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古い記憶から届いた贈り物。


年末。

海と空がバチっと背景に見え、空にはトンビがお供物の食べ物を狙ってか必ず一羽は飛んでいる。

そんないつもの弟のお墓参り。

私はこのお墓には入れないので、
生きているうちに、会いに行けるうちに来ておきたい場所。



帰りは近くのおばあちゃん家に行き、

「この階段はよく環ちゃんがもう登りたくないと毎日駄々を捏ねて、それはもうほーんと大変だったんだから」
と、父と祖母は口を揃えて言った。

「それさえなかったら…」と言葉を濁そうとする父。 

祖母の家から見える海🌊
と、私が駄々を捏ねた坂道。


幼稚園では弟の姿が見えなくなると不安になり、お昼寝の時間は同じ部屋で寝ていたそうな…。
(弟を今まで何度もシスコン呼ばわりしてたけど、私もなかなかのブラコンだった模様…。)

我が強く、そのくせ神経質でとにかく弟よりも手を焼いて…
またちょうどその頃に祖父が身体を悪くして寝込むようになったのもあり、世話しきれなくなって私を手放すことにしたんだと父は言った。

なんせ、母から
「弟に嫉妬した時に冷蔵庫前に自分で椅子を持っていって、マヨネーズとケチャップを両手に思いっきりキッチンにぶち撒けて、オーロラソース作ってたからね😂」と聞いていたのもあって、むしろそんな血の繋がりもないイカれた私を、4歳までお世話してくれた父と祖母には感謝しかないのです🙏笑

(ちなみに弟は、母も父も口を揃えて「身体は弱かったけど、何にも動じず、一人遊びも上手で育てやすかった」と言っていた🤣)


母が私と弟を連れて義両親の家を出ていくも、
父が迎えに行き、「帰る人!🙋‍♂️」と聞くと
私と弟は2人で「はい🙋‍♀️🙋」と手を挙げ
その瞬間、母は「どうしてなのよ〜!」と泣き崩れてしまったんだそうな。(なんかごめん)

この話しを父から聞いて、母は私たちを置いて出て行ったわけではなかったんだなと嬉しくなった。


祖母との思い出のちびまる子ちゃんトランプ


私は母方のおじいちゃんっ子だったが、
父方のおばあちゃんっ子でもあった。

シルバーヘアーを綺麗に纏め、自分で編んだくすんだブルーニットがおばあちゃんの白く柔らかな肌によく似合い、丈のあったズボンを履き、足腰を悪くしてほとんどを家で過ごしていても身嗜みを整えることを欠かさない祖母の品格は、会うたび見習うものがある。

2階に上がらなくとも洗濯物を干せる場所はあるというのに、お天道様の近くに当てたいからと、一人分とはいえ、水の含んだ重い衣類を持って階段を登り、綺麗に一枚一枚丁寧にベランダに干してある。

決して綺麗ではないジブリアニメのアリエッティの棲家のように見える家の庭の植物たちは、一面落ち葉だらけとはいえ、どれも枯れることなく綺麗に保たれている。

自分でやらないと気が済まない性分なのだろう。

そんな面倒見がよく、責任感の強い祖母に小さい頃の私が駄々を捏ねて甘えていたのが、いとも簡単に想像できてしまう。


私が気に入っていたちびまる子ちゃんのトランプや絵本、肌身離さず洗濯にすら出されるのが嫌だったボロボロになったタオルケット。
七五三の時に着た着物や、幼稚園で先生が記録した連絡ノート、そしてまともな絵にもなってない線や丸ばかりの落書きの紙までも日付けまで書いて、今の今まで取っておいてくれた祖母。

それを今私が手に取ったところで、今すぐ何か役に立つわけではないけれど、「大切に保管されていた」という事実によって、私を大事に想っていてくれたことが証明され、私はその祖母の気持ちを知り、今こうやって受け止めることができることが嬉しいんだと思った。

母や父から幼少期のことを聞くたび、悲しいことよりも嬉しくなる思い出の方が多いのも嬉しい。

母と父にとって、自分ら子どもの存在が悪いものでなかったと思ってくれているような気がして。


母が煙草を一服しによく来た
海藻だらけの海辺で貝殻を拾う姉弟。



そういえば1月1日は私の実父の誕生日らしい。はぴば父💐
どっかで健やかに生きてますよーに🙏


おしまい。

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