見出し画像

Virginity―ユニコーンの囁き(3)

この作品はBL小説です。男性同士の恋愛をあつかっています。
苦手なかたはスルーをお願いいたします。

前回のおはなし↓



幼い頃から恵まれた体格のウィリアム・ヒューバートは、十六歳にしてニメートル近い大男になった。
 天性の運動能力と温厚さでクラブチームの主将をつとめる彼は、プロリーグのスカウトマンも注目する。
 人気スポーツ選手の上に人柄も良いときては、当然ながら女性にもてる。
 ウィリアムは近づく女性たちを控えめな態度でかわしながら、幼なじみのソフィアと家族ぐるみの交際を続けていた。
 ブルネットの髪を肩のあたりで揃えた彼女は、きりりとした眉の快活な少女だ。
 二人で会っているときでも、ジリアンが訪ねて来れば快く三人で過ごそうと受け入れてくれる。
 二人はまるで夫婦のようなので、いずれ結婚するだろうと囁かれている。

 一方、才能を開花させたジリアンは、フィギュアスケーターとして徐々に人々に知られ始めている。
 同時に俳優業も順調で、ティーン向けのテレビドラマで脇役を得るまでになった。
 かなり忙しいはずだが、オフにはウィリアムに会うためにしばしば訪ねてくる。
 二人はトロントの公園を彩る桜を見ながら、ゆっくりと散策をした。
 日本人移住者によって植えられた木は、今やトロントの風物詩となっている。
 木々が一斉にピンク色に染まる光景は見事なもので、大勢の見物客が押しよせる。長い冬の終わりを告げる花は、トロント名物として市民に愛されていた。
 公共の場所でのアルコール飲料は禁止されているから、みんなコーヒーやサンドウィッチを片手にそぞろ歩きを楽しむ。
 ウィリアムはかつて、転校してきたばかりのジリアンを花見に誘った。
 オタワでは、桜を見たことがないだろうと思ったからだ。
 ジリアンは珍しい東洋の花をとても気に入ったようだった。
 優等生だと思われた転校生は、笑顔を弾けさせてはしゃいでいだ。
 そんなに気に入ったなら、毎年見に行こうとウィリアムが提案したのだ。
 以来、ジリアンのスケジュールが合わない時を除いて、二人の恒例行事となっている。
 姉のアマンダが淹れる紅茶と、母の作ったサンドウィッチやケーキを持参するのも恒例だ。
 人々に顔を知られるようになってからも、ジリアンは気さくなまま変わらなかった。
 相変わらずよく笑い、サンドイッチをおいしそうに口に運ぶ。ウィリアムは持参したボトルから、紅茶を注いで渡した。
「熱いから気をつけろよ」
「うん、この味だよ」
「普通のティーバックだと思うけどな」
 姉が勤め先の雑貨店で買ってくるものだから、それほど高価なものではないはずだ。
「それがいいんだよ。すこし渋みがあるのも好きなんだ」
 プラスチックのカップを持った彼は、愛想よくにこりとした。
 これだもの、姉がいそいそとお茶を準備するはずだ。後で手作りクッキーも渡してやろう。
 満開を過ぎた花木から、一斉に吹きさらわれた花びらが舞う。癖のない褐色の髪に花びらが降りかかり、肩に載っている。それを払ってやるか、告げるべきか迷っているうちにジリアンがベンチから立ち上がった。
 花びらを掌に受けようと、手を伸ばす。太い木の根で地面がでこぼこしており、彼は一瞬ぐらついた。
「ジリー、転ぶなよ」
 彼は答えず、微笑んだままこちらを見る。
 慕うようなきらめきに、心臓を射抜かれた気がした。
 脈打つ鼓動と波立つ不安を抱いて、ウィリアムは目をすがめた。
 ジリアンの眼差しを受けることには、ある種のときめきと喜びが存在している。
 その感覚は、ウィリアム自身を奮い立たせる作用を持っている。始末に困るほど、強い感情を覚えることも時にはあった。
 ウィリアムは、ふと想像してみることがある。
 もしも転校生が、緑の目の美少女だったら。
 学校のダンスパーティでパートナーになるのはソフィアではなく、ジリアンのほうだったかもしれない。 
 境界線を飛びこえて、こちらに訴えかけるもの――たしかに彼は、そうした存在だったかもしれない。
 たとえばジリアンが、人間以外のものだったなら。
 たとえばペットなら、何の問題もない。犬なら抱きしめ、猫なら撫でてやればいい。
 その表情は、人間が浮かべるにしてはあまりにも純粋過ぎるように感じられた。
 彼の輪郭から、青い寂しさが滲みだしている。その青い霧を追いかけて、つい手を差し伸べたくなる気持ちが湧きあがる。もっといえば、その霧に触れてみたいのだった。
 これは一体、どういう気持ちだろう。
 弟に対するような保護欲だろうか。それとも、やはり友人に対しての心配や友情なのか。
 わからない…。
 あいまいなまま、ここまで来てしまった。しかし、はっきりとした答えを出すのもこわいのだ。
 ゆらゆらと、桜の枝が揺れる。
 花びらが散り、池の面を埋めてゆく。
 子供たちの歓声が響き、若い母親が彼らを追って駆けてゆく。父親に肩車された子供がはしゃぎ、花の枝に手を伸ばす。
 ジリアンはベンチに腰をおろし、満足そうに紅茶を飲んでいる。
「どうかしたかい、ウィル」
「いや…、なんでもない」
 春風が、二人の間を吹き抜けてゆく。
 決して不快ではない。むしろ喜ばしいとさえいえる友人との時間が。不安をはらみながら、今は穏やかに通り過ぎてゆく。
 ずっとこのままでいられたら。なにも悩むことなく、日々を過ごしてゆけるのなら。
 ウィリアム・ヒューバートは、自分の真の感情に目をつぶった。つまりは、問題を先送りしたのだ。
 それが後にジリアンとの間に亀裂と誤解を生むことを、まだ彼は気づいていなかった。


