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日本かーは文化的にはずっと左翼だったのでは

フェミの欧米かーの人たちは、客観的に見れば十分リベラル的な欧米社会で生きてきたのに、何をそんなに抑圧だと感じるんだろう、と思っていた。
彼らを傍から観察していて、気付いたことがある。欧米かーは政治的左翼は強いが、文化的左翼が結構弱いのではないかと。

あれはLGBTの権利を掲げるフェミニズム団体だったんだけど、肝心のLGBTに関するまとめニュースとかには誰も反応せず、「太ってることで周りから白い目で見られる」という世俗的な悩みについては非常に多くの投稿が見られた。
そんなん人間に感性がある以上必ず生じる実存的な悩みで、政治と関係あるの、と思うんだけど、「健康には害が無い程度の太さにもあれこれケチ付けたがる社会が悪い」と愚痴り合っていた。

だから欧米かーにはプラスサイズモデルとか出てきて左界隈から支持を得てるのだろう。
日本かーにもプラスサイズモデルはいるけど、こちらでは単に大きいサイズの洋服を売るためのモデルとなっているだけで、そういったイデオロギーをモデルが主張することはほぼない。
で、欧米かーは文化的にも左翼のアイコンが多いように見えて、実はとても画一的であるように感じる。
例のプラスサイズモデルも女性もLGBTも、「私らしくいて何が悪い」と、挑発的な目線であくまで強くないといけないのだ。

政治的には弱者であっても、心理的には(あるいは経済的にも)=文化的に、強くなければ認められない。
政治的には左翼であっても、なんか文化的には保守なのだ。
とても野生的でネオリベ的だ。
じゃあ太ってて頭が悪く運動も出来ず、いじめられてきたから自己肯定感も低い、本当に文化的弱者の人はどうすればいいのか?

貧しかったり外国人だったりして政治的に弱者な人は、いじめられると自己肯定感が低くなり、大体心理的・文化的にも弱くなるものだ。
それなのにメディアは「マイノリティでも強い私」ばかり売り出そうとする。
それが実際の弱者のニーズとは合っていないから、欺瞞だと苦しんで日本かーに流れ着く人がいるんじゃないだろうか。

考えてみれば日本かーのアニメや漫画はダメな人や弱い人、見た目が醜いものを扱ってるものが非常に多いよな、と思う。
ドラえもんののび太くん然り、ゲゲゲの鬼太郎然り、最近で言えばわたモテの智子、エログロ系やロリコン、デスゲーム系、逸脱ものがめちゃくちゃ多い。

それに必ずしも「強いマイノリティ」を打ち出す訳ではなく、どこまでもただ落ちぶれていく話や、ヤンデレや共依存として出てくる病んだ恋愛ものなど、逸脱の在り方が多様だ。
江戸時代から春画や落語、近代以降は退廃的な日本文学、侘び寂び、全部逸脱を許してくれる文化的左翼といえるのでは。

日本かーは表社会の抑圧が強い分、ガス抜きとして文化は泳がせるという形をとってきたから、文化的にはとても左翼が強いのではないかと思う。
ガス抜きだからこそタガが外れていて病的なレベルの話が多いんじゃないだろうか。

「マイノリティでも強く、輝くことが出来る!」といって道を切り拓いて後輩が通りやすくするのが向こうの左翼表象だとすると、それは競争を勝ち抜くことが前提ではあるから敷居が高く、ついていけない弱者の鬱憤は溜まりやすくなる。というかほとんどの者は辿り着けない。
だけど「弱者でいいから堕落する自由がある!好きなようにやらせろ!」といって、理想を描かずロリコンや不条理もので発散させるのもどうよ。
政治的左翼はちゃんとしてるが文化的左翼が貧しい国の人々が承認の受け皿を求めて日本かーに流れ着いてくる。

マルクス・ガブリエルが新実存主義とか唱えてるみたいだけど、政治と繋がらないむき出しの実存に向かうというのは、無宗教的でもあるし非常に日本的だと思う。

でも日本化する世界、大丈夫か?と思わずにはいられない。

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