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短編小説:隠れん坊

 久しぶりに会った親戚の面々は、やはり歳をとっていた。そんな中で比較的に若い叔父が近付いて来た。私は目立たぬように携帯を取り出し、さも電話をしなければといった体で叔父から逃げようとした。

「いやあ、立派な大人になったなぁ。旦那さんは?」

 叔父が無神経に声をかけてくる。演技がばれたのではない。単に叔父が空気を読めない人間なのだ。心の中で盛大な舌打ちをしつつも、私はにっこりと最上級の笑顔を見せた。

「仕事の事ですか。だったら仲は順調ですよ」

 しまったと表情を変えた叔父を見て溜飲を下げる。叔父の言動は加齢故の物忘れだと思い、私は何とか気分を落ち着けた。

 ここにいる人達は全員が知っている。私が結婚出来ない理由を。それなのに叔父は知らないかのように旦那という単語を出したのだ。私達の遣り取りに他の親戚が聞き耳を立てていたのは、急に場が静まり返った事で明らかだった。

 周囲の視線が私を避ける。腫れ物には触れないよう、一定の距離を置くのが判る。その事は仕方がない。

 遠巻きにされ私の周りだけがぽっかりと空虚になる。それでも視線は纏い付く。親族から見世物扱いされているのは不快だ。だが、そんな事は始めから折り込み済み。

 私は父に犯された娘だ。その上で父を殺そうとした。未遂に終わったものの、スキャンダラスな事件は紙面を彩り、各所を賑わせた。各種の状況を精査した結果、未成年であった私は罪を問われなかったが、世間の風当たりは強かった。

 この場に集まっている親戚の中には、あること無いことをマスコミにでっち上げ、荒稼ぎした者もいる。正直、戻って来たくは無かったのだが、最低限の義務は果たす必要があった。

 両親の事故死の連絡が入った。一人娘である自分には喪主としての勤めがある。心境としては放っておいても良いくらいの感情しかないのだが、質の悪いマスコミ連中が事件のその後を面白おかしく書き立てる要因を作ってやる気も無い。

 ひっそりと片付けたかったのだが、田舎の本家筋である家だ。あまり疎かな事も出来なかった。渋々ながら葬儀を執り行う段取りをつけ、屑な親戚どもに知らせを入れ、葬儀の日を迎えたのである。

 耳の端に言葉がのる。
 色々な憶測が煩わしい。
 
 勝手な話しを作り、
 真実であるかのように、
 煩く囀ずる傍観者達。
 真実なんてどうでもいい。
 ただ自分が楽しみたいだけ。
 人が傷付くなんて考えていない。

 下衆で無責任な発言。
 鋭い刃は心を裂く。
 結構簡単に人を殺してしまう。

 経験で理解しているが、
 知らずに同じ事をしている、
 そんな自分にも嫌気がさす。

 好奇の目に曝されるのは嫌と言う程味わった。父にとっては自業自得だが、自分と母には、勘違いも甚だしい悪意と嘲りが向けられた。

 娯楽の為の生け贄となり、まともな暮らしも出来ない日々がどれくらい続いただろうか。家に籠り続けた時間はとてつもなく長かったように思えたが、実際、私の記憶では然程の時間では無かった。人の興味は新しい物に移る。新たな衝撃的事件が起きたら、波が引くようにして静かになった。

 ほとぼりが覚めた頃には歯車の狂った家族は元には戻れなかった。両親は非難を浴びても事件前の暮らしや地元が捨てられず、代わりに私を捨てた。私は逆だった。

 全てを刷新しての暮らしにも慣れ、仕事に打ち込み始めた矢先に訃報が入った。相続やら何やら、やらなければならない事は思いの外多く、葬儀を済ませても事後処理の為に数日が必要だった。近くにホテルや旅館などは無い。嫌ではあるが、実家へと向かうしかなかった。