 将来を嘱望されていたウィリアム・ヒューバートは、それから半年余り後にアイスホッケーの競技を退いた。
 転倒した相手チームの選手に巻き込まれ、腕に深い傷を負ったのだった。
 日常生活を送る分には支障はないが、混戦状態の中で精確にスティックを操りパックをコントロールすることはもうできない。
 彼は猛勉強の末、カナダの最高学府・トロント大学の医学部に入学した。
 怪我が絶えないスポーツだけに、元競技者として選手をケアする道を選んだのだ。
 週末は地域のアイスホッケーチームで子供たちに教えながら、勉強を続けている。
 ジリアン・ロイも、同じ大学の文学部に進んだ。
 広いキャンパスゆえ、専攻が違えば構内で顔を合わせる機会は多くない。
 スケートが優先のため、ジリアンが休みがちなこともある。
 日本の中学校と高校にあたるセカンダリースクール時代と比べても、ー緒にいる時間はぐっと減った。
 お互い、もう子供ではないということなのだろう。
 曖昧なまま続くかと思えた二人の関係に変化が起こったのは、フィギュアスケート世界選手権だった。
 昨季オリンピック出場を逃した辛いリハビリ期間を終え、競技に復帰したジリアンにはカナダのエースとして大きな期待が寄せられていた。
 フィギュアスケートはアイスホッケーと比べればぐんと注目度が下がる。
 しかしながら、冬季スポーツの雄をロシアと奪い合っているお国柄としては、メダルの数は多いほどよいのだった。
 抜群のスケーティングに加え、俳優としての経験に裏打ちされた演技力と、ジャンプ力を持ち合わせている。
 オールラウンドスケーターで弱点がないと評されるジリアンは、ロシアの氷帝を打ち負かす次世代のプリンスとして、前評判が高かった。
 それが、突如頭角を現してきたダークホース――ドイツのマックス・ギュンターに王冠を持っていかれたのだ。
 二位は立派な成績だが、人々の期待が大きかっただけに、ジリアンへの批判も聞こえてきた。
 優等生的な演技では、王座に就くことはできないだろうというものだ。
「言いたい奴には、言わせておけばいい。君の演技は、すばらしかったよ。それ以外に、何が必要なんだ」
 ほとんど全ての試合に友人を引き連れて観に来てくれ、何も求めなくてもこちらが望む言葉をかけてくれる。
 スケート競技者である共通点を失ってもウィリアム・ヒューバートの友情は変わりなく、ジリアンにとって必要不可欠の存在だった。
 その彼と距離を置くことになった原因には、間接的にマックス・ギュンターが係わっている。
 ライバルとも公平につき合う主義のジリアンは、マックスと彼の恋人であるユージン・カトーにアドバイスをしたことがある。
 ユージンもジリアン達と同じ男子シングルのスケーターであり、他人ごととは思えなかったのだ。
 マックス・ギュンターは、大らかといえば聞こえがいいが、周囲の思惑をまるで気にしない性格だった。
 優勝会見でユージンとの結婚宣言をぶちかました彼に、世間は驚きすぎて批判の目を向ける暇もないありさまだった。
 ジリアンは、彼らに向かって独白ともつかぬ感想を漏らした。
「きみたちが、うらやましいよ」
 友人の枠を越えて、深い絆で結ばれていることが。
 人目を気にして、自然な感情を偽ったり隠したりする必要はもうない。二人きりでいるところを見られても、周囲から奇異に思われることもない。
 安心して、人生をともに過ごすことのできる彼らが。
 誰にも言わずに墓場まで持っていくつもりだった想いが、きしきしと音を立てて胸を噛む。
 お前は、そのままでいいのか。ジリアン・ロイ…。
 ウィリアム・ヒューバートは、ゲイではない。
 性的指向はごく普通であり、ソフィアとの仲もうまくいっているようだ。
 彼女との間を裂くようなことは、したくない。
 人知れぬ悩みに突破口を与えてくれたのが、マックス・ギュンターだった。
「ドカンとぶち当たってみるのが一番だぜ。そりゃ、カンタンに答えなんて出せねーだろうけどよ」
 マックスは同意を求め、ユージンに片目をつぶってみせる。
 おとなしげな美青年は、そっとうなずいた。
「ちょっと話を聞いただけのぼくらでも、誠実さを感じるよ。勇気をだして、話してみたらどうかな。きちんと向き合ってくれるそうな気がするんだけど」
 マックスとユージンに、背中を押された気がした。
 ジリアンは、ウィリアム・ヒューバートに本心を告げることを考えはじめていた。

《続きはこちら↓》

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?