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LGBTの実存的な苦悩

そもそもずっと思ってたことだけど、性的マイノリティの人の苦悩って、社会を捏ねくり回しても解決しない、それこそ実存的な問題なんじゃないか。

異性の場合と違って、同性同士なら恋が実る確率自体がきっと低い。相手はほとんどが異性愛者だから。まずそこで傷付くけど、それは相手に選ぶ自由がある以上、変えようのない苦しみだ。
本当のところ、それが一番大きな苦しみなのではないか。

それに加えて、思いを伝えること自体がカミングアウトを意味する訳だから、引かれたり避けられたらどうしよう、等色々な不安がある。
それまで友達だったのなら、よほど酷い相手でない限り、直接差別的な言葉を投げかけられたりすることは無いだろう。でも、やっぱり打ち明けたことで関係性は変わってしまう。

相手も差別しないようにと気を遣って腫れ物に触るような態度になったり、言語化できないような距離を感じたり。
だけどそれは「差別」だからではない、相手のことを考えているからこそ気まずくなることもあるし、その微妙な空気感の違いが伝わって傷付く。

そもそも人は「差別」ではなくとも傷付くのだ。

いくらLGBT等が世間的に知られるようになったところで、そうした人間関係における悩みはやはり社会的には変えられない問題だ。
それは人類が有性生殖をする種である限り、変わらない苦悩だろうと思う。
もしかして、だからこそ左翼団体はLGBT教育を進めようとしているのかもしれないけど…。もともと少ないのなら、布教をして「増やせばいい」という算段で…。

なんにせよ私はそういう、社会を変えたところで変わらない実存的な問題こそ、小説や音楽で表現する方が心に響くと思うけどなぁ。古来から、人はどうにもならない思いを言葉やメロディに載せて、美しく表現することで感情を昇華させてきた。

宇多田ヒカルの「ともだち」に歌われているみたいに、同性だから、恋心を抱いていても、当たり前のように友達のカテゴリーに入れられる。でも本当は好きだし、さわりたいから友達にはなれない。

さわりたい、近づきたいけどこの関係が壊れるのが怖い。友達ならそばにいてもおかしくない。だから笑顔が見える距離にいられる、それだけでいい。

とても切なくロマンティックで好きな歌だ。
そういう繊細で切ない心の機微を、歌や小説に載せて表現した方が、ゲバ棒持って「LGBTの権利を認めろ!」と強引に押し付けるANTIFAなんかよりもよほど一般人の心にも響くだろうと思う。

北風よりも太陽の方が余程良い。

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