 両親の遺骨は葬儀前から唯一の理解ある親類に任せる算段をつけていた。だから私は身一つで生家への道を辿る。

 足が重い。

 まだ両親の気配が濃厚に残っているであろう家。それに触れる事が怖ろしく、身体が進む事を拒絶する。足は自然と家を避けようと脇道へ逸れた。

 すぐに日が沈む。
 鮮やかな黄昏れの空が広がる。
 夕焼けが深くなり赤みを増す。

 嫌な感覚を思い出し、思わず両手を見てしまった。赤い掌に一瞬のフラッシュバック。父の顔に母の悲鳴。突き飛ばされた衝撃に沢山の足音。押し寄せる記憶に潰されそうになり蹲る。私は目を閉じ呼吸を落ち着かせた。

 不意に別の事が浮かぶ。しゃがみ込み、夕日を見てる。周りは暗くなって、心細くて泣き出した。近付く足音に顔を上げ、やって来た人を見た筈なのに、その顔が思い出せない。人恋しくなっていた私は、顔の無い人物に縋り着いた。そして、その後はーー どうしたのかわからない。

 呼吸は中々落ち着かない。忘れたい事、考えたくない事、それでも縋りたい温かな思い出。綯交ぜになった気持ちが私を惑わせる。

 家に帰りたくない。帰りたい。
 裏山は怖い。懐かしい。

 相反する想いを抱え、向かった先は昔遊んだ裏山だった。近所の友達や同年代の親類達と日が傾くまで色々な事をして遊んだ懐かしい場所だった。鬼ごっこやかくれんぼ、宝探しやゴム飛び。目を細めると、当時の自分達が浮かび、私の気分は僅かだが落ち着いた。

 ねぇ。

 記憶の中で誰かが言う。幼い甘えたような声音。  

 ねぇ、忘れちゃったの?
 
 何をと思う。そして気付く。声は今の自分の耳に届いている。周囲を見回す。人影は無い。でも、声は自分の近くから聞えた。しかも、確実に私に声をかけている。

 ここから離れなければ。

 気持ちは急く。だが、身体の動きは緩慢だ。ねっとりとした物に捕らわれたように、動くのが難しい。身動きが取り辛いからか、感覚が優位になる。だからか、背後の人の気配に気付いた。人影は無かった筈なのに、気配は在る。嫌な汗が伝う。

 ねぇ、どうして私を探してくれないの?

 居る筈の無い子供の声が、真後ろ、丁度、腰の辺りから聞こえる。

 ねぇ、どうして?
 ねぇ、ねぇ……

 ひたりと氷の冷たさが足に纏わる。

 捕まえたぁ!

 ふふふ、ははは、
 きゃはははははははは……

 けたたましく響く、箍が外れた嗤い。うゎんと頭蓋の中までをも掻き乱される。狂った嗤いが小さな刃物となり心を攻め立てる。じっとりと冷たい汗が流れ、全身に細かい震えが奔る。

 空間全てを揺する程に嗤いは広がり、いきなり静寂が降りた。

 だが、気配が消えない。足に纏わる感覚はそのままだ。恐怖は増していくだけ。

 一歩踏み出せば振り払えるかもしれない。淡い期待を抱いてみたが、足に纏わる何かが、ぎゅっと膝下を抱きしめ、期待は儚く霧散してしまう。獲物となった自分は、この怪異と最後まで向き合わなければならないのだ。

 纏わる手が|脹脛〈ふくらはぎ〉を擦るようにして膝から大腿へと移る。徐々に上へ、上へ。声は腰の辺りでした筈だ。

 あなたが鬼――

 耳元に囁く粘りのある声。吐息がかかり、全身が怖気で震える。走馬燈のように蘇る情景。何か大事な事がある。でも、私は忘れている。頭の奥、深く深く、埋めてしまった。そうしなければ、暮らせない程の何か。浮かんでは消え、浮かんでは消え、核心には行き着かない。いや、無意識下で避けている。囁く声よりも、思い出す事の方が何倍も怖い。

 ねぇ、どうして私を忘れたの?

