つめる。ウィリアム・ヒューバートは、ジリアンの体をそっと離して言った。
「帰ろう。送っていくよ」
「ああ」
 ジリアンは最近中古車を買ったという彼に送ってもらい、帰路に着いた。
 家の前で、車が停まる。
 礼を言って下りようとするジリアンの腕は、不意に熱いものに拘束された。
 ウィリアムの手が、かかっている。体格の差が大きいために、片手で軽く押さえられただけで、動くこともできないのだった。
 ジリアンは唇を笑みのかたちを保ったまま、隣を見た。
「どうしたんだ、ウィル」
「いや。…今まで、すまなかった。ひとりで、長いこと苦しんでいたんだな」
「楽しいことも、たくさんあったさ」
 気にするな、と片目をつぶって見せる。
 熊のような大男は、そんなジリアンを何か痛々しいものを見るような目で見つめていた。長く深いため息をついてから、ようやく手を離した。
「…三か月。…いや、二か月で答えを出すよ」
「そうか。ちょうど卒業の時期と重なるな」
 六月初めには、ともに大学を卒業することが決まっている。
 ジリアンの進路はまだ決まっていないが、ウィリアムには大学院に進むための準備もある。
 回答までに時間を要するのは、そのせいでもあるのだろう。
 考えを巡らせていると、ウィリアムが心配そうに尋ねてきた。
「遅すぎるかな」
「いや。大丈夫だ。アイスショーのオファーが来ているから、日本に行ってくるよ。ツアーに出て帰ってきたら、ちょうどいいかもしれない」
「日本から、オファーが来るのか」
「ああ。フィギュアスケートはとても人気があるんだ」
その項には、カナダにも短い夏が訪れる。はじめに遅い春が来て桜が咲き、一斉に散って夏が来るだろう。
 希望の光を瞳に溜めて、二人は別れた。
 ジリアンの二の腕には、上着とシャツを通しても感じられたウィリアムのぬくもりが、幻のようにとどまり続けた。
 これで、よかったのか。それとも…。
 いずれにしても、ジリアン・ロイとウィリアム・ヒューバートはひとつの選択をした。
 まっすぐに見えていた道で、大きくカーブを曲がったのだ。
 その先に待ち受けているものがなんであるのか、まだ誰にもわからないことだった。

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