見出し画像

倫理哲学者の思想がナチスと酷似しているという皮肉

ちょっと評判を聞いたことがあるピーターシンガーについてwikiを調べてみたんだけど、案の定ヤバそうな人だった。
この人は昨今流行りのエコ左翼の走りみたいな人で、功利主義的立場から動物解放論や安楽死肯定を唱えているらしい。

なかでも一番ヤバそうだったのが嬰児殺人を肯定する議論(以下引用。新生児の安楽死と書かれてるが実質嬰児殺人だ)。昔の日本の間引きを彼が肯定していたという話と一致する。
シンガーは脱人間中心主義を唱え、人間以外の動物を人間より下に見ることを批判して「種差別」とまで呼んでいる。

その割に重度障害者や人間の胎児は動物と同レベルの存在で、意識を持った人間とは「命の価値が異なる」という。よって、障害を持った新生児の死を選択することが正当化される場合があるという。

要するに重度障害者や人間の新生児は動物以下なので負担になるなら殺して良い、と。
回りくどーく遠回しーに言ってますが、かなり強烈な優生主義ですよね。

それに動物の命を下に見るな、というくせに動物と同等の人間は殺していい、と。矛盾してる。結局は動物の命下に見てるやん。

というかナチスの思想とほぼ同じです。
動物保護法とかはナチスも作ってたし、彼らは有機農法も推進してて、エコ左翼的ではあったのですよ。それでいて人間には優生主義でバチクソ厳しかった。

自然に優しく人間に厳しく、ナチスの姿勢とエコ左翼の姿勢は酷似しているんです。どちらもきっと人間嫌いゆえでしょうけどね、、

昨今の人間卑下主義、自然崇拝主義のエコ左翼の教祖というべき倫理哲学者、さすがヤバさの質が違うわーと思った話。

新生児の安楽死
人間だけを特別視する宗教的な考えを拒否すれば、重度脳障害または重度知的障害を持った人間を、同等の精神的知的レベルの動物と峻別することが困難になる、とシンガーは表明する[2]。

シンガーによれば、胎児は一瞬一瞬の快楽と苦痛と経験を入れる受容体であり、成人は瞬間的な快不快だけでなく持続的に自己を意識する。意識能力を持った存在は「人格」と呼ばれ、胚や胎児までも含む人間という生物種とは区別される。一方で人間の胚、胎児、ごく初期の新生児の道徳的な地位はかなりの程度まで等しく、意識能力によって生命の価値は大きく異なるとシンガーは考える[2]。シンガーは、胎児や新生児が将来的には人格を持つ潜在性があるため成人と等しい価値がある、という議論を否定する[2]。性交の時期、避妊などの日常的な選択の全てが、個別の潜在的な人格が生じることを阻んでおり、胎児や新生児も「将来の人格」であり代替可能であるとシンガーは論ずる[2]。

このことから、親が育児を望まず、養子の引き取り手もいない場合、障害をもった新生児の死を選択することが正当化できる場合があるとシンガーは論じる[2][3]。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?