見出し画像

Decade -1-

 10年という時間がどういう長さかというと生まれたばかりの赤ちゃんが、小学生になるくらいの長さです。歳をとると自分があまり変わってない気がしてその時間の長さを忘れてしまいます。

いつもはどちらかというと推し活している人たちのことを中心にnoteを書いているのですが、今日は自分の話を交えながら推し活人生について少し言葉にしておきたいと思います。いつもと様子が違ってるので、ぼちぼちお付き合いください。

10年前、2013年ごろ。
私はカーリングをすることとフィギュア観戦をすることが趣味の中心で生きていました。

カーリングに出会ったのは2006年のトリノオリンピックでそこから見る方じゃなくてやる方にハマりました。全くスポーツをしなかった自分がそこに辿り着くとは思いもよらなかったですし、細々とはいえ今もやってる自分には驚きしかありません。でも、カーリングが私の人生を90度くらい変えたとしたら、2012年3月にテレビで見つけた「羽生結弦」というスケーターは私の人生を180度くらい(いや、一周回って360度でもいいかなw)変えてしまった恐ろしいアスリートでした。

彼に出会わなかったら今、全く違う人生を送っていたと思います。
そんな彼が先日、生涯の伴侶を見つけて入籍するというニュースを聞いて流れた時間の重さを感じました。私が彼を見つけた時、テレビの実況の人が「世界を震わせる17歳」と表現していたのですから。演技の迫力はすごかったですが、リンクの外ではあどけない17歳の少年でした。

羽生結弦に出会ってから私の人生はまるでジェットコースターのようなスピードで変化し、推し活人生の楽しさにハマりました。

そんな10年を大雑把に振り返ってみたいと思います。

2012年、羽生結弦を見つけてその活躍を生観戦したくなった私は有給が取りやすくて、少しお給料を多くもらえる外資系企業に転職することを決めました。私の冒険が始まった瞬間でした。
とはいえ、推し活人生は試合のチケット取り戦争の敗北から始まります。

今では彼のおかげでチケットを取るために必要なノウハウが貯まりましたが、最初は苦戦の連続でした。生でみたかった試合をテレビで見る日々を経て私は海を渡って彼の試合を見る決意をします。それが、ちょうど10年前、2013年の10月のことで、2009年に仕事で訪れたカナダを選んだのは少しは様子がわかるという理由でした。

その後、さらに私の人生を変える2人目の男は星城高校の2年生でインハイ、国体で優勝し、春高での三冠奪取に向けて爆進中だったことはまだ全く知らない人生でした。

まさかスポーツ観戦を目的に海外にいくなんて思いもよらなかったですし、それがどんどん加速して、年に何度も海外に行くようになっちゃうとか、英語を日常的に使って仕事をするようになるとか、あの頃の私に言ってもきっと鼻で笑われると思います。

人の人生はそんな風に不思議に満ちています。

2013年に手に入れたもは大きく2つ。
チケット譲渡のご縁で知り合った結弦ファンでのちに一緒にバレーボール沼に落ちる姉妹みたいな友人と出会えたことと最初のカナダ遠征を経て海外は思ってるほど遠くないという新しい感覚と、びっくりするほど選手と近い距離感で観戦できるという驚きと(海外選手と同じスタバに並んでるとか、エレベーター乗り降りですれ違うとか)新しい観戦仲間と、生まれて初めて見るパンケーキ自動作成マシーンへの驚きでした。

その時の私にはまだこの沼の深さが分かってなかったのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?