 冷たい手。
 小さな子供ーー
 いや、赤子の手。
 背中を、肩を、顔をーー

 這い上がり、掴み、ペタペタと確認するように全身を触っている。触られた場所は焼けるように冷たい。心は凍てつき、思考が凝る。似た感覚を以前経験した。重い閂が鈍い音を発て外れたような気がした。

 自分を求める小さな掌。
 頼りなく庇護を求める。
 その姿が自分と重なる。

 近付いて来る大きな掌。
 自分を襲う恐ろしい姿。
 その姿が実父と重なる。

 庇護してくれる筈の手が、
 恐怖に変わった時の記憶が、
 明滅して鼓動が激しくなる。

 ぐるぐる回り、
 思い出す痛みと、
 自分が起こした事。
 腹の中で異物が育つ。
 穢れが形を成し現れる。

 夕暮れが綺麗だった。腕の中に産み落とした物を抱え、裏山深くをさ迷っていた。父を刺してから、騒がしい周囲に背を向け、膨らむ腹に怯えた。心は病み疲れ、自分が何をしたいのかも判らない。ただ、まだ子供である自分に、腕の中の荷物は重過ぎる。どうにかしたいという意識だけが足を動かしていたのだろう。

 裏山は父の物で、昔ながらの原生林が保たれていた。奥の方は人が殆ど足を踏み入れず、下手をすると迷って帰れなくなる程だ。しかし、小さな探検を繰り返した私は、かなり奥まで自由に往き来が可能だった。深く積もった枯れ葉を踏み、山の奥へと進む。確か小さな虚がある樹があった。目的の虚は隠し物をするには丁度良い。早く隠さなければと足を急かす。
 
 到着し虚を覗き込んだ。堆積した枯れ葉が天然のベッドのようだ。腕の荷物を丁寧に虚へと安置して、上に乾いた落ち葉を盛る。寒くないようにと。

「ここに隠れてて」

 頭を撫でて伝えた。嫌だと言うように伸ばされた小さな掌。それを見て怖気が走った。身を引き後退ると、振り返りもせず駆け出した。

 駆け戻り、蒲団へ籠り、小さく縮こまる。怖くて震え、赤ん坊なんていないと呟いてーー

 目覚めた後は、何ヶ月かの記憶が消えていた。

「あ……」

 ごっそりと抜け落ちていた過去。親と同じ事をしていた自分。子供を放置して死なせた。報道番組を見て私は放置した親に何で言っていたっけ。

 お母さぁん、み〜つけたぁ。

 頭からずるりと何かが前に滑り、眼前が塞がれる。見たくなくて目を閉じようとするが、何故だが全く動かない。頬を触る感触。ゆらりと何かが退いて姿が明らかになる。

 窪んた二つの孔。
 疎らに残る頭髪。
 肉の無い顔と体。
 頭だけが大きいーー

 殆どが骨だけ。それなのに笑っているのが判る。

 お祖母ちゃんが
 見付けてくれたから、
 鬼になれたんだぁ。

 お父さんは逃げちゃった。
 そんなに鬼は嫌なのかな。

 無邪気に話す内容に身が凍る。両親の死はこの子のせいなのか。母はこの子の事を知っていたのか、それとも偶然知ったのか。父はこの子が誰の子か判ったのだろうか。

 死なせた子供が私を無言で責める。後悔も懺悔も既に遅過ぎる。それでも言わなければこの子は納得しないだろう。

「私が鬼ね。今度は必ず見付ける」

 本当に? 
 死んでも?

「死んでも」

 赤子の骸がカタカタと音を発てた。全身で喜び笑っているのだろう。大きな闇が私を包み、じわりじわりと締め付け始めた。

 自由を奪われ囚われる。
 黄昏れの空が血の色に代わる。

 鬼であった子供が心底嬉しそうな笑顔を浮かべ、私を命を狩り獲った。

  〈了〉


「小説家になろう」の夏企画〈夏のホラー2021〉に出したものです。

主役が「父に犯された」などとトンデモ発言をしたために、内容が予定外な事になりました。正直、ラストは収まりが悪い感があります。

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