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noteとっても楽しいワ

この休職期間中、図書館でエッセイを借りて読むことを覚え、それが日常となった。

物語と違って、あまり入り込まずにサッと読めるし、他人の体験を追体験しながら、自分の考えの輪郭を朧げながらも掴む行為はとても楽しい。

結局、他人のエッセイを読む行為は、なんだかんだで内省な気がする。

その体験や感情を自分に当てはめてみて、その考えを好きと思うか、納得いかないか、これでいいんだと楽になるか、そうは思えないと自分のこだわりを自覚してしまうか。

自分だとどうか考えたり、なるほどなと自分の思い込みをこわしたり。こんな遊びがあるのか、こんな本があるのか、と自分の中のリストを更新したり。


そして最近、完成されて書籍化された図書館で借りられるエッセイでなくとも、noteで人が気ままに書いている日記やコラムを読めば、同じような体験ができるのかもしれない、と思った。

あまりにnoteのサジェストに頼ると、それはそれで辿りつきたくない記事を目にしてしまう危険性がある。私でいうと、あまりにキャリアや稼ぐことに寄せた自己啓発については、興味の有無というよりは、noteで読みたいコンテンツではない。だって、エッセイを求めてるんだもの。

そのため、サジェスト頼りにならなくて済むよう、ある程度吟味して、好きそうだったら、フォローしてしまう。

フォローしている人たちのnoteは、共通項は少なく、「他人に攻撃的ではない」くらい。

私は根が前向きなので、今までの私だったら、それなりに自己肯定感のある楽しそうな人の日常ばかり読んでいたかもしれない。

でも今は、そういう人の文章ももちろん好きだけど、同時に、自尊心が欠落してしまうようなそんな人の気持ちもわかって。

休職して、また自分の共鳴する範囲が広がったので、より多くのものを読めるようになった。


朝起きて、インスタをいじる時間の代わりに、フォロー中の方のnoteを読む。 

誰かを鼓舞するためではなく、何か大幅な意図があるわけでなく、本人が本人のために書いてるであろう文章は、余計なものがなく、とても読みやすい。


朝のこの頭の働かない時間に、インスタを見ていると、情報の洪水で、そのまま遭難してしまうことがあった。

だけど、noteはいいな。
だって、朝からこんな文章を書けるくらいには、遭難しない。ちゃんと私をやっている。

みんなのnoteの文章を浴びて、私も何か書きたくなって。それは、とても、嬉しいことですワ

今日も良い一日を。



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